【和歌山城】桜が美しい! 徳川御三家の一つ紀州徳川家。8代将軍徳川吉宗と、忍者集団お庭番

今日から私のふるさとである、和歌山県の観光を取り上げたいと思います。

 

故郷というのは離れてから良さがわかるもので、毎年和歌山に帰省するたびに「あれ? 和歌山ってこんなにいいところだったっけ? こんなに綺麗だったっけ?」と思わされます。

 

まず和歌山市のシンボルである、徳川御三家のひとつ紀州徳川家の和歌山城から紹介したいと思います。(徳川御三家とは、水戸、尾張、紀州の三つ)

散策記

和歌山城は、和歌山駅(または和歌山市駅)から少し離れているので、駅前からバスに乗って行きましょう。JR和歌山駅、または南海和歌山市駅から公園前経由のバスに乗車し、「公園前」で下車です。(徒歩だと20~30分くらいかかる。バスなら五分ほど)

車で行く場合、有料駐車場があります。

 

和歌山城と御橋廊下。

藩主の趣味の場である西の丸と生活の場である二の丸大奥とをつなぐ廊下橋で、屋根と壁を設けた橋です。

 

両岸の高低差のため斜め(約11度の角度)でかかっている構造は全国的にも珍しく、滑らないように廊下の床板を鋸歯状に組んでいます。

 

この写真は、市役所前の通りから撮ったもので、天守閣が標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に建造されているのがよくわかります。

夜間のライトアップは白い城壁が映えて、とても綺麗です。

 

 

 

天守閣へと続く坂。

裏坂と新裏坂の二つあり、新裏坂のほうは車椅子、ベビーカーでも登れるよう、端に木の板を敷いています。

和歌山城には、「野面積み」、「打ち込みハギ」、「切り込みハギ」の三種類の石垣と、約170種類の刻印が見られるので、ぜひ石垣をよく観察してください。

 

 

和歌山城天守閣。

姫路城、松山城と並んで日本三大連立式平山城の一つに数えられているお城で、国の史跡指定です。

 

1585年(安土桃山時代)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が、弟の秀長に命じて紀ノ川河口部の「岡山」(現在の虎伏山)に城を築かせたのが始まり。

 

1600年、関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が紀伊に入国して和歌山城主となり、連立式天守を建て、現在の本丸・二の丸・西の丸に屋敷を造営し、その19年後に紀州徳川家が成立しました。

 

紀州徳川家は尾張・水戸とともに「御三家」と呼ばれ、8代将軍吉宗(よしむね)、14代将軍家茂(いえもち)を輩出しました。

 

 

8代将軍吉宗(よしむね)は、時代劇の「暴れん坊将軍」のモデルとなった人です。(役者は松平健さん)

 

 

14代将軍家茂(いえもち)は、以前神奈川県箱根の記事で取り上げましたが、幕末の将軍で、皇女和宮と結婚した将軍です。

箱根旧街道と徳川家茂の記事はこちら

徳川将軍霊廟の記事はこちら(家茂と和宮のお墓があります。東京タワーの隣の増上寺)

旧・江戸城本丸跡(皇居東御苑・江戸城天守跡)の記事はこちら・・・江戸城があったところ。

 

 

 

徳川吉宗は「紀州の殿様(5代藩主)」というイメージが強いですが、紀州藩主としての治世の10年6か月のうち、紀州在国の通算は2年4か月しかなかったそうです。

ほとんど江戸にいらしたんですね~。(もう一人の紀州徳川藩出身の14代家茂は、江戸住まいで一度も紀州へ来たことがなかった)

 

和歌山城は紀州徳川家が築城したのではなく、羽柴と浅野が築城・造営したのも知りませんでした。

 

もともと羽柴が築城した時は、黒いお城だったようです。【熊本城】みたいな外観だったのかも・・・。

 

 

徳川吉宗は、紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれたため、後継者としての順位はとても低いものだったのですが、周りがバタバタと死んでいき、表舞台に出てきた幸運の持ち主です。

 

以前、歴史ミステリー番組で「吉宗の母お由利の方(浄円院)は巨勢(こせ)の娘で、忍者だった?」とありました。

周りがバタバタと死んで、運よく紀州藩主に就けたのは、偶然ではなかったのかもしれません。

吉宗は、将軍の直接の命令で動く情報収集機関「お庭番」を初めて創設しましたし、忍者と関わりがあったようです。(母も忍者?)

 

ちなみにお庭番は、紀州出身者が多かったらしい。

 

 

お庭番を意識してか、和歌山城ではおもてなし忍者がいて、階段を上れない人をサポートしたり、記念写真を撮ってくれたりします。

 

忍者と言うと、隠れ蓑術やけむりだま、手裏剣、まきびしなどを駆使する暗殺集団のイメージがありますが、情報収集のプロだったようです。

 

役人を通じてしか入らなかった情報が、直接配下のお庭番が収集することによって、知られたくないあんなことやこんなことが、吉宗の耳に入る・・・。

 

 

おお、実はコワイ殿さまだったんですね~~!

 

 

吉宗の功績をざっくり紹介。

・質素倹約で幕府の財政を立て直した。
・大奥の美女(自称・他称含む)を50人ほど解雇した。
・目安箱を設置して町民からの意見を聞いた。目安箱の鍵は吉宗しか持っていない!
・砂糖作りを奨励し、和三盆ができた。伊勢の赤福もちはもともと塩味だったけれども、吉宗が砂糖の生産を上げたので、甘い赤福もちになった。(それまで砂糖は清から輸入していたので大変高価だったけれども、自分の国で生産できるようになり、甘味が増えて安くなった)
・享保の大飢饉を経験し、救荒作物としてサツマイモの栽培を全国に奨励した。
・ベトナムから象を輸入して象ブームを作った。
・キリスト教関連以外の書物に限り洋書の輸入を解禁したので、蘭学ブームが起こった。
・飛鳥山や隅田川堤などへ桜の植樹をし、花見の場所を提供した。花見や隅田川の花火は吉宗の功績。
・小石川養生所をつくり、無料で医療をほどこした。小石川養生所は、140年間、庶民の健康を守った。
・お庭番衆を設立。いろんな情報が自分の耳に直接入ってくるようにした。

いろいろやってますね~、吉宗さん!

 

 

私が「お?」と思ったのは砂糖。

吉宗公が砂糖作りを奨励し、国内で砂糖が増えて庶民が甘いものを気軽に食べられるようになったのですが、同じく紀州徳川家からでた14代将軍家茂(いえもち)は、大変甘いものが大好きなお殿様だったようで、現存する31本の歯のうち、30本が虫歯!

甘いものばかり食べ、ビタミンB1不足で脚気になり、心臓麻痺を起こして20歳で死んだとか・・・。(幕末の大変な時期だったので、暗殺説もあり。家茂の妻は皇女和宮で、孝明天皇の異母妹だった。家茂は孝明天皇に攘夷を誓った殿さまです)

→→箱根旧街道と徳川家茂の記事はこちら・・・神奈川県箱根町。家茂と和宮について書いてあります。家茂が亡くなったと聞いた和宮は、寂しくて詩を詠みました。和宮は、明治天皇の叔母にあたる方です。

 

 

家茂の死因はどうだったのかわかりませんが、虫歯の多さには吉宗さんも天国で「もうちょっと甘いものを控えなさい」と心配していたかもしれませんね。

 

 

ちなみに吉宗さんは、自分を見出してくれた5代将軍綱吉(生類憐みの令で有名)を大変尊敬していたようで、お墓は東京都上野の寛永寺(かんえいじ)で、綱吉の霊廟に合祀されたようです。

 

 

 

 

 

和歌山城天守閣は有料で、大人 410円、小人 200円かかります。

 

 

天守閣の中は資料館になっていて、お城の模型や甲冑、武器などが並んでいました。

 

 

照明が紀州てまりで美しい♪

 

 

1995年放送のNHK大河ドラマ「8代将軍吉宗」で使われた、虎のふすま。

 

 

天守閣からの眺め。

 

 

もともとの和歌山城の図。

和歌山城は国宝だったのですが太平洋戦争で焼け落ちてしまい、昭和33年に鉄筋コンクリート作りで再建されました。(国宝だったのに~~~!)

 

 

父「和歌山城? お父さんより年下よ~」(父は昭和30年生まれ)

祖母「和歌山大空襲の時はすごかったんやでぇ~。お城のお堀が、死んだ人で埋め尽くされて・・・。今でも骨沈んでるんちゃうかぁ」

 

 

焼失してしまった和歌山城再建の際、和歌山県出身の松下幸之助(松下電器・現パナソニックの創業者で、松下政経塾を立ち上げた)は、多額の寄附金を送ったそうです。

(→→紀伊風土記の丘資料館も、松下幸之助の寄付で作られた)

 

 

戦争で焼け落ちた城といえば、尾張徳川家の居城である名古屋城もそうですね。(→→【名古屋城】の記事はこちら

 

紀州、尾張は太平洋戦争で城が焼け落ちた・・・、とすると、水戸藩の城はどうなのかと調べますと、水戸城もやっぱり太平洋戦争で焼け落ちていました。

 

戦争ってやっぱり、するもんじゃないですね。

 

人の命も、貴重な文化遺産も失ってしまうのですから・・・。

 

ちなみに江戸城の天守閣は、江戸時代の火災で焼失しています。大奥や殿様が住んでいた御殿も、火災や、時代の移り変わりによる撤去などで、ほぼ残っていません。

 

 

 

 

天守閣のしゃちほこ。
【名古屋城】みたいな派手さはありません。

 

 

天守閣からの眺め。
右側にある大きな建物(下部が少し大きいビル)は、和歌山市役所です。
奥の山は和泉山脈で、大阪と和歌山の境界です。

 

 

奥に見えるのは紀ノ川です。

 

 

 

 

こちら、3月の写真。
和歌山城は桜の名所(600本)で、春は花見客で賑わいます。
夜桜も綺麗ですよ~。

 

 


 

 

 

追廻門(市指定文化財)と桜。
和歌山城には、一の橋と大手門、岡口門などがあります。
多くの方は、市役所前の大通りに面している一の橋と大手門から入ることになります。

 

 

岡口門は空襲でも焼けずに残った旧藩時代の数少ない遺構で、北側の土塀とともに昭和32年(1957)に重要文化財に指定されています。

 

 

 

 

七福の庭。

 

 

和歌山城の石垣にはたくさんの刻印があります。ぜひ探してくださいね♪

 

 

次は、西ノ丸庭園へ。

松下幸之助の寄付により作られた紅松庵(こしょうあん)と、紅葉渓は、大変美しいそうです。お抹茶が頂けます。

 

 

 

その他見所は、和歌山城HPでご覧ください。

和歌山城跡として現存しているのは最盛期の4分の1ほどで、ずいぶん小さくなりました。

 

 

時代劇「暴れん坊将軍」のオープニングで、上様(うえさま)が【三保の松原】を白馬でかけぬけるシーンがあったのをご存知でしょうか(昭和世代は知っている)。和歌山城吹上口にある「わかやま歴史館」の近くに、顔出しパネルがありました。ここから顔を出せば、あなたも上様!

 

 

わかやま歴史館。和歌山城の豊富な史資料を展示しているほか、江戸時代の和歌山城をVRで再現した「よみがえる和歌山城」の上映、市内名所・旧跡への観光案内、和歌山のお土産物の販売等をしている総合ガイダンス施設です。

 

 

わかやま歴史館前の顔出しパネル。

 

 

また、和歌山城の護国神社の近くには、徳川吉宗の像があり、

 

 

岡公園の近くには陸奥宗光(むつむねみつ)の像があります。西欧列強との間で結ばれた不平等条約の改正に尽力した方で、別名が「カミソリ大臣」。

 

徳川吉宗、陸奥宗光の他に、南方熊楠、花岡青洲、松下幸之助・・・と、数々の偉人を輩出した和歌山!

山、海、川に恵まれ、温暖で、食べ物がおいしい♪

 

 

皆様もぜひ、和歌山へ!!!

 

 

次は、和歌山城の敷地にある「和歌山公園動物園」を取り上げたいと思います。この動物園は、100年以上の歴史があるのです!

 

 

(この旅行記は2007年、2013年、2023年のものです)

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紀州徳川家をビックリさせたであろう一大事件→→海金剛(うみこんごう)、日米修交記念館の記事はこちら・・・日本に初めてアメリカが来航したのは、浦賀ではなく和歌山の紀伊大島!

 

→→【旧・江戸城本丸跡(皇居東御苑・江戸城天守跡)】 江戸は結界で守られていた・・・吉宗は、紀州藩主から徳川8代将軍になった。江戸城跡は皇居の隣です。

→→【名古屋城】 日本三名城。徳川御三家の一つで、金鯱がスゴイ。木造に建て替えるため入城停止中。・・・徳川御三家。

→→【増上寺】 東京タワーの足元にある、徳川将軍家とゆかりの深いお寺。徳川将軍家墓所と、宝物館・・・紀州徳川家から出た将軍「家茂(いえもち)」と、その妻である皇女和宮(かずのみや)の墓は、東京タワーの足元にあります。(吉宗の墓は上野の寛永寺です。また訪れたら記事にします)

→→【北海道の命名者、松浦武四郎の一畳敷を見る】 国際基督教大学(ICU)の文化祭で泰山荘見学。湯浅八郎記念館でも特別展開催中・・・紀州徳川家の当主・徳川頼倫(よりみち)は、北海道の命名者である松浦武四郎を尊敬していた。頼倫が設計した高風居(こうふうきょ)は、武四郎の一畳敷と共に、東京の大学構内に保管されています。

→→【日光山観光①】 輪王寺三仏堂、日光東照宮の陽明門や三猿など見どころたくさん。家康の墓の謎・・・栃木県日光市。徳川幕府をつくった初代将軍の家康が祀られています。世界遺産。

交通アクセス

JR和歌山駅、または南海和歌山市駅から公園前経由のバスに乗車し、「公園前」で下車します。公園前を経由するバスは多いので、本数はあまり困らないと思います。
和歌山駅から乗車する場合、運賃は230円、乗車時間は5分。
和歌山バスHP

遠方から行く場合、 新大阪駅で新幹線をおりて、特急くろしお(特急料金必要)か、和歌山行きの快速電車(紀州路快速など)に乗り、和歌山駅で下車します。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。

車で行く場合、和歌山城に有料駐車場があります。

料金について

天守閣入場料金・・・大人410円、小人200円(小・中学生)
入館時間9:00〜17:30(入場は17:00まで)
8月20日~8月31日までの期間、午後8時まで(入場は午後7時30分まで)

近くの宿泊施設

ダイワロイネットホテル和歌山。和歌山城のすぐ目の前のホテルです。

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