【芝の増上寺(ぞうじょうじ)】 東京タワーの足元にある、徳川家の菩提寺。徳川将軍家墓所と、宝物館

【浅草寺】と、【スカイツリー】を取り上げた流れで、東京タワーの記事を書こうと思ったのですが、先に増上寺(ぞうじょうじ)を書きます。

増上寺は、東京都港区にあり、浜松町駅・大門駅方面から東京タワーへ行く途中にある大きなお寺です。

このお寺は、徳川将軍家とつながりの深いお寺で、徳川将軍家墓所と、宝物館があります。

東京タワーと併せて見ると、半日くらいかかります。

参拝記

増上寺に一番近いのは御成門駅と芝公園駅ですが、私達はいつも浜松町駅から行きます。

 

写真は大門です。

東京タワーも見えるので、写真を撮る方がチラホラ。(私も撮った)

 

 

 

日比谷通りに面した三解脱門。

東京都内有数の古い建造物(1622年)で、東日本最大級を誇る門です。

三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門だそうです。

戦災をまぬがれた建物の1つで、国の重要文化財に指定されています。

三解脱門にアンテナが立っているように見えますが、後方にある東京タワーがチラリと見えているだけです。

 

 

 

三解脱門のアップ。歴史を感じますね。

 

 

 

増上寺大殿。

戦災で焼失した本堂が再建されたもので、首都圏では最大級の御堂だそうです。

浄土宗の寺院で、本堂のご本尊は室町時代に製作された阿弥陀如来。
弘法大師空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が、増上寺の前身だそうです。

 

(弘法大師空海が開いた高野山の記事が4つありますので、高野山の総門・大門(国の重要文化財、世界遺産)の記事からご覧ください)

 

1393年に浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれ、600年くらいの歴史がありますが、徳川家康により現在地に移され、徳川家の菩提寺となりました。

 

風水学的に、上野の寛永寺は江戸の鬼門にあたり、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したそうです。

 

 

 

江戸城の鬼門と裏鬼門・・・といえば、家康とともに江戸を設計した謎の僧侶・「天海(てんかい)」ですね。織田信長を討った明智光秀が生き延びて天海になったとか、明智光秀の子供が天海だとか、いろんな説がある人で、天台宗の僧侶です。

→→比叡山延暦寺の記事はこちら・・・天台宗の総本山。最澄が開いた。織田信長により焼き討ちにあったが、江戸時代に、天海の進言により徳川将軍が再興した。

 

そんな謎の僧侶・天海により現在の地に移された増上寺は、もっと大きなお寺でしたが、徳川幕府の崩壊と、明治維新後の神仏分離の影響により規模は縮小し、境内の広範囲が芝公園となってしまいました。

さらに、東京タワーの建設時、墓地の一部を土地として提供したそうです。(だからこんなに近いんですね)

 

 

 

大殿の右端に、地下の宝物展示室へと続く階段があります。

宝物展示室は有料で、じっくり見ても1時間くらいの小さな部屋で、再入場不可、写真撮影禁止です。

一番の見所は、台徳院殿霊廟模型。

徳川家の霊廟の中でも最も壮麗とされる、日光東照宮のプロトタイプとなった霊廟で、国宝でしたが戦災で焼失してしまいました。

その失われた美しい霊廟を、10分の1スケールにした精巧な模型です。
日英博覧会の後、ロンドン・キューガーデンにて公開され、その後は英国王室コレクションの倉庫に100年間保管されていたのが里帰りして展示されています。

展示室入り口にはチャールズ皇太子の言葉が掲示され、展示室の奥では模型に関するビデオ上映がありました。

 

霊廟は焼けてしまいましたが、惣門は焼けずに残り、近くにあります。

 

 

私達が訪れたのは、2016年の夏で、宝物館の企画展として、五百羅漢図の展示もありました。

狩野一信が10年かけて作った大作で、期間中作品を入れ替えて展示しているようでした。

仏教に帰依した鬼が木材を運んでいたり、羅漢が獅子やイセエビに乗っていたり、見ているだけで面白い羅漢図でしたが、現在は宮川香山展を開催しているようです。(2016年12月25日まで)

 

 

あとは、常設展で葵紋の解説も勉強になりました。

もともと葵紋は、京都の賀茂神社の神紋だったそうで、徳川家の祖先が加茂朝臣松平と称して、賀茂神社の有力な氏子だったので、二枚の神紋から三枚とし、家康が徳川家の家紋としたそうです。

 

葵の御紋は時代によって、33、23、27、13と、葉脈の数が違うそうです。
徳川御三家と言えば、水戸、尾張、紀州ですが、これらもそれぞれ御紋が違います。
わかりやすい展示だったので、オススメ。

 

 

 

宝物館を出ると、右隣に安国殿があります。

「黒本尊」といわれる室町時代の恵心僧都作とされる秘仏の阿弥陀如来をおまつりし、徳川家御歴代の位牌、皇女和宮の等身大の像がありました。
お守り授与、ブックレットや土産の販売は、ここです。

 

 

 

将軍家系図もありました。好きな人はここでずいぶん時間を取られそう。

 

 

 

安国殿の右側から、徳川将軍家墓所へ。

 

 

 

旧文昭院霊廟奥院中門。


徳川将軍15代のうち、6人(2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂)が祀られています。

 

増上寺境内にはもともと国宝に指定されていた霊廟があり、日光東照宮のように美しかったそうですが、戦災で焼けてしまいました。

霊廟に祀られていた遺体は、昭和33年(1958年)調査発掘された後、火葬され、現在地で眠っています。

 

4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13台家定は上野の寛永寺で眠っています。

初代将軍家康は栃木県の日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)、3代家光は、同じく日光の輪王寺大猷院霊廟(りんのうじ たいゆういんれいびょう)に祀られています。

→→日光東照宮の記事はこちら・・・徳川幕府初代将軍 徳川家康の墓所。三代目の家光は東照軍の隣にある大猷院に眠る。世界遺産。

 

 

徳川幕府最後の将軍、15代慶喜のみ、谷中霊園で眠っています。(寛永寺墓地に属するそうです)

 


幕末・維新期の通史として最高水準にあるといわれる本。財界の大御所である渋沢栄一が旧主の汚名をそそぐため明治26年に企画したもの。以後25年におよぶ歳月を費やして完成された。全四巻。

 

 

各将軍については、徳川将軍一覧 ウィキペディアでご覧ください。

 

土日祝日はボランティアさんが解説をしてくださるようで、運良く居合わせました。

 

 

旧文昭院霊廟奥院中門の中で一番豪華だった、六代将軍・家宣(いえのぶ)の墓。

 

 

いくつかあるお墓の中で、あと2枚だけ写真を載せます。
まずは、14代将軍徳川家茂のお墓。

徳川御三家紀州藩から輩出されたお殿様の1人です。

紀州藩出身のお殿様で有名なのは、8大将軍吉宗でしょうか。暴れん坊将軍のモデルとなった人ですね。

私の故郷、和歌山市には徳川御三家紀州藩・和歌山城(国の史跡)があるので、興味のある方は記事をご覧ください。
(和歌山城は国宝だったのに、戦争で焼けてしまいました・・・)

 

家茂は、甘いものが大好きなスイーツ将軍で、虫歯だらけだったそうです。(砂糖作りを奨励したのは同じく紀州藩出身の吉宗。吉宗が砂糖作りを奨励するまで、伊勢の赤福もちは塩味だった)

この家茂さん、とっても優しいお殿様で、夫婦仲の良さは歴代将軍ナンバーワンだったとも言われているそうです。

幕末のお殿様で、将軍としては229年振りとなる上洛(京都の朝廷の元に行った)をし、義兄にあたる孝明天皇に攘夷を誓いました。
第二次長州征伐の途上、大坂城で亡くなります。
享年21歳という若さでした・・・。(病気説と暗殺説があります)

 

 

次に、14代将軍徳川家茂の正室、皇女和宮のお墓。
有栖川宮熾仁親王と婚約していたものの、徳川幕府との政略結婚で家茂と結婚させられます。
この時、和宮は15~16歳でした。

しかも将軍家茂は幕末のお殿様でとっても忙しかったので、二人が一緒に居られた通産期間は2年ほどしかなかったそうです。

家茂と和宮については、箱根旧街道杉並木、石畳道の記事で少し書きましたので、ご覧ください。

彼女は、31歳という若さで亡くなりました・・・。

和宮は皇族であり、明治天皇のおばにあたるので、お墓は青銅製で、菊の御紋まで付いており立派です。

京都に埋葬しようという話もあったそうですが、ご本人が生前に「家茂のすぐそばに葬ってほしい」とおっしゃっていたため、京都ではなくここに埋葬されたそうです。

 

 

増上寺にある徳川将軍のお墓は、6代家宣のみ青銅製で、後は石のお墓でした。

それというのも、質素倹約で有名な吉宗さん(と、その前の7代)から、将軍のお墓は銅ではなく石になったそうです。

吉宗の子供である9代目将軍は、増上寺に眠っていますが、吉宗さんは自分を見出してくれた5代将軍の綱吉(生類憐みの令で有名)をとても尊敬していたので、上野の寛永寺の綱吉の霊廟に合祀されたそうです。

ボランティアさんの解説を聞くほうが、勉強になりますので、ぜひ時間を合わせて行ってくださいね。一日に4回あるそうです。

 

徳川将軍家墓所に立ち、戦争で焼ける前の霊廟はどれだけ立派だっただろうか・・・と、残念に思いました。

また上野の寛永寺に行ったら、追記したいと思います。

 

 

 

 

増上寺の境内右隅には熊野神社があります。

熊野詣の記事がいくつかあるので、興味のある方は熊野本宮大社(世界遺産)からご覧ください。

 

次は、東京タワーについて書きます。

 

次の記事はこちら

続けて東京都の観光紹介です。 前回、増上寺(ぞうじょうじ)を書きましたので、今日はその隣の東京タワーについて書きます。 レジャー記 東京タワーへの交通アクセスは、 ・大江戸線「赤羽橋駅」から徒歩5分 ・日比谷線「[…]

(この参拝記は2016年です)

関連記事

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→→金龍山浅草寺の記事はこちら・・・江戸幕府の祈願所。東京で一番古い寺。

→→【旧・江戸城本丸跡(皇居東御苑・江戸城天守跡)】の記事はこちら・・・徳川幕府将軍の居城。皇居東御苑に当たります。無料で入れます。

→→【比叡山延暦寺 横川(よかわ)エリア②】の記事はこちら・・・江戸の街づくりに携わった「天海(てんかい)」は天台宗の僧侶。比叡山は天台宗の総本山です。天海が尊敬したのは、おみくじの創始者である元三大師でした。

交通アクセス

・JR線・東京モノレール 「浜松町駅」から徒歩10分
・都営地下鉄三田線 「御成門駅」から徒歩3分、芝公園から徒歩3分
・都営地下鉄浅草線・大江戸線 「大門駅」から徒歩5分
私達はいつも、浜松町駅から行きます。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。

車で行く場合、10台停められる駐車場があるそうです。

料金について

・宝物展示室は一般 700円。開館時間は10:00~17:00。
・徳川将軍家墓所拝観冥加料 大人500円(高校生以下無料)。拝観受付時間は10:00~16:00(最終入場15:45)。

土日祝日は、港区観光ボランティアによる案内説明があります。

宝物展示室と徳川将軍家墓所拝観とのセット券は1,000円です。
毎週火曜日が休館。

近くの宿泊施設

東京プリンスホテル。

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