和歌山には、近畿で初めて見つかった6500年前の貝塚や、5000年前の縄文遺跡があった!

青森県青森市にある国内最大級の縄文遺跡【三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)】を取り上げた「縄文時代」の関係で、一つ記事を挟ませてください。

 

 

今年のゴールデンウィーク和歌山帰省、紀伊風土記の丘で作ったハニワ。

→→紀伊風土記の丘の記事はこちら・・・和歌山市。紀氏と関わりの深い古墳群です。

→→紀伊風土記の丘②の記事はこちら・・・奇妙な「両面人物埴輪」が出てきた。

 

私と夫は、子供達を両親に見てもらい、二人で紀伊風土記の丘を散策しました。

 

その時、私は夫に、

「どう? 和歌山、すごいやろー。こんなにいっぱい古墳あるんやでぇ~。青森にこんなに古墳が密集したとこ、ある?」

と、軽く自慢したのです。

 

 

すると夫は、こう返事しました。

「うん、まぁね。でも、青森はまた歴史が違うから」

「!!!  それって三内丸山遺跡(←日本最大級の縄文集落跡)のこと?」

 

夫、ニヤリ。

 

 

 

く~~~~~!
なにぃぃぃぃ~~~!

 

 

私は、ちょっと、悔しかった(笑・・・)。

 

そりゃ、古墳時代よりは、縄文時代のほうが昔ですからね~。

 

 

和歌山にも縄文人が住んでいたんだろうけど、遺跡あったっけ?  しらんな・・・。

 

 

その後、私達は紀伊半島を海沿いにぐる~~~っとまわって三重へ抜け、名古屋から新幹線に乗って神奈川に帰ったのですが、車を運転していて、紀伊半島も栗の木がけっこう多いことに気づいた。

 

栗の木は、5月ごろに開花して花粉を飛ばすんで、匂いがすごいし、花の数が多いので周りの木と比べてやたらに黄色っぽくなって目立つんです。

 

縄文時代と現代では、また気候も植生も違うでしょうが、紀伊半島は実をつける樹が多いし、降水量も多いし、海岸はギザギザしていて良い漁場。

 

温暖で食料が豊富で暮らしやすそうだから、ぜったいにいっぱい縄文人が住んでいたはず・・・。

 

と気になり、先ほど調べたら、私のふるさと和歌山市には、近畿地方で初めて発見された貝塚「鳴神(なるかみ)貝塚」というものがあるらしい。

 

鳴神貝塚は、縄文時代前期(約6500年前)から晩期(約3000年前)、さらに弥生時代まで人々が住み続けたことが遺物から推定されるのだそうです。

うひゃー、6500年前!?

 

実家からは車で15分くらいの距離だから行ってみたいのですが、石碑がポツンとあるだけなのだそうです。

 

さらに調べると、「徳蔵地区遺跡」というのが梅の産地・南部(みなべ)にあり、なんと5000年前の遺跡だというんですね。

 

これは西日本で初めて見つかった、縄文時代中期前期(三内丸山遺跡とかぶる年代)の、住居跡なのだそうです。

 

おー、すごいじゃないですか、和歌山!

近畿で初めて発見された貝塚(6500年前!)と、これまた発見が西日本初となる5000年前の住居跡!

 

 

→→徳蔵地区遺跡についてはこちらでご覧ください

石器や土器は、各地のものが集まっている。土器は瀬戸内文化圏の広範囲に分布する船元式土器をはじめ、関東、東海地方のものもたくさん出土。石器は製品のみならず、香川県の金山や奈良県の二上山などから原石が運び込まれている。また長野県の和田岬の黒曜石も確認した。

 

海上ルートを使って、東西を行き来していたかもしれない!

 

縄文人は、やっぱり高度な文化を持っていたのかもしれませんね。

 

 

 

ん~~!? 「遺跡は高速道路の下で、埋め戻してからは存在しなくなる」とありますね!

徳蔵遺跡。

 

西日本は「縄文時代の遺跡が少ない地域」といわれているそうですが、和歌山では、

・縄文人骨が多数出土した鳴神貝塚(和歌山市)
・東北地方に見られる遮光器土偶の手先の部分が出土した川辺遺跡(和歌山市)
・中期前半(約5000年前)の集落遺跡、徳蔵地区遺跡(みなべ町)
・直径15mを越す大型竪穴住居が検出された中飯降遺跡(かつらぎ町)

などの調査が相次いでいるのだそうです。

 

「近畿のオマケ」とも言われる和歌山。

 

(京阪神地域に比べて開発が遅れて?)遺跡が残ってて良かったですね!

 

 

 

あとは、言葉ですが、夫のふるさとの津軽弁も面白いですが、紀州弁(特に田辺・新宮弁)は「敬語がない」のだそうです。

 

和歌山市は紀北に位置するためか、普通に敬語使いますけどねぇ。

 

紀州弁に敬語がないのは、上下関係の少ない「皆平等」の思想が古い時代から根付いていたからだ、と言われているそうです。

 

・・・面白いですね。

 

みなさんも、自分が生まれた地域、縁あって暮らしている地域の歴史を、いろいろ探ってみてはいかがでしょうか。

 

 

(追記・・・和歌山県は旧石器時代から近代までおよそ3300の遺跡があるそうで、最古の遺物は約2万年~1万3000年前の後期旧石器時代のものだそうです)

 

 

次の記事はこちら

青森の謎スポット「キリストの墓」の記事になかなかすすみませんが、また和歌山ネタです。 →→青森の謎スポット「キリストの墓」の記事はこちら     夫のふるさと青森も気になるけれども、私は和歌山出身。 […]

 

関連記事

夫のふるさと青森県にある、縄文時代の遺跡です。
→→三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)の記事はこちら・・・5500~4000年前に、遺跡周辺で1500年間も縄文人が住んでいました。

→→名草戸畔(なぐさとべ)。「日本人」は単一民族ではない。土着民と渡来人が、時には争いながらも融合した「和」の国だった・・・古代紀国の女王。