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和歌山県旅行記

【宇賀部神社(おこべさん)】 ナグサトベの頭が葬られた地。ルバング島で終戦後30年間戦い続けた小野田寛郎さんのメッセージ

投稿日:2018年8月5日 更新日:

前回からの続きで、神武天皇(初代天皇)と古代紀国の女王名草戸畔(ナグサトベ)伝承です。

神武天皇の兄のイツセノミコトの墓がある【竈山神社】の次は、神武軍と戦った名草彦・名草姫を祀る中言神社の総本社である【吉原の中言神社】へとお参りをし、次は宇賀部神社(うかべじんじゃ)です。

 

名草戸畔(ナグサトベ)は亡くなった後、遺体は頭、胴、足の3つに分割され、頭は宇賀部神社(うかべじんじゃ)に葬られたと伝わっているそうです。

参拝記

【吉原の中言神社(なかごとじんじゃ)】へお参りし、夫のアイフォンでルート検索してもらいながら、ナグサトベの頭が葬られた宇賀部神社(うかべじんじゃ)へ向かったのですが、道が狭い!

 

運転席の私「えっ、この道!? ほんとにこの道!?」

助手席でナビする夫「そうだよ、ここを行くんだよ」

 

 

私「うわ~~、めっちゃ道せまっ! 宅急便の車とか入ってこれんのかな!?」

軽自動車で来てよかったと思いました。

 

駐車場に到着。訪れたのが夕方だったためか、私たち以外の参拝客はいませんでした。

 

駐車場にあった説明板。

小野田 寛郎(おのだひろお)さんは、終戦を知らずに、フィリピンのルバング島で、戦後30年間戦い続けた方です。

→→小野田寛郎 ウィキペディア

 


 

戦争は昭和20年(1945年)の8月に終わりましたが、小野田さんらは終戦を知らず留まることになり、その後は幾度か投降するよう命令を受けましたが終戦を信じませんでした。(太平洋戦争は終わりましたが、朝鮮戦争やベトナム戦争が続き、アメリカ軍がざわついていたので、戦争はまだ続いていると思っていた。また、日本はアメリカの傀儡政権になってしまっていると思っていた)

 

しかし、昭和49年(1974年)に探検家の鈴木紀夫(すずきのりお)さんがルバング島に行き、小野田さんと接触。

小野田さんは銃を向け警戒していましたが、サンダルに靴下をはいているスタイルの鈴木さんを見て「現地人(ルバングの人)はこんな格好をしない」と銃の引き金から指を放し、幾度か会話。数日かけて、徐々に警戒心を解きました。

小野田さんが「戦争は終わった」と信じ、武装を解いて帰国したのは、鈴木紀夫さんとの接触があったからでした。

これらのことは、ご本人が著書に詳しく書かれておりますので、お読みください。

 

宇賀部神社は小野田さんの実家です。細かく言うと、宮司家を勤めているのは本家で、小野田 寛郎さんは分家の人です。

駐車場は、小野田 寛郎さんの御両親が晩年を過ごした屋敷跡なのだそうです。

小野田さんには兄弟が何人かおられましたが、お兄さんは戦争で亡くなられているようで、寛郎さんは戦後30年経って帰ってきたわけですから、さぞかしご両親は長い間胸を痛めておられただろうなぁと思います。

 

 

真ん中の方が、小野田寛郎さん。

戦後30年間毎日武器の手入れを怠らず、一か所にとどまらないで警戒し続ける日々。長い長い戦争でした。

生きるか死ぬかですから、きれいごとも言っておられず、原住民からの略奪や、時には殺害もし、南の島でサバイバル生活を続けました。

 

 

それでは、小野田家が代々守ってこられた宇賀部神社(うかべじんじゃ)へお参りに行きましょう。

先に書きましたが、ここは古代紀国の女王ナグサトベの頭が葬られているとされている地です。

→→【吉原の中言神社(なかごとじんじゃ)】・・・名草戸畔(ナグサトベ)についてはこちらからご覧ください。神武軍と戦闘になり、死亡。遺体は頭、胴体、足の3つに分割され、別々の地に埋葬された。

 

 

神社の境内図。宇賀部神社は小野田城跡にあります。

 

 

参道を上る。

頭を祀ることから「おこべさん(頭の神様)」として、多くの受験生が参拝する神社です。

 

 

左手側に看板がありました。右は小野田さんのメッセージです。

「暮らしの中に、感謝祈りのこころ  そして笑い(笑顔)を!」

 

 

途中、小野田さんの父である種次郎さんの歌碑がありました。

 


拝殿。奥に本殿があります。

 

 

拝殿手前に、名草戸畔(ナグサトベ)伝説が書かれてありました。

神明帳によれば「カグツチノカミ(火の神)」となっているが、一説には名草山辺りに本陣を構えた豪族の首長・ナグサトベの頭を祀るとも伝えられている。

駐車場近くにあった看板には、「古記録は戦国時代の戦火で焼失して、由緒を尋ねる確たる典拠がない」と書かれてありました。

 

 

 

拝殿には、小野田さんと冒険家の鈴木紀夫さんの石膏像や、著書がありました。

 

 

現在の平和が、戦争で散華された英霊の尊い犠牲の上に成り立っていることを、私たちは決して忘れてはなりません。戦争は人同士が殺しあう究極の悪事であるから、絶対に始めてはいけない。

 

 

ルバング島に入り、小野田さんと接触して救出活動に大きく貢献した、冒険家の鈴木紀夫さんは千葉県出身。名前の「鈴木」は和歌山が発祥の地(和歌山県海南市の藤白神社)と言われ、「紀夫」は紀國の「紀」で、何か不思議な因縁めいたものを感じる・・・と書かれてあります。

 

小野田さんが終戦後30年間もサバイバル生活で生き延びたのも、鈴木さんと接触して救出されたのも、何らかのご加護があったのではないかなぁ・・・と、思います。

 

ちなみに、鈴木紀夫さんは「パンダ・小野田さん・雪男に会うのが夢だ」と語っていたようで、小野田さん救出後、最後に残った「雪男」の発見に情熱を注ぎ、ヒマラヤで遭難し、亡くなられました。鈴木さんは亡くなる前に、雪男に会えたのでしょうか・・・。

 

 

本殿に手を合わせ、横から本殿の後ろを見る。

宇賀部神社が山にあることがよくわかります。

もともとここは小野田さんのご先祖が城主であった「小野田城」でしたが、豊臣秀吉の紀州攻めで落城し、古記録が燃えてしまいました。

 

江戸時代に紀州藩が編纂した「紀伊続風土記」や、宇賀部神社略記とあわせて考えると、この神社の創建は平安時代の頃のようで、祭神は宇賀部大神一柱のみとなっており、後にカグツチノミコトを勧請したようです。

→→【花の窟・花窟神社】の記事・・・カグツチノミコト(火の神)について書きました。国生みをしたイザナミノミコトは、火の神を生んで大やけどをおって亡くなり、花の窟か比婆山に葬られたとされる。

 

現在、本殿の祭神は、宇賀部大神、荒八王子命、誉田別命(八幡神)です。

謎の「宇賀部大神」ですが、これはナグサトベの「頭(こうべ)」から「宇賀部(おこべ・うかべ)」へと変わったようです。

 

なかひらまいさんが書いた名草戸畔 古代紀国の女王伝説に、小野田さんのインタビューが載ってあるので、ぜひご覧ください。

 

前回の【吉原の中言神社(なかごとじんじゃ)】の記事にも書きましたが、私は自分のルーツを知りません。(大半の方がそうだと思いますが)

しかし、小野田さんは何千年も前の祖先の話を父から聞き、知っておられました。

 

 

以下、名草戸畔 古代紀国の女王伝説から、小野田さんのインタビューを抜粋し、簡単に書きます。

ナグサトベ一族らは、もともと九州の宮崎から大分あたりに住んでいたけれども移住し、和歌山の名草山周辺にやってきた。(この時、すでに小柄な先住民がいたが、山に追いやられた)

名草一族は紀ノ川流域を開発し、後に出雲からやってきた人たちとも仲良くしていた。

そこにイワレヒコ(後の神武天皇)らがやってきて戦いになり、ナグサトベは戦死。イワレヒコらは名草軍に撃退され、紀ノ川を上れずに紀伊半島を迂回。熊野のニシキトベらを討ち、ヤタガラスの案内でヤマトに入った。イワレヒコらと同族のニギハヤヒは、ナガスネヒコを切って、帰順した。

同盟を組んでいたナガスネヒコがヤマトで死んだので、名草一族も降伏することになった。

ナグサトベは、山のお社の一番上に、頭が葬られた。ナグサトベは自分のところ(小野田家)の先祖だったと思う。

 

宮司家に伝わる話だけではなく、地域の方が「里の伝承」としてナグサトベのことを伝えてきた事にも、驚きました。

前回書いたこととかぶりますが、ぜひ、ご自分が生まれた地域、お住まいの地域の伝承を聴いてみてはいかがでしょうか。逞しく生き抜いてこられた先人の話に、きっと胸打たれることと思います。

 

 

始めは宇賀部大神一柱のみだったようですが、現在は末社に、稲荷神社、山王神社、多賀神社、秋葉神社、弁財天神社、祇園神社があります。

 

 

神木、栂(とが)の木。

 


 

小野田さんの座右の銘が書かれた石碑、「不撓不屈(ふとうふくつ)」。

近くには、小野田さんから若人へのメッセージがありました。

人はひとりでは生きられません。社会の中で生きるにはルールを守り、自制することも必要でしょう。

自らの心を鍛え、自分の行動に責任を持って、たくましく、のびのびと生き抜いて行ってください。

 

終戦から30年経ち、ルバング島から日本に帰国した小野田さんは、ブラジルへ渡って10年かけて牛を増やし牧場経営者となりました。

しかし、日本で神奈川金属バット両親殺害事件が起こったことを知り、大変なショックを受けられ、日本の子供たちをどうにかしなきゃいけないとの使命感から、一年に一度、子供を対象にした「小野田自然塾」を開いたり、各地で講演をし、青少年の健全育成に力を入れました。

 

 

私は戦場での30年間、いつ殺されるかわからない生活をずっとやってきた。

その中では、死というものの怖さを忘れていないととても生きていけない。それを克服できたのは、任務遂行という目的があったからだ。

人間、目標があれば生きられる。もし絶望の淵に追いやれたら、どんな小さな事でも良いから目標を見つけることだ。その実現のために生きることだ。死を選んではならない。なぜなら、人は「生きる」ために生まれてきたのである。

これは、いじめや不登校などのさまざまな問題で子どもが自殺することを心配した小野田典生宮司が、小野田寛郎さんの著書「生きる」から「生きること」を見つめてもらおうと設けました。

 

小野田さんは、2014年1月16日午後4時過ぎ、東京都内の病院で、91歳で亡くなりました。

 

 

小野田さんの著書「君たち、どうする?」から一部紹介し、宇賀部神社参拝の記事を終わります。

 危機に遭遇した時に大事なことは、「今までうまくいっていたのに」と嘆いたり、「これでだめになってしまった」と絶望したりしないことです。そんな気持ちは一切捨てて、今、生きるために何をすべきなのかという目的意識を強く持つべきなのです。

 

人間は追い詰められた時、真剣に生きるための手段を考えたなら、眠っている潜在能力が目覚めて、思いもよらぬ力を発揮するのです。冷静に現状を把握して、危機を恐れずやるべきことを命がけで断行したら、必ず進むべき道が見えてきます。

私は今の日本の子供たちに、そのことをわかってほしいと願っています。引きこもりの状態に陥ったり、キレて犯罪に走ったり、自殺してしまったり、人生を放棄してしまうことだけは絶対にしてほしくないのです。

ルバングから日本に帰国して三十年が経過しました。その間に日本人、そして日本という国自体も次第に活力を失いつつあるように感じています。どんな状況においても生きる目的を明確に持ち、自分の能力をフルに活用して生きる。私が今までの人生で培ったその基本的な姿勢を、今後も自然塾の活動を通じて少しでも伝えていきたいと思います。

人は皆、生きる能力を持ち、生きるために生まれてきているのだと信じて、生き抜いてほしいです。

 

 

 

 

神武東征ナグサトベ伝承、小野田さんからのメッセージ。

あなたはどのように思われたでしょうか。

 

 

先人たちが逞しく生きてきたこと。

そして、私たちが逞しく生き抜いていくこと。

 

とても、学びの多い参拝でした。

 

 

 

この後、実家に帰ったのですが、伊太祁曽(いたきそ)神社の前を通ったので参拝しました。

すでに伊太祁曽神社の記事は書いたのですが、今回のお参りで新たに写真を増やしたのでご覧ください。

 

関連記事

→→【名草戸畔(なぐさとべ)】「日本人」は単一民族ではない。土着民と渡来人が、時には争いながらも融合した「和」の国だった

→→【古代紀国の女王。和歌山にいた三人のトベ】 神武天皇に誅された縄文の女王

→→【竈山神社(かまやまじんじゃ)】 西国三社参りの一つ。戦死した神武天皇の兄「五瀬命(イツセノミコト)」の墓がある

→→【吉原の中言神社(なかごとじんじゃ)】 名草山の北に位置する、中言神社の総本社。名草彦、名草姫(ナグサトベ)を祀る

交通アクセス

車で行く場合、無料駐車場があります。(道が細いのでご注意を)

近くの宿泊施設

紀三井寺温泉花の湯 ガーデンホテルはやし。名草山の西にある紀三井寺駅出てすぐです。

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執筆者:チョットnow


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