【玉津島神社】 天皇、山部赤人、菅原道真、小野小町も参拝した、和歌の神様。稚日女尊(わかひるめのみこと)を祀る

前回からの続きで、和歌山県和歌山市和歌浦のお参り・観光を紹介します。

今回取り上げるのは、玉津島(たまつしま)神社で、すぐ隣には塩釜(しおがま)神社もあります。

前回の【和歌浦天満宮】からは600m離れており、徒歩で移動すると8分くらいです。

玉津島神社は、住吉明神、【北野天満宮】と並ぶ和歌3神の1柱として尊崇を受けた神社です。

参拝記

玉津島(たまつしま)神社の駐車場が満車だったため、片男波(かたおなみ)公園の駐車場に停めました。

 

 

和歌浦のマップは「otent」が見やすいのでご覧ください。
周辺地図はこんな感じ。


玉津島神社、塩釜(しおがま)神社、不老橋(ふろうばし)、妹背山(いもせやま)はすごく近い距離にあるので、一気にまわれます。

 

 

片男波公園駐車場から玉津島神社まで5分くらい歩きます。

昔は干潟で葦原だった景色の、現在の姿。

・・・まぁ、よく整備されていて綺麗ですが、もう和歌を詠む景色では無いですね・・・。

 

左側に見えている橋は「あしべ橋」で、そのまた左側に不老橋がかかっています。

不老橋は次の記事で塩釜神社と一緒に紹介します。

 

 

 

玉津島神社入り口。
「大鳥居は老朽化し危険のため撤去しました。現在再建計画中なので、ご支援とご協力をよろしくお願い申し上げます。」
との看板が立っていました。

 

 

この説明書きがすごく面白い!

・和歌の浦は万葉の歌人、山部赤人(やまのべあかひと)の歌一首によって全国にその名を知られた。

・726年(いまから1300年ほど前)、聖武天皇ははじめて玉津島に行幸し、和歌の浦の景観を絶賛して、景観保全のために番人を置き、地霊祭祀の制度を定めた。

・当時、紀ノ川は河口を和歌の浦に大きく開き、そこに小島を六つ浮かべていた。それが玉津島であった。現在それらは妹背山(いもせやま)、鏡山、奠供山(てんぐやま)、雲蓋山(うんがいやま)、妙見山、船頭山の名で呼ばれ、妹背山一つを海上に残してみな陸地化している。
しかし1300年昔、赤人が「神代よりしかぞ貴き」とたたえた玉津島山の面影は、鏡、奠供、雲蓋の三つの岩山にも今も見ることができる。

 

 

現在の地形はこんなふう。

1300年ほど昔、紀ノ川の河口が和歌浦(赤い風船マークのところ)だったなんて!

 

いや~~、しらなかった!
ほんとに地形って変わりますね。

しかも小島が6つあったなんて!

→→【妹背山の記事はこちら】・・・小島のうち5つは陸地化し、今は妹背山しか小島として残っていない。

 

 

 

ああ・・・昔の景色が見てみたい・・・。

 

「神代よりしかぞ貴き」とたたえられた玉津島・・・、どれほど美しかったんでしょうね。

 

 

 

山部赤人(奈良時代の歌人)の歌

「若の浦に 潮満ち来れば 潟(いた)を無(な)み 芦辺(あしべ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」

 

私は和歌のことはさっぱりわかりませんが、この歌からはなんとなくイメージが沸いてきます。

 

大宰府へ左遷される道中の菅原道真公は、和歌浦の景色を見て、少しだけでも心を慰められたでしょうか・・・。

→→和歌浦天満宮と菅原道真公の記事はこちら・・・玉津島神社からすぐ近くです。

 

 

 

玉津島神社の鳥居。

「観月短歌祭」の立て看板がありました。

 

 

 

玉津島を詠んだ萬葉歌。

紹介するのが遅れましたが、私達が車を停めた片男波公園駐車場の奥に「万葉館」があります。 開館時間は9:00~17:00(入館は16:30まで)で、無料です。
万葉集の中には和歌山を旅した歌が107首あるそうで、シアターや解説展示があるそうです。

万葉館がある「片男波公園」は、延長千数百メートルにも及ぶ狭長の砂州半島で、現在は公園として整備されており、天気のよい日は気持ちがいいと思いますので、興味のある方、和歌のお好きな方は寄ってみてください。

 

 

鳥居をくぐると、「小野小町 袖架けの塀」との立て札がありました。

小野小町(おののこまち)・・・、平安時代の歌人ですね。

絶世の美女といわれ、恋の話も多かった(?)のか、情熱的な恋愛感情が反映された歌を詠んだそうです。
和歌の上達を願って参拝した際、袖をかけて和歌を詠んだそうです。

 

 

玉津島神社由緒略記。

神代以前の創立で、アマテラス大神の妹「稚日女尊(わかひるめのみこと)」と、この大神をいたく尊崇した神功皇后を併せまつり、後光孝天皇の御脳を平癒した衣通姫を合祀している、と書いてあります。

玉津島神社は、和歌の神として、住吉明神、北野天満宮と並ぶ和歌3神の1柱として尊崇を受けたそうです。

 

 

 


拝殿の前には、紀州藩祖・徳川頼宣が寄進した石灯篭が左右にありました。
徳川頼宣は、徳川家康の10男で、徳川吉宗の祖父にあたる人です。(正室は、肥後熊本藩初代藩主である加藤清正の娘)

→→【日光山観光①】家康の墓の謎の記事はこちら・・・栃木県日光市。江戸幕府を開いた家康の墓所。

→→【和歌山城】の記事はこちら・・・和歌山市。八代将軍吉宗の故郷は和歌山。

→→【熊本城】の記事はこちら・・・熊本市。藩主は加藤清正。

 

 

 

拝殿。

豊臣秀吉も玉津島に参拝に来たらしいのですが、それまで玉津島には社も鳥居もなく、海のそばに古松が一本横たわっているだけであったそうです。

 

というのも、昔は「玉津嶋山」が神の降臨する依代として、あるいは神そのものとして祀られていたからだそうで、本格的な整備がなされ、本殿などが造られたのは紀州藩祖・徳川頼宣(よりのぶ)の時代だそうです。

 

かつらぎ町の【丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)】の記事にチラリと書きましたが、御祭神である稚日女尊(わかひるめのみこと)は、丹生都比売神社の御祭神・丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名ともされているそうです。

他説として、稚日女は天照大神自身のこととも、幼名であるともされたり、「ホツマツタヱ」では、天照大神の諺名ワカヒトにちなんで名付けられた妹神、和歌の女神和歌姫(諺名は日霊子 ヒルコ 姫)の結婚前までの名前と記されているそうです。

ウィキペディアには「稚日女は瀬織津姫(せおりつひめ)の御子神、天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)を養育した。」とありました。天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)は、アマテラスオオカミとスサノオノミコトが誓約をした際に誕生した天皇の祖先神ですね。

 

とすると、玉津島神社のご祭神「ワカヒルメ」は、天皇の祖先神を養育した神様・・・なのでしょうか。

天照大神の幼名?
天照大神の妹神?
和歌の女神である和歌姫の結婚前までの名前?
天皇の祖先神を養育した神様?

 

・・・うーん・・・わからないたらーっ(汗)

 

稚日女(ワカヒルメ)を祀る神社

→→【生田神社(いくたじんじゃ】の記事はこちら ・・・兵庫県神戸市。地名「神戸」の語源となった神社で、約1800年物歴史があります

→→【麻賀多神社(奥宮)】の記事はこちら・・・千葉県成田市。岡本典明さんが日月神事を授かったのは総本社の方で、奥宮ではワカヒルメを祀る。

 

お参りをしようと拝殿に近寄ったのですが、中では「観月短歌祭」の真っ最中。

拍手やめたほうがいいかな・・・と、中をチラリと見たら、関係者の方が出てこられて、「ぜひ中へ入ってください」とすすめてくださいました。

この時、私は一人だけの参拝で、夫と娘は片男波公園駐車場で待ってもらっていたため、家族が待っていますので・・・とご遠慮させていただく旨を伝えたのですが、「5分だけでもけっこうですよ」と温かい言葉をかけてもらったので入らせていただきました。

 

拝殿に入れるのは、和歌祭かご祈祷時だけだそうです。

 

拝殿の壁の上部には歴代の歌人の絵がかけられ、右側にはお神輿もありました。

滞在時間は短かったのですが、短歌祭の雰囲気を体験できた幸運な一日でした。

退室するとき、係りの方に、思いつく限りの言葉で感謝の気持ちを伝え、お別れしました。

 

 

それにしても「ありがとう」という言葉は、とても気持ちが良いですね。

 

 

私は歴史ミステリーが大好きで、日本は古代イスラエル文化と関わりがあるという説にとても興味があるのですが、「ありがとう」はヘブライ語で「私にとって幸運です」の意味があるそうです。

 

他にもハッケ・ヨイはヘブライ語で「投げうて」の意味だったり、ヨイショはヤハウェに助けを求める意味だったりするそうで、「意味の良くわからない日本語はヘブライ語では意味がわかる」という面白い事実があります。(興味のある方は調べてみてくださいね)

 

 

「ありがとう」はヘブライ語で「私にとって幸運です」の意味があるといいましたが、これはとても良いことで、先日大好きなIn Deepさんの「すみません」という日本語を口から発することをやめることについての記事を読ませていただいたのですが、「すみません」という言葉には自己否定の意味合いがあり、体に良くないそうです。

 

口から出る言葉は肯定的でなければならない」そうで、相手に配慮する時に言ってしまう「すみません」を、「お願いします」や「ありがとう」に変えると良いらしいです。

 

 

「すみません」は自己否定。
「ありがとう」は自己肯定。

 



なるほどな~~~~、と思いました。

どうりで「ありがとう」は言われる側の時だけでなく、「言う側」でも気持ちが良いわけです。

 

だから、「ありがとう(私にとって幸運です)」をたくさん言いましょう♪

 

 

 

神社に話を戻しますが、私は駐車場に家族を残していたためゆっくりできなかったのですが、724年の玉津島行幸の際、聖武天皇が登り詔を出したとされる「奠供山」への登り口もあるので、お時間に余裕のある方はそちらにもぜひ足を伸ばしてみてください。夏目漱石も来たそうですよ。(聖武天皇は奈良の大仏を作らせた天皇です→→【奈良公園③ 東大寺大仏殿(奈良の大仏)】の記事はこちら

 

 

次は、玉津島神社の隣にある塩釜神社と、その向かい側にある不老橋を取り上げたいと思います。

 

次の記事はこちら

前回からの続きで、和歌山県和歌山市和歌浦のお参り・観光について書きます。 今回取り上げるのは、塩釜(しおがま)神社で、前回の玉津島(たまつしま)神社のすぐ隣。 不老橋(ふろうばし)は塩釜神社の向かい側です。 参拝記 […]

 

 

(この旅行記は2016年です)

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交通アクセス

JR和歌山駅または南海和歌山市駅で電車を下車し、新和歌浦行に乗車し、玉津島神社前又は不老橋バス停下車です。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。

バスの時刻表・運賃は和歌山バス運賃・路線検索でお調べください。
車で行く場合、参拝者専用無料駐車場があります。(停められる台数が少ないです)

参拝者専用駐車場に停められなかった場合、500mほど離れた片男波(かたおなみ)公園の駐車場に停めるのをオススメします。
200台停められ、駐車料金は一日400円です。(7月8月の海水浴シーズンは一日1000円になる)

近くの宿泊施設

和歌の浦 木村屋。

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