【麻賀多神社(奥宮)】 稚日女尊を祀る。手黒社。印旛国造・伊都許利命(イツコリノミコト)の古墳がある

前回からの続きで、千葉県成田市の麻賀多(まかた)神社の紹介です。

参拝記

「麻賀多(まかた)神社」とは聞きなれない名前ですが、印旛沼(いんばぬま)の東側から南にかけてにのみ存在する神社です。

成田市に2社(台方の総本社、船形の奥宮)、佐倉市に11社、酒々井町2社、富里市2社、八千代市1社の計18社。

 

 

前回紹介したのは、1944年(昭和19年)に岡本典明(おかもとてんめい)さんが日月神事を授かった、台方(だいかた)にある麻賀多神社(赤丸で囲った所で、総本社)。今日紹介するのは、その北の舟形にある麻賀多神社の奥宮(オレンジ色で囲った所)です。

 

 

 

麻賀多神社奥宮へ車で行く場合、京成成田駅か、公津の杜(こうづのもり)駅から15分ほど。くすのき幼稚園の駐車場に停めます。(神社の駐車場は幼稚園と共有。カーナビ設定も「くすのき幼稚園」でOK)

公共交通機関で行く場合、公津の杜駅前から出ている成田市コミュニティバス北須賀ルートに乗り、舟形で下車、徒歩数分。成田市コミュニティバスは本数がすごく少ないので、行きと帰りの時間をしっかりと調べてから行くのをおススメします。

前回紹介した、台方の【麻賀多神社(本宮)】から徒歩で行く場合、20分ほどです。

 

 

私は京成成田駅のタイムズカーシェアリングを利用して行きました。

幼稚園と共有の駐車場なので、送迎時間帯はそれなりに車があるのでしょうけれども、訪れたのが夏休み中だったので、写真のように空いていました。

 

 

こちらが、麻賀多(まかた)神社の奥宮で、奥津宮、手黒社、船形社とも言われます。

 

社伝によれば、景行天皇42年6月晦日、東征中の日本建尊(ヤマトタケルノミコト)が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け「この鏡をインバノクニタマオキツカガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であるという。応神天皇20年、神八井耳命の8世の子孫である印旛国造・伊都許利命(イツコリノミコト)が現在の成田市船形に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命(ワカヒルメノミコト)を祀った。また、伊都許利命は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを神体として和久産巣日神(ワクムスビ)を併せ祀った。この2神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。推古天皇16年、伊都許利命の8世の子孫の広鋤手黒彦命が、神命により現在の成田市台方に和久産巣日神を遷座し、それまでの社殿を奥宮とした。

 

 

 

鳥居をくぐって、右手側に、

 


印旛国造(いんばのくにのみやつこ)・伊都許利命(イツコリノミコト)の墳墓拝所があります。

国造(くにのみやつこ)とは、古代、大和王権に服属した地方首長の身分の呼び名で、地方統治を当たり、一部は祭祀を司っていました。大和政権はこの国造制のもとに地方支配体制を固め「日本」になりました。(日本の皇室は、世界最古・最長の歴史を有する)

私の故郷和歌山市は、紀伊国造の紀氏が2600年もの間【日前宮(にちぜんぐう)】に仕え今も祭祀をしています。

印旛国造・伊都許利命の後裔は太田氏で、麻賀多神社の社家(神社の奉祀を世襲してきた家)だそうです。昔々の歴史を知っておられるでしょうね。

→→国造  ウィキペディア・・・伊都許利命の名前も載っています。

 

 

千葉県指定遺跡公津原古墳群第39号墳「伝初代印旛国造・伊都許利命の墳墓」の文字と、古墳出土石。

 

 

墳墓拝所。

近くの説明書きにはこう記されていました。

この古墳は伊都許利命(イツコリノミコト)のお墓と伝えられます。ミコトは今を去る約1700年の昔(四世紀)、印波の国造(いんばのくにのみやつこ)としてこの地を治められ、麻賀多神社を創建されました。

古墳は古来、ミコトの心霊が宿るものとして崇められ、人々の信仰を集めてまいりました。現在、古墳そのものが「伊都許利命(いつこり)神社」として神社帳に登録されています。

なお、南側の階段から古墳の頭頂部に上がることができ、大墓標や顕彰史碑をご覧いただけます。

古墳の頭頂部と、伊都許利命(いつこり)神社は後でまわることにし、奥宮へ。

 

 

手水舎の石は1775年(江戸時代後期!)のもの。

 

 

台方は【麻賀多神社(本社)】、船形が奥津宮で手黒社とも言う、と書かれています。

 

 

 

麻賀多神社奥宮。

御祭神は、稚日女尊(わかひるめのみこと)。生田神社(神戸市中央区)や玉津島神社(和歌山県和歌山市)の祭神として知られている神様で、天照大神の子、妹、または天照大神自身の幼名でもあったそうです。

→→【玉津島神社】の記事はこちら・・・和歌山県和歌山市。天皇、山部赤人、菅原道真、小野小町も参拝した、和歌の神様。

→→【生田神社(いくたじんじゃ】の記事はこちら・・・兵庫県神戸市。地名「神戸」の語源となった神社で、約1800年物歴史があります。

 

 

 

 

 

摂社末社。後ろに見える建物は、幼稚園です。

 

 

 

ご神木の案内があったので、奥へ進む。

 

 

加志波比売(かしわひめ)神社。徳島県の賀志波比売(かしわひめ)神社と関係があるのでしょうか・・・?  賀志波比売(かしわひめ)神社では、「天照大御神の幼名は賀志波比売大神」としているようです。

「天照大御神の幼名」は、稚日女(わかひるめ)なのか、加志波比売(かしわひめ)なのか・・・???

 

 

ご神木。樹齢約650年の杉の木です。

【麻賀多神社(本宮)】の大杉の方が大きいですが、こちらも立派。

 

 

 

 

参道を戻って道路に出て、伊都許利命(いつこりのみこと)の墳墓と伝わる古墳へ。

伊都許利命(いつこりのみこと)は、神武天皇の皇子、神八井耳命(かんやいみみのみこと)の八代目の孫で、応神天皇に仕えた印旛国造であると旧事本記に記載されている。それは稚産霊(ワカムスビ)を祀って国社とし、稚日女尊(ワカヒルメノミコト)を祀って瀛宮としている。

 

 

・・・難しすぎて読めないですが、印波国造の伊都許利命、ワクムスビ、ワカヒルメの名前が見えますね。

 

伊都許利命が葬られたと伝わるこの古墳は、「公津原(こうづはら)古墳群39号墳」と言い、方墳(墳丘の平面形が方形になる古墳)で、全長36m、高さ5mなのだそうです。

古墳で有名なのはやはり、大阪の大仙(だいせん)古墳でしょうか。

→→【仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)】の記事はこちら・・・大阪府。世界3大墳墓の一つで、日本で一番大きな古墳です。

 

 

現在、古墳そのものが「伊都許利命(いつこり)神社」として神社帳に登録されています。

と、古墳遥拝所に説明が書かれていたのを思い出し、伊都許利命(いつこり)神社の鳥居を探すことにしました。

 

古墳の隣に金毘羅神社の鳥居。

 

 

金毘羅神社鳥居の足元に、「印波国造 伊都許利神社」とありました。なぜ金毘羅神社になったのかわかりませんが、昔は「伊都許利神社」だったのではないでしょうか。

 

 

 

麻賀多神社奥宮参拝を終えた私は、車を京成成田駅のタイムズステーションに返し、徒歩で成田山新勝寺(なりたさん しんしょうじ)に向かいました。

 

 

次の記事はこちら

前回からの続きで、千葉県成田市の観光紹介です。 【麻賀多神社(本宮)】と【麻賀多神社(奥宮)】に参拝した後、成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)に向かったのですが、途中、なごみの米屋 総本店に寄ったので先に書いておきたいと思います。[…]

 

(この参拝記は2022年のものです)

 

 

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交通アクセス

京成成田駅か、公津の杜駅から車で15分ほど。車で行く場合、くすのき幼稚園の駐車場に停めます。

公共交通機関で行く場合、公津の杜駅前から出ている成田市コミュニティバス北須賀ルートに乗り、舟形で下車、徒歩数分。