前回からの続きで、奈良県の吉野(よしの)観光の紹介です。
今日は、世界遺産の吉水(よしみず)神社を紹介します。
参拝記
世界遺産吉野山観光マップ。写真のように北(吉野山のふもと)から南(山頂)へ、下(しも)千本、中(なか)千本、上(かみ)千本、奥千本エリアに分けられており、今日紹介する吉水神社は中千本です。
吉野山は桜の名所で有名ですが、大峯信仰登山の根拠地で修験道の霊場です。
霊場「吉野・大峯」と「【熊野三山】」を結ぶ修行の道は「大峯奥駈道(おおみねくがけみち)」と呼ばれ、今も修行が行われているそうです。
2004年7月、吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、ユネスコの世界遺産に認定されました。吉野山で世界遺産登録されているのは四か所です。
吉水神社に公共交通機関で行く場合、吉野山駅から吉野山奥千本ラインバスに乗り、勝手神社前のバス停で下車(乗車時間は5分)。徒歩すぐです。
車で行く場合、境内に3~4台停められる無料駐車場があります。(春のお花見混雑時は利用できません)
境内の無料駐車場を利用する方は、写真の参道を車でノロノロと上がり、表門を車でくぐった先にあります。
もしも駐車できなかった場合、この狭い道を戻ることになるので、境内の駐車場はあまりおすすめしません。他の有料駐車場を利用しましょう。
私が訪れたのは2022年のゴールデンウィークで、下千本駐車場(一日一回1,500円~2,000円)に車を停め、徒歩で【金峯山寺(きんぷせんじ)】と、吉水神社へお参りしました。
桜が見ごろの時期である三月末~ゴールデンウィークが終わるまでと、紅葉の時期は、吉野山全体に交通規制がかかり、下千本駐車場は有料化されます。春と秋に訪れる方は事前に、吉野山の交通規制を調べて行きましょう。
開門 9:00、閉門 17:00です。
吉水神社は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つで、和歌山県の熊野三山や高野山も、この世界遺産に含まれます。
吉水神社の説明。
吉水神社は元は「吉水院」と言い、天武天皇の時代に役行者(えんのぎょうじゃ)が創建した修験宗の僧坊でした。
吉水神社は歴史のあるところで、源義経、後醍醐天皇、豊臣秀吉の時代の遺品や宝物が保管・展示されています。
- 1185年(鎌倉時代)には源頼朝の手から逃れた源義経と静御前が弁慶と共に、ここに5日間隠れ住んだ。
- 1336年(南北朝時代)、南朝初代天皇である後醍醐天皇がここを南朝の皇居とし、南朝4代・57年の歴史はここから始まった。
- 1595年(安土・桃山時代)には豊臣秀吉が、ここで盛大な花見の宴を催し、5日間滞在した。
私が訪れたのはゴールデンウィークだったので、写真のように新緑の美しい風景でしたが、
桜が咲き誇る時期はこのような景色になるそうです。
「一目千本(ひとめせんぼん)」とも言われる絶景です!
今から1300年前に役行者(えんのぎょうじゃ)が金峯山寺(きんぷせんじ)を開く時、感得した蔵王権現を桜の木に刻んだことより、吉野では桜の木を「ご神木」として保護してきたそうです。
現在ではシロヤマザクラを中心に200種・約3万本の桜が吉野山全体を覆って、吉野山の麓から山頂へかけて下千本・中千本・上千本・奥千本といい、吉水神社からは中千本と上千本の山桜を見渡すことができます。
見どころたくさんの吉水神社。
本殿。
祭神は、
- 南朝初代天皇の後醍醐(ごだいご)天皇
- 後醍醐天皇に仕えた忠臣の楠木正成(くすのきまさしげ)
- 後醍醐天皇と息子の【護良(もりなが)親王】を擁護した、南朝の傑僧である吉水院宗信法印
です。
後醍醐天皇については以前、南朝黒木御所で書いたのでご覧ください。また、お墓は天皇の御陵の中で唯一北向きに作られてあり、すぐ近くの如意輪寺(にょいりんじ)にあります。
→→【如意輪寺・後醍醐天皇のお墓 塔尾陵(とうのおのみささぎ)】 歴代天皇陵の中で、唯一北向きに作られた御陵・・・すぐ近くです。
→→【吉野神宮】 南朝初代天皇である後醍醐天皇が御祭神・・・すぐ近くです。
→→【南朝黒木御所跡と供養塔】 天河大弁財天社のすぐ後ろ。南北朝時代を簡単に説明・・・奈良県天川村。後醍醐天皇の皇子である護良親王が隠れ住んだ。
→→【鎌倉宮(かまくらぐう)・護良(もりなが)親王墓】 南朝初代天皇の後醍醐天皇皇子である大塔宮護良親王を祀る。近くに首塚もある・・・神奈川県鎌倉市。後醍醐天皇の皇子。暗殺されました。
吉水神社は参拝方法が少し変わっていて、「二礼 十七拍手 一拝」です。
社務所で拝観料を治めて、吉水院へ。拝観料は大人600円、中高生400円、小学生300円です。
吉水院(吉水神社にある書院)入り口。日本書院建築史の第一頁に位する初期書院造の代表的傑作なのだそうです。
義経・静御前 潜居の間。
1185年(鎌倉時代)、源頼朝の手から逃れた源義経、静御前、弁慶らがここに5日間隠れ住みました。
実の兄から狙われる・・・、義経はさぞかし恐ろしかったでしょうね。ここからずっと南にある金峯神社にも、義経が隠れた御堂があります。
能衣装。静御前が勝手神社で法楽の舞で身につけた衣装。【小町通りと、鶴岡八幡宮】の記事に書きましたが、静御前は義経の子どもを妊娠し、後に出産しましたが、男児であったため取り上げられ赤ちゃんを殺されてしまいました。
義経の妻は静御前ではなく郷御前(さとごぜん)で、義経の逃避行に従いましたが、追い込まれた義経により殺害されたそうです。郷御前は22歳、娘は4歳でした。(また後日、お墓を紹介します。岩手県平泉町にあります)
弁慶思案の間。
南朝初代天皇である、後醍醐(ごだいご)天皇玉座。
京都に戻ることを願いながらも、病で薨去されました。
歴代天皇の肖像画(ほとんど想像画)。日本の皇室は世界最古・最長の歴史を有しています。後醍醐天皇は第96代天皇および南朝初代天皇です。
後醍醐天皇、後村上天皇の御物。
武蔵坊弁慶が所持していた籠手。
弁慶の武装槍。
弁慶ファンはこちらの記事もどうぞ。弁慶の故郷は和歌山県。
→→【闘鶏神社(世界遺産)と、弁慶生誕地の碑】 武蔵坊弁慶の父とされる湛増(たんぞう)が、神意を確認した神社・・・和歌山県御坊市。
→→【熊野速玉大社(世界遺産)】 熊野三山の一つ。御神木「ナギ」の木、牛王符。熊野と沖縄には繫がりがある?・・・和歌山県新宮市。
源義経が所用していた鎧。重要文化財です。
義経はこの後、岩手県の平泉に行き、妻子と共に自害したと伝わっていますが(また後日、平泉を紹介します)、実は死なずに北海道に逃げたという説もあります。
義経ファンはこちらの記事もどうぞ。
→→【小町通りと、鶴岡八幡宮】 源平の争いにゾッとする。頼朝と政子、義経と静御前・・・神奈川県鎌倉市。静御前が義経を思って舞った。
→→【義経公園、東神楽神社】 源義経は岩手の平泉で死なず、北海道に逃げた? 北海道に残る義経伝説・・・北海道。アイヌの集落沿いに義経の伝説が残る。
→→【平泉 義経最後の地】・・・岩手県。また今度書きます。
吉水神社(元は吉水院)をつくった役行者(えんのぎょうじゃ)像。役行者は飛鳥時代の呪術者で、修験道の開祖です。左右にいるのは弟子の前鬼と後鬼。
豊太閤(豊臣秀吉)愛用の金屏風、狩野山雪画「竹の図」。
文禄三年(1594年)に豊臣秀吉が南朝を偲んで、吉水院(後の吉水神社)を本陣として、盛大な花見の宴を催しました。
集まった武将は、徳川家康・加藤清正・前田利家・伊達政宗などを含めた総勢五千人の家来で、吉水院に約5日間滞在したそうです。
豊臣秀吉はその時に、後醍醐天皇玉座の間の修繕や庭園の設計などを行い、数多くの能面や金屏風などの宝物を吉水院に寄贈しました。
境内に「太閤秀吉 花見の本陣」の石碑。
「年月を 心にかけし吉野山 花の盛りを今日見つるかな」 豊 臣 秀 吉
秀吉が設計した庭。山を須弥山に見立てた、鶴亀蓬莱式の池泉鑑賞式庭園。国指定名勝。
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→→【豊国神社】 長浜を栄えさせた豊臣秀吉が御祭神。浅井三姉妹と、秀吉の子供・・・滋賀県。後に秀吉の側室になる茶々について。
秀吉はここで花見をした際、少し離れたところにある【吉野水分(よしのみくまり)神社】へ赴き、子授け祈願をしたそうです。ご利益があり、後に側室の淀殿は秀頼を生みました。
書院裏手に北闕門(ほくけつもん)。後醍醐天皇が南朝の皇居をかりそめの行殿として、いつか北闕(ほくけつ。京都)に戻る時を望みながらも病死された時、忠臣たちはここで号泣したそうです。
吉水院にあった後醍醐天皇の像(息子の後村上天皇が作った)は吉野神宮に移され、ご神体となっています。また、後醍醐天皇のお墓はすぐ近くの如意輪寺にあります。天皇のお墓の中で、唯一北向きの御陵となっています。
「明治維新は南朝の確立」と石碑にありました。
【「怨霊になった天皇」を読んだ】、【鎌倉宮(かまくらぐう)・護良(もりなが)親王墓】、【南朝黒木御所跡と供養塔】の記事にも書きましたが、天皇家の南北朝問題は複雑なのかもしれない・・・。
次は、金峯山寺(きんぷせんじ)を紹介します。吉水神社と同じく世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つで、徒歩2分ほど離れています。
2023年、あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いいたします。 今日は、奈良県吉野町の世界遺産「金峯山寺(きんぷせんじ)」を紹介します。 金峯山寺は、山岳修行の開祖である役行者(えんのぎょう[…]
(この参拝記は2022年のものです)
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交通アクセス
吉水神社に公共交通機関で行く場合、吉野山駅から吉野山奥千本ラインバスに乗り、勝手神社前のバス停で下車(乗車時間は5分)。徒歩すぐです。
車で行く場合、境内に3~4台停められる無料駐車場があります。(春のお花見混雑時は利用できません)
オススメの駐車場は、広大な下千本駐車場。花見シーズン~ゴールデンウィーク、紅葉シーズンは、普通車一台1,500円~2,000円かかります。徒歩で20分くらいかかりますが、金峯山寺も併せてお参りできるので、比較的便利です。
料金
書院の拝観料は大人600円、中高生400円、小学生300円