【狭岡神社(さおかじんじゃ)】 狭穂姫(さほひめ)伝説を残す神社。「銀の海 金の大地」の佐保姫のモデルとなった、悲劇の巫女姫

今日は、奈良県奈良市の「狭岡神社(さおかじんじゃ)」を紹介します。

ここは、「古事記」中巻の垂仁天皇記と「日本書紀」垂仁天皇4・5年条において語られている「狭穂毘古(さほひこ)王の叛乱(はんらん)」の物語と、その妹の「狭穂姫(さほひめ)」と、関わりのある神社です。

狭穂姫(さほひめ)をモデルにした小説が、30年前にあった

冒頭から「古事記」「日本書紀」「狭穂毘古(さほひこ)王の叛乱(はんらん)の物語」・・・と、難しい単語が出てきましたが、私はこれらを読んで、狭岡神社(さおかじんじゃ)と狭穂姫(さほひめ)を知ったのではありません。

 

一つ小話をしますが、私は旅行が好きであちこち巡り、その土地の歴史に触れるのが好きなのですが、そんな私の人格形成に大きな影響を与えたのが、下の本でした。

 

1970~80年代生まれで、知っている方も多いと思いますが、集英社のコバルト文庫から出ていた本。

  • 氷室冴子(ひむろさえこ)さんの「銀の海金の大地
  • 山浦弘靖(やまうらひろやす)さんの「ユーモア・ミステリー星子(せいこ)ひとり旅シリーズ」

上の写真の「銀の海 金の大地(一巻)」と、「ジョーカーは謎の旅案内人(シリーズ31作目)」は、30年前の1992年に出た本で、当時私は小学六年生でした(夢中になって読んでいたころが懐かしい~)。全巻揃えていましたが、高校を卒業して本を処分。けれども、今年の春から急に懐かしくなって、図書館で借りたり、中古本を購入しました。大人になってから読むのもまた楽しくて良いですね!

ここで、この二冊を紹介すると長くなるので、ザックリ説明しますと、

氷室冴子(ひむろさえこ)さんは、ジブリ映画の「海がきこえる」や、「なんて素敵にジャパネスク」、「ちぇんじ!」、「ヤマトタケル」を書いた方。「銀の海 金の大地」は古事記を元にしたファンタジー小説で、刊行されているのは全11巻なのですが、本当は50巻の大長編になる予定でした。

山浦弘靖(やまうらひろやす)さんは、「銀河鉄道999」、「一休さん」、「マジンガーZ」、「ゴジラ対メカゴジラ」、「首都消失」、「ウルトラセブン」などの脚本を書いた方。「星子一人旅シリーズ」は女子高校生の星子さんが、各地に一人旅に出かけ、なぜかしら必ず殺人事件とイケメンに遭遇するという、軽快なテンポのトラベル&ミステリー&ラブコメ小説。

また別の記事で、私が30年前にドはまりしていたこれらの本を紹介したいと思いますが(→→紹介記事は【→こちら】でご覧ください)、今日紹介する「狭岡(さおか)神社」の「狭穂姫(サホ姫)伝説」を知るきっかけとなったのが、30年前に出版された氷室冴子さんの「銀の海 金の大地」だったのです。

右の三人「真秀」「真澄」「御影」は、氷室冴子さんの創作人物ですが(御影は滋賀県の【三上山、御上神社】から名前をとったと思われる)、左の三人「息長(おきなが)の真若王(まわかおう)」、「丹波(たんば)の美知主(みちのうし)」、「和邇(わに)の日子坐(ひこいます)」は、古事記に登場する人物。

 

 

古事記に出てくる佐保彦、佐保姫と、その母親の大闇見戸売(おおくらみとめ)も、「銀の海 金の大地」に登場します。歴史小説ではなく、古事記の舞台(4世紀ごろ。卑弥呼の時代から50年くらい経過した時代)を借りたファンタジー小説なので、史実とは違いますが、とても面白いのでぜひお読みください。(飯田晴子さんのイラストも奇麗です)

 

氷室冴子さんの「銀の海 金の大地」のあらすじをザックリ言いますと、大和王権が成立して間もない時代の淡海の国(おうみのくに)に育つ奴婢(ぬひ)の娘・真秀(まほ)は、息長(おきなが)の邑人たちから「ヨソ者」と疎外されながらも、障がいを持つ母と兄を助けて暮らしていました。しかし、母親の御影(みかげ)が、「巫王の一族・佐保(サホ)の巫女姫・大闇見戸売(おおくらみとめ)」の姉であることと、父親が大和の豪族・和邇(わに)の日子坐(ひこいます)であることを知り、「同族の住まう、春日なる佐保へ行きたい!」と夢を膨らませます。けれども真秀は佐保にとって「滅びの子」であり、佐保一族の王子「佐保彦」と、その妹「佐保姫」は、真秀と真澄の兄妹に・・・・(続きは小説で。図書館でも借りられます)

 

 

 

古事記の伝える狭穂毘売(さほひめ)は、ウィキペディアに解説があったので載せておきます。

狭穂毘売(さほひめ)は垂仁天皇の皇后となっていた。ところがある日、兄の狭穂毘古(さほひこ)に「お前は夫と私どちらが愛おしいか」と尋ねられて「兄のほうが愛おしい」と答えたところ、短刀を渡され天皇を暗殺するように言われる。

妻を心から愛している天皇は何の疑問も抱かず姫の膝枕で眠りにつき、姫は三度短刀を振りかざすが夫不憫さに耐えられず涙をこぼしてしまう。目が覚めた天皇から、夢の中で「錦色の小蛇が私の首に巻きつき、佐保の方角から雨雲が起こり私の頬に雨がかかった。」これはどういう意味だろうと言われ、狭穂毘売は暗殺未遂の顛末を述べた後兄の元へ逃れてしまった。

反逆者は討伐せねばならないが、天皇は姫を深く愛しており、姫の腹には天皇の子がすくすくと育っていた。姫も息子を道連れにするのが忍びなく天皇に息子を引き取るように頼んだ。

天皇は敏捷な兵士を差し向けて息子を渡しに来た姫を奪還させようとするが、姫の決意は固かった。髪は剃りあげて鬘にし腕輪の糸は切り目を入れてあり衣装も酒で腐らせて兵士が触れるそばから破けてしまったため姫の奪還は叶わない。天皇が「この子の名はどうしたらよいか」と尋ねると、姫は「火の中で産んだのですから、名は本牟智和気御子(ほむつわけのみこと)とつけたらよいでしょう」と申し上げた。また天皇が「お前が結んだ下紐は、誰が解いてくれるのか」と尋ねると、姫は「旦波比古多多須美知能宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ。美知主)に兄比売(えひめ)と弟比売(おとひめ)という姉妹がいます。彼女らは忠誠な民です。故に二人をお召しになるのがよいでしょう」と申し上げた。そうして炎に包まれた稲城の中で、狭穂毘売(さほひめ)は兄に殉じてしまった。

 

 

 

 

参拝記

前置きが長くなりましたが、ここからが参拝記です。

 

狭岡神社(さおかじんじゃ)があるのは、奈良県奈良市。平城京跡と、春日山原始林の間にあります。

訪れたのは2022年のゴールデンウィークで、人生で二度目の一人旅でした(星子さんみたいに、殺人事件とイケメンにはあいませんが、一人旅って身軽で良いですね~)

 

狭岡神社(さおかじんじゃ)の最寄り駅は新大宮駅なのですが、私は大和西大寺(やまとさいだいじ)駅から向かいました。

 

 

なぜ大和西大寺(やまとさいだいじ)で電車を降りたかといいますと、この駅には大きなレンタサイクルのステーションがあるのです。

ここで、電動アシスト自転車を一日1,200円で借りて、大和西大寺駅前→平城京跡→狭岡神社(さおかじんじゃ)へとまわりました。(平城京跡はまた後日紹介します)

 

 

こちらが、狭岡神社(さおかじんじゃ)。狭い道を抜けた先にあり、駐車場は在りません。

住所は、奈良県奈良市法蓮町604。

 

 

狭岡神社(さおかじんじゃ)に祀られている神様。

若山咋之神・若年之神・若沙那賣神・彌豆麻岐之神・夏高津日之神・秋比賣之神・久々年之神・久々紀若室葛根之神。

霊亀2年(715年)に、藤原不比等が、国家鎮護、藤原氏繁栄のため、自邸宅佐保殿の丘上に天神八座を奉斎したのが創祀であり、もとは佐保丘天神、狭穂岡天神、狭加岡天神などと言われていたようです。

「狹岡(さおか)」は、「佐保丘(さほおか)」から来ているのですね。

 

 

社殿への道中、左手側に階段があり、

 

 

「狭穂姫(さほひめ)伝承の鏡池」がありました。

 

 

鏡池(姿見池)と名付けられたのは、沙本毘売(さほひめ)がその美しい姿をこの佐保の池にうつしたとのいわれによります。水脈の変化により渇水したので平成17年5月保水工事を致しました。

 

 

落ち葉を受けるためか、ネットがかけられていました。

 

 

沙本毘売(さほひめ)は、開化天皇の孫で垂仁天皇の皇后でした。兄 沙本毘古(さほひこ)はこの佐保一帯の王でありました。不幸にも夫と兄の政争にまきこまれ亡くなりました。(古事記による)

 

 

 

狭岡神社の本殿。

 

 

近くの掲示板には、いろいろな資料が張られていました。

昭和32年(1957年6月3日)に撮影された、狭岡神社一の鳥居の写真。ずいぶん今と景色が違いますね。

 

 

昔の祭事の様子。

 

 

一社に8座がまつられているのは、但馬出石町の出石神社と当社のみである。出石神社は朝鮮新羅から渡来された一族何代かの方々をまつられているものである。

 

 

狭穂姫(さほひめ)のこと

開化天皇の孫で垂仁天皇の皇后になる狭穂姫の兄 狭穂彦が「兄と夫とどちらが大切か」と申します。狭穂姫は深く考えず「兄が大切です」と応えました。すると「お前の容色が衰えると寵愛は終わる。自分が皇位につき、一緒に天下を治めよう。天皇を殺してほしい」と狭穂姫に匕首(あいくち)を与え、「天皇が眠っている時に刺せ」と。

皇后の膝枕で、天皇が昼寝をされました。しかし、皇后は見過ごし天皇の顔に落涙するのです。目を覚ました天皇から今見た夢で「雨が狭穂(奈良県北部)から降り、顔を濡らしたぞ」と言われ、皇后が兄の謀反を伝えると、天皇は兵に命じ狭穂彦を討たんとしましたが、稲城で抵抗にあうのです。すると皇后は、皇子を抱き兄の稲城に入ります。天皇は増兵し、皇后と皇子を出せと迫りましたが、狭穂彦は抵抗を止めないので城を焼くのです。結果兄妹は亡くなります。法蓮佐保田の狭岡神社は、藤原不比等の邸宅佐保殿の丘に天神八座を祀ったのが黎明になります。これが「奈良明所記」興福の項の佐保田天神です。狭穂姫は、反逆の狭穂彦に殉じたので陵碑がありません。ゆえ境内の姿見池(鏡池)は貴重な伝承地です。狭穂の丘陵に姫の所領があり、この地に成人まで住みました。そして、秋の女神龍田姫に対する春の女神が狭穂姫です。狭岡神社の東に、少名彦を祀る常陸(ひたち)神社があります。知らぬ方多しですが本殿右に小祠の佐保姫神社が祀られていました。

 

 

説明に書かれている、常陸(ひたち)神社は徒歩で7分600mほどの距離。

「狭い道は迷うわ・・・」という方は、狹岡神社を南下して一条通りに出て、佐保小学校の手前で左折し北上すると、常陸(ひたち)神社に到着です。

 

 

道中、常陸(ひだち)神社の看板が出ていました。

 

 

 

この赤い小さな祠が、佐保姫大神を祀っています。

 

 

 

「ドリームランド」・・・懐かしい遊園地の名前が出てきました。2006年に閉園してしまいましたが、小学生の頃、両親に連れて行ってもらいました。

 

 

 

今日は古事記に見られる伝承を紹介しましたが、古事記好きな方はこちらの本も読んでください。

著者の角川源義さんは、角川書店の創業者です。

書いてあることは少し難しいですが、畿内一体に勢力を張り巡らせた大豪族の和邇(わに)氏が、古事記の成立に深く関与していたことが書かれています。

和邇(わに)氏を大きくしたのは日子坐(ひこいます)で、4人の女性と結婚して15人の王を得ました。(今日取り上げた沙穂姫・沙穂彦の父)

また、ヤマトタケルは和邇氏の英雄であり、神功皇后は和邇系だったそうです。

(オレンジ色で囲った天之御影命の娘については、【三上山、御上神社】 近江冨士とも言われる三上山(みかみやま)はピラミッド? 原倭国(近畿政権)の中心だった伊勢遺跡とつながりがあるで、書きましたのでご覧ください)

 

佐保姫は神に仕える巫女であった。日子坐の王の女というが、太陽神(日子坐)に仕えた大和佐保地方の巫女であったと思われる。佐保姫が垂仁天皇の皇后になると、沙穂地方は天皇に所属することになる。佐保彦は、この佐保姫を奪取すれば、天下(大和)は自分のものになるだろう、と考えたのである。

佐保姫は、自分の膝を枕にして寝た夫の上で、紐小刀を三度も振り上げたが、悲しみにたえず、夫の顔に涙をこぼした。天皇は驚いて起き「いま、不思議な夢を見たぞ。佐保のほうからにわか雨が降ってきて急に顔にかかった。また、錦色の小蛇が首に巻きついた。これはなんのしるしだろう」と尋ねた。それを聞いて、見通されたと思った后は、泣き悶えながら、ありのままを告白した。「なんだと。わしは殺されるところだったというのか」。天皇はにわかに軍を起こして佐保彦を撃った。佐保彦は稲城を作って戦い、佐保姫も兄を思う情にたえず、王宮の裏門から抜け出して、その稲城にかけこんだ。

その時、佐保姫はすでに妊娠していた。天皇は兄の佐保彦を恨んではいたが、皇后が身重であることを承知していたし、深く愛してもいたので、稲城を遠巻きにしているだけで、責めることもできない。そのうちに皇子が誕生した。姫は稲城の外に皇子を差し出して「もし天皇の御子とおぼしめすなら、お育てください」と言った。天皇は敏捷な人ばかりをより集めて、御子を引き取る時に、その母も奪い取れ、髪でも手でもつかまえたらつかんで引き出せと命じた。

しかし皇后は天皇の心のほどが分かっていたから、あらかじめ髪をそってかつらにし、手にまいた飾り玉の緒を腐らせ、また衣服も酒で腐らせ、そのうえで息子を抱いて稲城の外へ差し出した。力ある男たちは、皇子といっしょに母君をも奪い取ろうとして髪をつかめば髪は抜け落ち、手を握れば玉の緒は絶え、召し物を握れば召し物は破れた。佐保姫奪取が失敗に終わったので、天皇は玉を作った人たちを憎み、その領地を奪い取った。

(悲劇文学の発生 まぼろしの豪族和邇氏より抜粋)

 

 

 

 

 

前回の、長野県旅行の【神長官 守矢(モリヤ)史料館】の記事や、私の故郷和歌山県に伝わる【吉原の中言神社(なかごとじんじゃ)・ナグサトベ】の記事からも思うことですが、神社と言うのは「神様が個人的な願いをかなえてくれるところ」ではなく、歴史を伝えているところなのです。

私たちが暮らす日本は、先住民族と渡来人が時には争いながら和合し、長い年月をかけて天皇を中心とした国家を作りました。その間、今日取り上げた狭穂姫・狭穂彦の佐保一族など、多大な犠牲を払いながら数々の困難を乗り越え、「一つ屋根の下に暮らす家族のような国」になったので、私達は平和に暮らせているのだということを、歴史は教えてくれています。

 

今、日本は一つの家族としてまとまっているので、隣町・隣県から進軍されることはありません。現代に暮らしていると当然すぎてこの事を意識することはありませんが、私達に命脈を繋いでくれた祖先のほとんどは「平和に暮らすのが当たり前ではない時代」であったのです。

「平和で豊かに暮らせる」のは、何物にも代えがたい宝です。

次は世界の国々が「同じ地球に住まう家族」としてまとまり、争いごとの無い平和な世界、何か困ったことがあっても気軽に助け合っていける関係になれればと、強く願わずにはいられません。

 

 

(この旅行記は2022年のものです)

 

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交通アクセス

大和西大寺駅からレンタサイクルで行くか、新大宮駅から徒歩で向かうのがオススメ。

車で行く場合、駐車場がありませんし、神社付近の道は細いです。

お得で便利な、旅の予約サイト