【鎌倉宮(かまくらぐう)・護良(もりなが)親王墓】 南朝初代天皇の後醍醐天皇皇子である大塔宮護良親王を祀る。近くに首塚もある

今日は、神奈川県鎌倉市の「鎌倉宮(かまくらぐう)」を紹介します。

参拝記

鎌倉宮(かまくらぐう)は、鎌倉駅から2.4km離れています。車で行く場合、境内に駐車場があります。
バスで行く場合、鎌倉駅から鎌20「鎌倉宮(大塔宮)」行きに乗車し、終点下車。
徒歩で行く場合、鎌倉駅から約25分。
自転車で行く場合、鎌倉駅から約10分。

 

 

私が鎌倉観光にオススメするのは、レンタサイクル。鎌倉駅出てすぐにレンタサイクル店がありますし、鎌倉のいたるところにハローサイクリングのステーションがあるので、「細い道が多い鎌倉を、効率的にまわりたい!」という方はぜひ利用しましょう。(ハローサイクリングは事前登録が必要で、台数に限りがあります)

 

 



私は長谷(はせ)駅のハローサイクリングステーションで自転車を借り、

  1. 【長谷寺(はせでら)】
  2. 【鎌倉大仏殿「高徳院」】 
  3. 【佐助稲荷神社】
  4. 【銭洗弁財天宇賀福神社(ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ)】
  5. 【小町通りと、鶴岡八幡宮】
  6. 【源頼朝の墓】 

とまわり、最後に鎌倉宮と護良親王の墓(地元の人には首塚と言われている)に行きました。今回は時間が足りずに行けませんでしたが、ミシュランを受賞したことで有名な【報国寺(竹寺)】もすぐ近くにあるので、効率的に鎌倉観光したい方はぜひレンタサイクルの利用をご検討ください。

 

 

鎌倉宮(かまくらぐう)の創建は明治2年(1869年)。

武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武の中興(けんむのちゅうこう)に尽力した「護良親王(もりながしんのう)」の功を賛え、明治天皇が護良親王を祀る神社の造営を命じられ、自ら宮号を「鎌倉宮(かまくらぐう)」と名づけられました。

護良親王(もりながしんのう)は、以前、奈良県のパワースポット【天河大辨財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)】のすぐ後ろにある南朝黒木御所の記事で紹介しました。南朝初代天皇である後醍醐(ごだいご)天皇の皇子です。

→→【南朝黒木御所跡と供養塔】 天河大弁財天社のすぐ後ろ。南北朝時代を簡単に説明・・・奈良県天川村。日本の激動期である南北朝時代を簡単に説明。

→→【明治神宮の記事はこちら】・・・東京都。ご祭神は明治天皇。

 

 

私が鎌倉宮に訪れたのは2022年8月19日で、例祭前夜祭の日でした。

例祭とは神社の重儀で、鎌倉宮における祭日は御祭神である護良親王(もりながしんのう)が薨去(こうきょ)された建武2年(1335年)の旧暦7月23日とされ、明治5年に改暦に伴い8月20日に定められたのだそうです。これに対し、7月23日には護良親王祭が執り行われるのだそうです。

前夜祭参列記念にカードをいただけました!

 

 

御祭神は先に書いたように、南朝初代天皇・後醍醐天皇の皇子である「護良(もりなが)親王」です。(第一皇子とも第三皇子とも言われる)

 

 

護良(もりよし)親王とお読みする方も多いそうですが、古典の「太平記」には「大塔宮護良親王(だいとうのみや・もりながしんのう)」とあり、こちらの読みが一般的であり歴史も長いとのこと。

幼少の頃から一を聞いて十を知るように利発聡明な頭脳の持ち主であり、【比叡山延暦寺】の座主にもなられた方です。
元弘の乱で鎌倉幕府を打倒することに功績を挙げられ、建武の新政では征夷大将軍に補任。

護良親王が生きられた大変な時代については、以前、【南朝黒木御所跡と供養塔】で書いたのでご覧ください。

 

 

江戸時代の絵師・歌川国芳の作品。足利尊氏により土牢に閉じ込められた護良親王が、淵辺義博に狙われている場面。

 

 

護良親王が捕らえられていたと伝わる土牢は、鎌倉宮の拝観料受付所の奥にあります。土牢・宝物殿・御神苑の拝観料は中学生以上300円、小学生150円。

 

 

 

例大祭の参列者控え所。

 

奥には、村上社がありました。

護良親王の忠臣である村上義光(むらかみよしてる)は瀕死の身で、吉野落城に際して自刃を覚悟した親王をいさめて、親王の鎧直垂を着用して身代わりとなり、腹十文字に掻き切って壮烈な最期を遂げました。その間に、護良親王は【高野山(こうやさん)】へ落ち延びることが出来たそうです。

この後、護良親王の令旨を受け、新田義貞が鎌倉幕府を攻めたてて鎌倉幕府は陥落。

護良親王は「足利高氏(後に尊氏に改名)が武家として台頭することで戦乱の世が来る」と主張しましたが、後に的中。尊氏と護良親王の仲は険悪なものになり、護良親王は皇位を奪おうとしているとの疑いまでかけられ、征夷大将軍を解任。

鎌倉将軍府にあった尊氏の弟・足利直義の監視下に置かれ、28歳(数え年)という若さで殺害されました。

 

 

境内には他に、厄割石や、亀若丸などの見どころもありました。

 

 

 

 

鎌倉宮の参拝を終え、次に向かったのは御祭神である護良親王の墓。地元の方達には「首塚」と伝えられているところです。

グーグルマップのナビで行くと、ものすごい坂道を上った先の別地点に案内されてしまうので、下のマップを見て訪れてください。

鎌倉宮から自転車で1分の距離です。

 

こちらが、地元の方に「首塚」と伝わる護良親王の墓。

石碑の裏には宮内庁の文字。

 

令和元年9月の台風でがけ崩れが起こり、階段の先は立ち入り禁止になっていました。

 

 

近くの石碑。

 

若くして亡くなられた護良親王について詳しく知りたい方は、

でご覧ください。

 

 

護良親王は数えで28歳という若さで亡くなられましたが、実は死なずに生き延びたという説もあり、護良親王と紀州井口家の井口左近の娘の間に生まれた次男の後裔として、「落合秘史」という本を出している活動をしているのが、歴史研究家の落合莞爾(おちあいかんじ)さんです。
護良親王が生きた南北朝時代も大変な動乱期であったわけですが、幕末もまた動乱期であり、孝明天皇は歴史では暗殺されたことなっていますが、実は偽装死であり、護良親王の後裔である大室寅助(大室寅之祐)に任せて明治天皇とし(明治天皇すり替え説)、京都堀川の本圀寺内に極秘造営された堀川御所に入られ、明治、大正、昭和、平成の政体天皇とは別に、孝明天皇、睦仁親王から現在まで続く裏の皇統「京都皇統」がおられると述べられています。

 

さらに、護良親王の皇子の後裔は欧州にも渡っており、これが欧州大塔宮となり、ベルギー王室とオランダ王室にも繋がっているのだそうです。

私に真偽のほどはわかりませんが 、興味を持たれた方は落合莞爾さんの本を読まれてはいかがでしょうか。

 

 

 

次は、護良親王(もりながしんのう)の御父君である後醍醐天皇の御陵(お墓)を紹介します。

次の記事はこちら

前回、神奈川県鎌倉市にある鎌倉宮(かまくらぐう)を取り上げました。鎌倉宮に祀られているのは、初代南朝天皇である後醍醐(ごだいご)天皇の皇子・護良(もりなが)親王。 →→【鎌倉宮(かまくらぐう)・護良(もりなが)親王墓】 南朝初代天皇の後醍[…]

 

(この参拝記は2022年のものです)

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交通アクセス

鎌倉駅から2.4km離れています。車で行く場合、駐車場があります。
バスで行く場合、鎌倉駅から鎌20「鎌倉宮(大塔宮)」行きに乗車し、終点下車。
徒歩で行く場合、鎌倉駅から約25分。
自転車で行く場合、鎌倉駅から約10分。

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