【雲谷(モヤ)ヒルズ】 冬はスキー場、秋はコスモス祭りを楽しめます!

青森県の観光記事もそろそろ終わりです。

今日取り上げるのは、雲谷(モヤ)ヒルズ。

旅行記

モヤヒルズは、青森駅から30分ほど離れたところにあります。

雲谷(もや)が一番にぎわうのはスキーで、9月中旬頃はコスモス祭りを催しています。

 

青森市出身の夫が言うには、小中学生の冬の体育授業はほぼスキーで、モヤヒルズに来ていたそうです。

 

私は、スキーをしたことがないので、ちょっと憧れます。(青森のサラッサラの雪を初めて見た時は、心底驚いた!)

 

 

訪れた2015年が未年だったので、コスモスで作った羊がありました。

花で干支を表現したり、稲や雪で絵や模様を作ったり、面白いことしてますね♪

→→弥生の里 田んぼアートの記事はこちら・・・青森県。すごいよ、ここ。稲で作った巨大な絵が見れます!

 

 

 



コスモス祭り会場では、押し花キーホルダー作りや、子供遊具、フリスビー投げ、カート(ヒルズサンダー)など、楽しい催しがありました。

 

 

カート(ヒルズサンダー)走行コースの隣は遊歩道になっていて、山頂へと続いています。

 

 

 

こちら、頂上付近から撮った写真。雲谷ヒルズの標高は553メートルです。

 

 

 

2019年3月、ソリを楽しむためにモヤヒルズに訪れました。

 

 

三月末でこの雪!

 

私達は小さな子供連れなので、ソリだけ楽しみましたが、いつかスキーもやってみたい!

 

 

参考まで、リフト料金とレンタル料金を貼っておきます。(2019年の料金です。訪れる前に必ず公式HPで確認してください)

 

 

 

雲谷ヒルズから見た夜景。
今は閉館してしましましたが、近くにヴィラシティ雲谷というホテルがあり、2008年に宿泊した時、撮った写真です。

 

 

ウィキペディアには面白いことが書いてありました。

この山の裾野から雲谷沢および横内川が発する。
この流域に女王阿弥須(オヤス)が率いる蝦夷の集落があり、坂上田村麻呂がこれを征伐しようとしたが難航した。

蝦夷を驚かすために太鼓や鐘を鳴らしたのが青森ねぶたの始まり、とする。

この説は昭和のころまで青森市民に信じられており、「ねぶたの里」という観光施設も当地にあった(東北新幹線田茂木野トンネルと雲谷平トンネルの間)。しかし平成以降、史実の上では田村麻呂が青森県には達していないということが判明しこの説は公的に否定されることとなった(その隷下である文室綿麻呂は来た可能性がある)。

一方、この地区より北東約2.5kmの幸畑には熊野神社があり蝦夷の砦の跡とされ、また北3kmほどの妙見にある大星神社は征伐軍の戦勝祈願の地とされる。
人物は特定できなくとも蝦夷征伐の痕跡が付近に残っている。

 

坂上田村麻呂は平安時代の将軍で、京都の清水寺を創建したともいわれている人物です。

→→清水寺 の記事はこちら・・・・京都府。世界遺産。

 

 

(ん~~~、坂上田村麻呂。どこかで見たなぁ・・・この名前・・・)

 

過去記事を見て、思い出しました。

熊野です。

→→鬼ヶ城 の記事はこちら(三重県)

 

平安時代桓武天皇のころ、将軍坂上田村麻呂が鬼ヶ城の鬼の征伐を命じられた伝説があります。
鬼ヶ城の沖合い約1.5kmに浮かぶ「魔見ヶ島(マブリカ)」という無人島に、童子が現れ舞い唄ったので、鬼が油断して岩戸を開く一瞬に将軍が神通の矢を放ち、見事一矢でしとめたそうです。
討ち取った鬼の首は熊野市井戸町にある大馬神社に埋められました。
鬼と聞くと頭に角の生えた異形の存在を思い浮かべますが、実際には、鬼として恐れられ、この地を荒らしまわっていた海賊の多娥丸(たがまる)だそうですが、鬼の大将「金平鹿(こんへいか)」説もあるそうです。

 

 

所説あるようですが、各地に残る「鬼を退治した」「土蜘蛛を退治した」伝説は、昔から日本に住み着いていた土着民を、中央政権側が討伐した話であるそうです。

 

 

東北での中央政権との闘いといえば、アテルイとモレが有名でしょうか。
アテルイ   ウィキペディア

平安時代初期の蝦夷の軍事指導者。
789年(延暦8年)に胆沢(現在の岩手県奥州市)に侵攻した朝廷軍を撃退したが、坂上田村麻呂に敗れて処刑された。

『日本紀略』には、大墓公阿弖利爲(アテルイ)と盤具公母礼(モレ)が500余人を率いて降伏したことが記されている。2人は田村麻呂に従い7月10日に平安京に入った。

田村麻呂は2人の命を救うよう提言したものの、平安京の貴族たちは「野性獣心、反復して定まりなし」と反対したため、8月13日に河内国にてアテルイとモレは処刑された。

 

 

 

 

(本の内容紹介より・・・東北は古代から中央政権に蹂躙され続けた。阿弖流為(あてるい)対坂上田村麻呂、安倍貞任・藤原経清対源頼義、藤原泰衡対源頼朝、九戸政実対豊臣秀吉、奥羽越列藩同盟対明治新政府。5度の侵略戦に敗れ、奪われ続けた資源と労働力。そして残された放射能。しかしそれでも「和」の精神で立ち上がる東北人へ、直木賞作家からの魂のメッセージ。)

 

 

 

東通原発(休止中)、建設途中の大間原発、六ヶ所村・・・と、青森県は原子力関係の施設が結構あります。

 

青森で美味しいごはんを食べ、奇麗な景色を楽しむと、原子力産業ではなく、第一次産業(農業、林業、漁業)や、観光業で潤ってほしいなぁ・・・と思います。

 

 

交通に不便な地域出身の私たちが、よく旅行し、なるべくその土地の公共交通機関を利用するのは、首都圏で得たお金を地方で使うことで、経済貢献になれば良いなぁ・・・と思っているのも、一つの要因です。

 

 

さあ、地方へ遊びに行きましょう~!

緑が豊かで、ほのぼのとして、良いですよ~!

 

 

ちょっと話が変わりますが、「モヤ」というと、この雲谷の他に、靄山(もややま)もあります。

 

靄山(もややま)は十三湖の付近にあり、ピラミッドかもしれない・・・といわれているようです。

 

岩木山とは姉妹関係の山で、お祭りは同じ日に行われるそうです。

 

 

以前、大石神ピラミッドについて書きましたが、大石神ピラミッドの近くには十和利山があり、それもまたピラミッド型の山なのだそうです。

→→大石神ピラミッド の記事はこちら・・・5万年前のピラミッド?

 

 

青森・・・、謎ですね~~~。

 

 

次は、青森の海底遺跡(竜宮城?)についてちょっと書こうと思います。

 

海底遺跡というと、沖縄の与那国島海底遺跡が有名ですが、青森沖、沖ノ島沖、和歌山の潮岬沖にもあるようです。

 

次の記事はこちら

私たちが訪れた青森の観光スポット紹介が終わりましたので(カテゴリー 青森県旅行記からご覧ください)、今日は「青森に竜宮城があった?」という過去のTV番組のお話です。   [adcode]   […]

 

(このレジャー記は2007年、2015年、2019年です)

 

関連記事

雲谷と同じく、青森市南部の記事です。

→→青森観光りんご農園 の記事はこちら・・・青森は日本一のりんご生産地。

→→八甲田山雪中行軍遭難資料館 の記事はこちら・・・雪山の恐ろしさ。映画「八甲田山」の史実を伝える資料館。

→→八甲田山の樹氷 の記事はこちら・・・樹氷を見に行ったら物凄い荒天だった。

交通アクセス

青森駅から車で30分ほど。
公共交通機関で行く場合、青森駅から路線バスに乗り、モヤヒルズで下車します。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。

近くの宿泊施設

ホテルルートイン青森中央インター。

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