青森に浦島太郎の竜宮城があった? 和歌山には桃太郎の鬼ヶ島があった?

私たちが訪れた青森の観光スポット紹介が終わりましたので(カテゴリー 青森県旅行記からご覧ください)、今日は「青森に竜宮城があった?」という過去のTV番組のお話です。

 

 

青森の海底には全長8kmにもわたる巨大海底遺跡がある。

青森には日本海側を中心に「亀」のつく地が32か所あり、陸奥湾に面した入江に浦島というところがあり、亀島もある。

 

八大龍神宮を浦島神社と呼ぶ人もおり、龍神様と共に浦島太郎が祭られているという伝説もあるらしい。

 

日本全国に浦島伝説・浦島神社はたくさんあり、最も古いとされているのが京都府与謝郡伊根町の浦嶋神社。

 

浦島太郎という人は実在していた」と、浦嶋神社の宮司さん。

 

万葉集、丹後風土記、日本書紀に書かれた浦島太郎の本名は「みずのえ うらしまこ」で、出生地は現在の京都府与謝郡伊根町。

 

日本書紀に「(浦島太郎は伊根町で)西暦478年(古墳時代中期)夏 8月小船に乗って釣りをしていた」と書かれており、御伽草子には「浦島太郎は10日間あまり海を進んで金と銀の素晴らしい御殿についた」と書かれてある。

 

・京都府伊根町から夏の潮の流れを調べると、北東に流れている。
・一時間に3~5km前後漕いだとして潮の流れに乗ると一日に60~70km進める

 

この二つから計算すると、青森県の日本海側沿岸に到達する、と出てくる。

 

浦嶋太郎は青森に来ていた?

 

東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)によると、岩木山文明(アラハバキ文明)という文明があり、非常に栄えたらしいが、ある日突然、津波に襲われて一夜にして滅んだと書かれてある。

 

青森の「竜宮城」とは、アラハバキ文明のことだろうか。

 

日本には、正統派の古文書(古事記・日本書紀)以外にも古文書があるが、大和朝廷に敗れた敗者側の古文書なので、東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)は偽書とされた、、、とテレビの人のコメント。

 

 

 

ちょっとここで話から外れますが、東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)偽書事件について知りたい方は、斉藤氏の本がオススメです!

偽書事件を10年間も取材した方が書いた本で、東日流外三郡誌が広まった経緯、どの点が偽書とされて怪しいのか、わかりやすく書いてくれています。

 

 

青森の海底遺跡。倒れた像?

 

 

 

自然物? 人工物?

 

 

・・・とTV番組であったのですが、どうなんでしょうねぇ・・・。

 

三重県にも浦島伝説があります。伊雑宮の宝物は玉手箱らしい。

 

 

 

青森で一番古い遺跡は、大石神ピラミッドかなぁ???

→→大石神ピラミッドの記事はこちら・・・5万年前のピラミッドと言われている。 他に十和利山、靄山もピラミッドと言われています。

 

 

余談ですが、青森には謎の「キリストの墓」もあります。

→→青森の謎スポット「キリストの墓」の記事はこちら・・・キリストは青森で死んでいた・・・かもしれない。

 

 

うーーん、不思議ですね!

 

 

 

 

今は「日本」としてまとまっていますが、平安時代ごろの近畿の中央政権側から見ると、東北・北海道は、別の国のような扱いであったそうで、蝦夷(えみし)と呼ばれていたそうです。

 

鹿島神宮の記事で書きましたが、伊勢女の予言にあった「笑みしの国は立ち上がる」は、「蝦夷の国は立ち上がる」なんじゃないのかなーと、私は勝手に思っています。

→→鹿島神宮の記事はこちら・・・地震ナマズを押さえてくれている神社。

 

 

 

「炎立つ」や、「北の燿星アテルイ」の著者、高橋克彦さんの「東北・蝦夷の魂」を読みました。著者はアカシック・レコードが読める方と対談し、これからは東北人のような「寛容さ」が世界を導いていく、といったことを言われたそうです。

 

 

さてさて、青森の海底遺跡(竜宮城?)の次は、和歌山県串本町の海底遺跡の過去TV番組からですが、なんと桃太郎の鬼ヶ島だったかもしれないというんですね~~。

 

いやー、面白い。

 

与那国の海底遺跡を調査した人が、「あれ? 串本にあるのとよく似ているなー」と思ったそうです。


  • 串本町には高さ10mの一枚岩があり、表面がすごく平ら、角がするどく、人工的に見える
  • 通路、三叉路、部屋になっているところもある
  • 石には文字のようなものが彫られている
  • 串本町には「鬼が来る、連れていかれる」と鬼伝説があるらしい
  • 桃太郎岩が熊野にある
  • 与那国に匹敵する巨石文明が和歌山の海底にも眠っており、桃太郎の鬼ヶ島だったかもしれない

 

桃太郎伝説発祥の地は岡山市と言われており吉備津神社には鬼を倒した伝説があるが、日本各地には桃太郎伝説・桃太郎神社がある。

 

しかし、発祥の地がよくわからない。

 

古事記に(712年に書かれた)桃太郎のことが書かれてある。

 

火の神を生んでイザナミノミコトが死んでしまったのでイザナギノミコトは黄泉の国へ行くが、妻の姿は変わり果ててしまい化け物に追いかけられたので、桃を3つ投げて追い払った。イザナギノミコトは桃にオオカムヅミノミコトと名付けて、人々を守るように言った。

 

日本書紀には紀伊国熊野に「イザナミノミコトが死んだ」とある。

 

花の窟神社が、イザナミノミコトの墓。

 

 

桃太郎の話に戻りますが、桃太郎が連れていた、いぬ、さる、きじは方角を意味しているかもしれないそうです。

 

熊野花の窟あたりから海岸線沿いに西へ進むと、串本町の海底遺跡にたどり着くので、串本の海底遺跡は鬼ヶ島???

 

鬼は「モノ」と呼ばれ、得体のしれない者・人をさしていたかもしれない。

 

串本町には、2000年ほど前に先住民(鬼?)がいて、高度な文明を持っていたらしい。

 

しかし、天災により一日で海の底に沈んだらしい。

 

 

 

海底遺跡といえば、沖縄の与那国島海底遺跡が有名。

 

 

沖縄・青森・和歌山に見られる海底遺跡が栄えた年代がそれぞれいつなのかハッキリしませんが(古い順から、沖縄→和歌山→青森かな)、何かつながりがあると面白いですね・・・。

 

海底遺跡には、どんな人が住んでいたのでしょうか。

災害から逃げ延びた人がいて、私たちの体にも、その血が受け継がれているのでしょうか。

 

この二つの記事に書きましたが、私たち「日本人」というのは違う民族の混血のようで、時には争い、時には交わりながら栄えてきたようです。

 

 

特殊な家系に生まれた人や長く同じ地に住んでいる人達は、ご先祖がどんな人であったのかどこから来たのか・・・ということを受け継いでいると思うのですが、故郷を離れて移住した家は、自分のルーツを忘れてしまいます。

 

私も夫も、ご先祖がどんな人で、どこから来たのか知りません。

 

ただどこに住もうが、いつの時代だろうが、私たちが今を一生懸命生きているように、ご先祖様たちも一生懸命生きてきただろうと思います。

 

「鼻が低いのが嫌だ」とか、「くるくる天然パーマが嫌だ」とか、小さいことに悩んだ日もありましたが、「私も、あなたも、ここに在る」というのは、奇跡的なことなんじゃないだろうか・・・。

 

子孫を残すことなく耐えてしまった血筋もあると思うと、なおさらそう思います。

 

 

命・・・、大事にしましょう。

毎日、大切に、生きましょう。

 

 

そして、これからずっと先の世を生きる人たちに、良い未来を贈りたいですね~~。

 

そのために、幸せな社会を築きましょう!

 

 

仲良く暮らし、自然を大切にする!



うんうん、きっとコレだわ、うんうん。

 

 

 

お台場の日本科学未来館「イノベーション 未来逆算思考」の画像。


50年後に暮らす子孫たちが、現在の私達に「僕たちの住む世界では資源が乏しく、皆が奪い合って争いが起きている。ご先祖様、お願いします・・・」と訴えるムービー。

 

 

こんな未来、贈りたくない!

 

 

→→日本科学未来館の記事はこちら・・・宇宙飛行士の毛利衛さんが館長です。

 

 

私達が今をしっかりと生き、未来の子孫達が私達のことを誇ってくれるとしたら・・・、すごくうれしいですね。

 

 

次の記事はこちら

昨日、青森の宮城城(?)と和歌山の鬼ヶ島(?)の海底遺跡があるという話をしましたが、今日は沖ノ島の海底遺跡と古代の文字についてです。   通説において文字文明の発祥は約5000年前の古代シュメールの楔形文字と言われ[…]

 

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→→名草戸畔(なぐさとべ)の記事はこちら・・・「日本人」は単一民族ではない。土着民と渡来人が、時には争いながらも融合した「和」の国だった。

→→金太郎の記事はこちらでどうぞ・・・浦島太郎、桃太郎ときたら、金太郎。金太郎は、静岡と神奈川の県境にいたかもしれない。