【熊野速玉大社(世界遺産)】 熊野三山の一つ。御神木「ナギ」の木、牛王符。熊野と沖縄には繫がりがある?

前回からの続きで、和歌山県の熊野詣(くまのもうで)の紹介です。

【神倉(かみくら)神社】にお参りをして、車で8分ほど離れている熊野速玉大社へ行きました。

徒歩なら10~15分くらいです。

熊野三山、熊野詣(くまのもうで)とは

霊場「熊野三山(くまのさんざん)」は、和歌山県熊野地方にある「熊野本宮(ほんぐう)大社」「熊野速玉(はやたま)大社」「熊野那智(なち)大社」の三社と、那智大社と密接な関係を持った那智山青岸渡寺(せんがんとじ)、補陀洛山寺(ふだらくさんじ)の二寺を加えた総称で、世界遺産に登録されています。

また、これらに参詣することを「熊野詣(くまのもうで)」と言います。

上のマップの赤丸が、熊野三山。(黄色の補陀洛山寺は未訪問)

 

上のマップの青丸は、熊野三山と関わりのある神社です。

 

参拝記

今日紹介するのは、熊野三山の一つ「熊野速玉(はやたま)大社」です。

昔は【熊野本宮大社】から新宮(熊野速玉大社)へ、熊野川を船で下りていたそうですが、現在は国道168号線を通って車で47分の道のり。

 

 

公共交通機関で熊野速玉大社へ行く場合、新宮駅から徒歩20分くらい。バスで行く場合、「権現前」バス停でおりて、徒歩2分です。

前回取り上げた「神倉(かみくら)神社」からは、車で8分ほど、徒歩なら10~15分くらい離れています。

 

 

もともとここに御宮はなく、前回取り上げた【神倉神社】の神倉山(あまのいわたて、とも呼ばれていた)から、この地に御宮を建てて祀ったので「新宮」と呼ばれているそうです。

 

 

 

下馬橋と鳥居。
昔はここで、馬を下りたのでしょうね。

 

 

 

鳥居をくぐると、右手側に八咫烏神社と手力男神社があります。

八咫烏神社の御祭神は、タケツヌミノミコト。
手力男神社の御祭神は、アメノタヂカラオノミコト。

 

 

 

そのまま参道を進むと、熊野神宝館があります。
入り口には、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)の木像がありました。
息子の身長は120cmくらい。

 

弁慶の身長は推定ですが、208cm、100kgと仁王のような巨体だったそうです。(「日本史有名人の身体測定」より)

弁慶の主君である源義経は身長147cm、47.5kgと推測されているそうで、こんな巨体の弁慶が壁のように守っていた・・・と考えると、なんとも頼もしいですね~。

 

最後は、無数の矢を受け、薙刀を杖にし、仁王立ちのまま息絶えたそうです。(弁慶の立ち往生)

→→【鞍馬寺奥宮 魔王殿】の記事はこちら・・・京都。義経が修行をした鞍馬山には、義経の背比べ石がある。

 

 

弁慶の生誕地は、和歌山県田辺市です。

以前、【闘鶏神社(世界遺産)と、弁慶生誕地の碑】に書きましたので、ご覧ください。

 

 

 

熊野神宝館は「熊野の正倉院」とも呼ばれ、室町時代に足利義満公が奉納したと伝えられる調度品を中心に、約千二百点にのぼる古神宝類を所蔵しており、いずれも国宝に指定されているそうです。
入館料は、大人500円、高校生以下無料です。(9時から16時まで開館)

 

 

 

熊野神宝館の近くには大きな看板があり、熊野曼荼羅が描かれていました。


初穂料500円 所要時間30分で、説明が聞けます。(事前に要問合せ)

昔、熊野比丘尼(びくに)が全国を巡り、熊野曼荼羅で信仰を説いて歩いたそうです。

 

 

神門の左手側に樹齢千年の御神木「梛(なぎ)の木」があります。

 

 

 

平重盛が、「国安かれ」と手植えしたもので、ナギの木としては日本一大きいものです。

 

熊野権現の象徴として信奉があつく、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされていたそうです。

 

 

近くの説明書きには、
「どうか心静かに手を合わせ、全ての命あるものを慈しみ、世界の平和をお祈りください」
と、ありました。

 

この御神木の種から500本もの苗が育てられ、沖縄が返還された年、沖縄各地の農林高等学校に植樹されました。

 

熊野速玉大社のHPを見ていたら、琉球(沖縄)と熊野は縁が深いらしく、波上宮、普天間宮、沖宮、末吉宮、天久宮、識名宮、金武宮などに熊野速玉大社の御分社が数多く祀られているようです。

 

・沖縄には「琉球八社」として古くから知られる神社がある。
・「八社」および寺院とは、波上宮・護国寺、沖宮・臨海寺、天久宮・聖現寺、八幡宮・神徳寺、識名宮・神応寺、末吉宮・遍照寺(以上、那覇市)、普天間宮・神宮寺(宜野湾市)、金武宮・観音寺(国頭郡金武町)のこと。
・これらのうち、八幡宮以外の7か所が熊野信仰の霊場であり、多くが洞窟を伴っていることに特徴がある。
・洞窟には本来他界への入口という観念があるため、洞窟に聖地としての意味付けがされていた。
・沖縄にはユタと呼ばれる霊能者がおり、熊野三山を聖地とする修験者も、神や精霊と直接交流していたので、ユタと熊野信仰が違和感なく溶け込んだ。

沖縄には「ガマ」と呼ばれる、約2,000もの洞窟があります。

 

沖縄神道では、神がいる他界概念としてニライカナイがあり、ニライカナイとは海の彼方、あるいは地底にあると概念されており、豊穣と命の根源となる異界として、信仰されてきました。

 

熊野は古来より蘇り(黄泉がえり)の聖地です。

「根の国」がどこにあるのかは諸説ありますが、日本書紀一書に「イザナミが熊野に葬られた」と書かれているそうで、熊野は異界へと繋がる黄泉がえりの地と信仰されてきたのですね。

 

洞窟、ニライカナイ、根の国と黄泉がえり・・・、沖縄と熊野が結びつくのも、なるほどなぁと思います。

 

 

 

「ニライカナイ」「常世(とこよ)の国」が洞窟なのか海の彼方なのかしりませんが、お参りしたリンクを張っておきます。

→→【花の窟・花窟神社(世界遺産)】神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が葬られた御陵。・・・三重県。イザナミノミコトの陵墓とされているところです。

→→【本州最南端の灯台「潮岬灯台」、本州最南端の神社「潮御崎神社」】・・・和歌山県串本町。国づくりを終えた少彦名命が常世の国へ旅立ったといわれるところ。

 

 

ウィキペディアで沖縄神道を調べていたら、興味深い一文がありました。

昭和6年(1931年)松本信廣は『日本神話の研究』の中で、ローランド・ディクソン(Roland B. Dixon)がポリネシアを分類するために設定した2つの型「進化型」と「創造型」を用い、日本開闢神話をポリネシア創世神話の「進化型」と「創造型」の複合形であり、イザナギ・イザナミ神話から以降は「創造型」の形式を受け継いでいるものではないかとの説を発表した。このとき松本信廣はポリネシアと日本神話を直接比較するのではなく、中間に琉球の古伝説を置くとこの関係がいっそう明白になると述べ、琉球民族が古く日本民族と袖を分かったものである以上、琉球の古神話がイザナギ・イザナミ神話の一異体であり、日本神話が琉球のそれを中間において、遠く南方の創造型神話と一脈の関連を持っていることを否み得ないとの考えを示した。

おー・・・という感じですね。

歴史ロマンにワクワクしますね~。

 

 

さてさて、熊野速玉大社に戻りますが、

手水舎がびっくり!
象のように鼻の長い龍神様でした。

 

熊野三山の一つである「補陀洛寺(ふだらくじ)」は、インドとつながりがあるようで、これはその影響なのかな?

インドのアジアゾウ+龍神?

 

熊野は出雲と関わりが深い地域でありますが、出雲族はインドからやってきたとする説もあるようで(?)、いろいろ調べたら面白いことがわかるかもしれません。

 

 

 

神門の手前で「もうで餅」が売られていました。
試食をさせてもらえるようで、気になったのですが、先にお参りを・・・と神門をくぐることに。

 

 

神紋はやっぱり、八咫烏(ヤタガラス)です。

 

 

 

拝殿。
熊野本宮大社と同じく、本地仏の記載もありました。

 

●上四社
第一殿結宮・・・熊野夫須美大神(熊野結大神)   本地仏は千手観音
第二殿速玉宮・・・熊野速玉大神   本地仏は薬師如来
第三殿証誠殿・・・家津美御子大神・国常立尊  本地仏は阿弥陀如来
第四殿若宮、神倉宮・・・天照大神、高倉下命  本地仏は十一面観音
●中四社
第五殿禅児宮・・・ 天忍穂耳尊  本地仏は地蔵菩薩
第六殿 聖宮・・・瓊々杵尊   本地仏は龍樹菩薩
第七殿 児宮・・・彦火火出見尊  本地仏は如意輪観音
第八殿 子守宮・・・鵜葺草葺不合命  本地仏は聖観音
●下四社
第九殿 一万宮、十万宮・・・国狭槌尊、豊斟渟尊  本地仏は文殊菩薩、普賢菩薩
第十殿 勧請宮・・・泥土煮尊  本地仏は釈迦如来
第十一殿 飛行宮・・・大戸道尊  本地仏は不動明王
第十二殿 米持宮・・・面足尊  本地仏は多聞天

調べてびっくりしたのですが、明治16年に、打ち上げ花火が原因で社殿が全焼したことがあるそうです。

 

 

 

 

 

 

 

牛王符(熊野権現にゆかりある烏を絵文字化した護符)と、ナギ守りを頂きました。
ナギのお守りは、御神木「梛」の実で奉製した熊野速玉大社独自のお守り。

 

昔から熊野詣の人々は、道中の無事を祈って、必ず速玉大社で「なぎの葉のお守り」と「熊野牛王符(ごおうふ)」を頂くことを習慣としていたそうです。

熊野牛王符は、戦国武将の起請文や血判状にももちいられ、誓約を破ると熊野の神の祟りがあると信られていたそうで、豊臣秀吉は諸国大名との誓約に、熊野速玉大社の熊野牛王を使ったそうです。

 

 

熊野本宮大社の記事でも書きましたが、熊野牛王符は本宮大社、速玉大社、那智大社、それぞれデザインが違いますので、集めたい方は忘れずに頂いてください。 一枚500円です。

 

 

 

参拝を終えた後は、神門近くで売られていた「熊野もうで餅」を買いました。

熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の側での限定販売品で、包装紙はそれぞれ違うそうです。

中にあんこの入った、玄米粉をかけた香ばしいにおいのするやわらかいお餅で、とても美味しかったです。

 

 

次は、【熊野那智大社(世界遺産)】を取り上げたいところなのですが、三重県の花窟神社(はなのいわやじんじゃ)へ行ったので、先にそちらを紹介したいと思います。

 

花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産んで、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵(お墓)です。

 

次の記事はこちら

前回からの続きで、和歌山県・三重県にまたがる「熊野(くまの)」地方の紹介です。 熊野三山の【熊野本宮大社(世界遺産)】、【玉置神社(世界遺産)】、【神倉神社(世界遺産)】、【熊野速玉大社(世界遺産)】とお参りをして、【熊野那智大社(世[…]

 

(この参拝記は2016年です)

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熊野三山の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在。ここに参詣し、三山を遥拝して、山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいたそうです。和歌山県田辺市。

闘鶏神社の記事はこちら

 

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→→【賀茂御祖神社(下鴨神社)】の記事はこちら・・・ヤタガラスは、下鴨神社の神様の化身だと言われています。

交通アクセス

昔は熊野本宮大社から新宮(熊野速玉大社)へ、熊野川を船で下りていたそうですが、現在は国道168号線を通って車で47分の道のりです。
公共交通機関で行く場合、新宮駅から徒歩20分くらい。バスで行く場合、「権現前」バス停でおりて、徒歩2分です。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。

公共交通機関で熊野詣をする方は、熊野御坊南海バスHPで路線バス、フリー乗車券、定期観光バスをご覧ください。

熊野御坊南海バスHPはこちら

車で行く場合、無料駐車場があります。

近くの宿泊施設

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