【花の窟・花窟神社】世界遺産。神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が葬られた御陵

前回からの続きで、和歌山県・三重県にまたがる「熊野(くまの)」地方の紹介です。

熊野三山の【熊野本宮大社(世界遺産)】【玉置神社(世界遺産)】【神倉神社(世界遺産)】【熊野速玉大社(世界遺産)】とお参りをして、【熊野那智大社(世界遺産)】へ行く予定でしたが、途中で三重県の花窟(はなのいわや)神社へ行きました。

熊野那智大社とは反対方向なのですが、熊野速玉大社から車で30分くらいで行けます。

参拝記

公共交通機関で行く場合、熊野市駅で電車をおりて三重交通バスに乗り、「花の窟」で下車します。

車で行く場合、無料駐車場があります。

 

ここは、2004年にユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部(熊野参詣道伊勢路の一部)として世界遺産登録されました。

花窟神社の鳥居。

 

 

参道。

途中、左手側に稲荷神社があるのですが、先に花窟(はなのいわや)神社へお参りすることに。

 

 

手水舎の横に、巨大な丸石がありました。

不思議ですね~~。なんでこんなに丸いんだろう・・・。

 

 

 

こちらが、花の窟(いわや)神社の御神体である巨岩

めちゃくちゃ大きいです。

 

 

 

高さは45m。(建物の1階が3mとすると、15階建てに相当する高さ)
圧倒的な迫力がありました。

この窟は、神々の母であるイザナミノミコトの御葬所(お墓)だそうです。

 

 

巨岩はイザナミノミコトを御祀りしています。

古来より社殿は無く、ご神体の巨岩の前に壇を作り、玉垣でかこんだ拝所が設けられています。

昭和23年4月に、天皇陛下(当時は皇太子殿下)が、熊野地方見学の際、お立寄りになられたそうです。

 

 

 

ここで簡単に、日本神話を説明すると・・・

イザナギノミコト、イザナミノミコトの夫婦神は、タダヨエルクニをおさめて国をつくれといわれ、天の沼矛(あまのぬぼこ)を賜り、天の浮き橋にたって沼矛をおろしてコロコロとかきまぜて引き上げました。

すると、先からしたたりおちるしずくが固まって、小さな島になりました。

その島をオノゴロ島(現在の淡路島? 沼島?)と呼び、二神は天下りオノゴロ島に立つと、まず大きな柱を立てました。

 

二神は柱を左から右からそれぞれめぐり合い、つぎつぎと国を生んでいきました。

この時に島国がたくさん生まれたので、「大八島国(おおやしまぐに)」と呼ばれるようになりました。

これが、日本列島の誕生とされています。

大八島国に続いて、海の神、山の神、土の神、水の神、木の神など多くの神々が生まれました。

しかし、火の神を生むとき、イザナミノミコトは大やけどをしてしまい、なくなってしまいました・・・。

 

 

斜め向かい側に、王子ノ窟があり、カグツチノミコトを御祀りしています。

カグツチノミコトは火の神様で、生まれるとき、母神であるイザナミノミコトを焼いて死なせてしまいました。

残されたイザナギノミコトは、嘆き悲しんで、怒りのあまりカグツチノミコトの首をはねて殺してしまいます・・・。

あまりにも妻が恋しくて、イザナギノミコトは思い切って、黄泉の国を訪ねてみることにしました。

イザナミノミコトにもう一度帰ってきてほしいとたのみますが、「すでに黄泉の国の食べ物を食べていて帰ることが出来ない」と断られてしまいます。それでも帰ってきてほしいと頼むと、イザナミノミコトは言いました。

「黄泉の国の神様に相談してまいりましょう。しかし、どんなことがあっても、私を見てはいけません」

イザナミノミコトは、奥のほうへ行ってしまいました。

 

いくら待っても戻ってこないので、イザナギノミコトはクシに火をともして奥のほうへ入っていきました。

そこで見たのは、変わり果てたイザナミノミコトの姿でした。

腐った体からはウジがわき、頭、胸、腹、手足はそれぞれ八柱の雷神に変化していました。

驚いたイザナギノミコトは慌てて逃げます。

けれども、黄泉の国の醜女達(しこめたち)に追いかけられました。

そこで、身に着けていたツルクサを力いっぱい投げると、あたりいっぱいブドウの実がなりました。

シコメ達がブドウを食べている間に、一生懸命逃げました。

しかし今度は、雷神たちが大勢で襲い掛かってきたので、剣でなぎ払いながら逃げました。

黄泉の国の出口までやっとのことでたどり着いたイザナギノミコトは、桃の木を見つけたので、桃の実を力いっぱい投げつけると、追いかけてきた雷神達は驚いて散り散りに逃げました。

「二度と黄泉の国の鬼たちが追ってこられない様に、ここをふさいでしまおう・・・」

と、千人の力で引かなくてはならないほどの巨岩で黄泉の国への穴を塞ごうとした時、最後にイザナミノミコトがやってきました。

 

「あなたが、約束を破られるからいけないのです・・・。これから、あなたの国の人間を一日に千人殺しましょう」

イザナミノミコトの言葉を受けて、イザナギノミコトはこう言います。

「それなら、私は一日に千五百の産屋をたて、子供を生ませよう」

 

国に戻ったイザナギノミコトは、禊をしました。

左目を洗うと、アマテラスオオミカミが生まれ、
右目を洗うと、ツキヨミノミコト(ツクヨミノミコト)が生まれ、
鼻を洗うと、スサノオノミコトが生まれました。

これらの三神は大変尊いので、「三貴子(さんきし)」と呼ばれるそうです。

 

アマテラスオオミカミは高天原を、ツキヨミノミコトは夜の国を、スサノオノミコトは海原(地上世界)をおさめることになります。

その後、スサノオノミコトはアマテラスオオミカミのところで乱暴をはたらき、機織女が死んでしまい、怒ったアマテラスオオミカミは天岩戸の中に閉じこもってしまいました。

そこで、いろんな神様が相談し、策をこらし、アメノウズメノミコトが神懸りをして舞い踊り、アマテラスオオミカミを岩戸から出しました
一方、高天原を追い出されたスサノオノミコトはヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメと結婚。

子を産み、その子孫が出雲大社の御祭神であるオオクニヌシになります。

 

スサノオの子孫であるオオクニヌシは、葦原中国(日本の古名)をおさめていましたが、荒々しい神々がいて揉め事が耐えませんでした。

そこで、アマテラスオオミカミは、アメノトリフネノカミと、タケミカヅチノカミをつかわし、オオクニヌシに国譲りをするよう言います。

オオクニヌシは自分はかまわないけれども、息子のコトシロヌシノカミと、タケミナカタノカミにもきいてほしいと言いました。

コトシロヌシノカミは承諾したのですが、タケミナカタノカミは反対しましたので、タケミカヅチノカミと力を比べをしました。(これが相撲の起源となる)

タケミナカタノカミは負け、諏訪の地から出ないことになり、オオクニヌシは出雲の地に立派な御殿をつくり、そこに住まうことになりました。

→→【鹿島神宮】の記事はこちら・・・茨城県。ご祭神はタケミカヅチノカミ。鹿島神社の総本社で、地震ナマズを押さえてくれている神社。

→→【諏訪大社】の記事はこちら・・・長野県。御祭神はタケミナカタノカミ。諏訪神社の総本社。

→→出雲大社・・・島根県。ご祭神はオオクヌヌシノカミ。出雲神社の総本社。

 

 

 

 

国譲りがなされたので、アマテラスオオミカミは子供の一人であるオシホミミを呼び、葦原中国に降りておさめなさい、と言いましたが、下界は騒がしいからと行かず、代わりにオシホミミの息子のニニギノミコトが天下ることになりました。

天下ろうとした時、光り輝く神様が立ちはだかっておりました。

アメノウズメノミコトがアマテラスオオミカミに言われ、その神様の名を聞くと、猿田彦神だと知らされます。

猿田彦神は、ニニギノミコトを道案内することになりました。

 

 

ニニギノミコトが出発する時、アマテラスオオミカミは、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙の剣、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三種の神器を授けました。

ヤタノカガミは伊勢神宮内宮のご神体、草薙の剣は熱田神宮のご神体とされており、八尺瓊勾玉は皇居にあるそうです。

→→【伊勢神宮内宮(日本で一番尊い御宮)】の記事はこちら・・・三重県伊勢市。ご神体は三種の神器の一つであるヤタノカガミ。

→→【熱田神宮(あつたじんぐう)】の記事はこちら・・・愛知県名古屋市。ご神体は三種の神器の一つであるクサナギノツルギ。

→→【皇居】の記事はこちら・・・東京都千代田区。三種の神器の一つであるヤサカニノマガタマがある。

 

 

ニニギノミコトは三種の神器を持って天孫降臨しますが、後に、美しいサクヤコノハナヒメ(富士山の御祭神である水の神様)と出会います。

サクヤコノハナヒメの父、オオヤマツミノカミ(山の神様。神奈川県伊勢原市の大山詣での神様)は、姉のイワナガヒメも一緒に、ニニギノミコトに嫁がせます。

しかし、イワナガヒメは醜い(見難い?)神様であったため、オオヤマツミノカミへ返してしまいました。

オオヤマツミノカミは言いました。
「二人の娘を嫁がせたのには意味があるのですよ。コノハナサクヤヒメを妻にすれば木の花の咲くように栄え、イワナガヒメを妻にすれば岩のようにビクともしない永遠の命を持つことができました。」

 

ニニギノミコトがイワナガヒメだけ返したので、ニニギノミコト以降の天孫は花のように短命になったそうです。

→→【大山阿夫利(おおやまあふり)神社】の記事はこちら・・・神奈川県伊勢原市。山の神様、オオヤマツミが祀られている山の一つで、大山詣で有名。昔は富士山とセットでお参りされたそうです。

→→【富士山本宮浅間大社の記事はこちら】・・・静岡県富士宮市。コノハナサクヤヒメが祀られている浅間神社の総本社。

→→【富士山五合目】の記事はこちら・・・富士山五合目の小御嶽(こみたけ)神社には、姉のイワナガヒメが祀られています。山頂の御祭神はコノハナサクヤヒメ。

 

 

美しいコノハナサクヤヒメと結婚したニニギノミコトですが、コノハナサクヤヒメが一夜で身ごもったので「本当に私の子か」と疑います。

コノハナサクヤヒメは、「あなたの子なら、例え火の中でも生きて生まれるでしょう」と、産屋に火を放って、その中で生み落としました。(なんだかすごいですね)

 

生まれた子供は、
・海幸彦(火照命)
・山幸彦(火遠理命)
で、山幸彦の孫が、後に初代天皇になるイワレヒコです。

 

イワレヒコは東に遠征し、ヤマトの豪族であるナガスネヒコと戦って兄を失いながらも熊野の地にたどりつき、ヤタガラスに道案内され、奈良の橿原の地に御殿を建てて第一代天皇「神武(じんむ)天皇」、建国の祖として即位されました。

→→【竈山神社】の記事はこちら・・・和歌山県和歌山市。神武天皇の兄は、ナガスネヒコとの戦いで戦死して和歌山市に葬られた。

→→【橿原神宮(かしはらじんぐう)】 の記事はこちら・・・奈良県橿原市。初代天皇である神武天皇が即位した「日本のはじまりの地」。

 

八咫烏(やたがらす)は熊野大神に仕える存在として信仰されており、霊山「熊野三山」のシンボルです。

→→熊野本宮大社(世界遺産)の記事はこちら・・・和歌山県田辺市。

→→熊野速玉大社(世界遺産)の記事はこちら・・・和歌山県新宮市。

→→熊野那智大社(世界遺産)の記事はこちら・・・和歌山県那智勝浦町。

 

 

 

・・・日本神話をかなり省略したのですが、長くなりましたね。

花の窟神社で、イザナミノミコトと、カグチチノミコトにお参りをしている間、叩きつける様な大雨がずっと降っていました。

 

 

ちなみに、日本書紀にはイザナミノミコトは熊野の有馬村に葬ったと書かれていますが、古事記には熊野ではなく出雲国と伯伎国(ははきのくに)の境の比婆山(ひばやま)に、イザナミノミコトを葬ったとあるそうです。

どちらかわかりませんが、熊野はよみがえりの地、黄泉の国なので、神秘的ですね。またいつか、比婆山の岩坂陵墓にも行ってみたいと思います。

 

 

ちなみに、夫神のイザナギノミコト終焉の地は、淡路島と言われています。

 

 

こちらの本は、現代語で書かれていて、非常にわかりやすいです。(小学生でも読める)

 

 

(日本神話について書かれている漫画本です)

 

 

それにしても、日本人のルーツってどこなんでしょうね。

 

日本神話の話、古代ユダヤとのつながり、沖縄やポリネシアとも結びつく失われた古代文明ムーとのつながり。

 

テルマエ・ロマエ」という映画を見ていると、同じ日本人であるのに顔の濃い人、薄い人がいて、「日本人」というのは、ルーツがいろいろ混ざっているんだろうなぁと思います。

 

う~ん、不思議ですねぇ。

 

 

そんな遠い遠い過去も気になりますけど、未来のほうがもっと気になりますね。

やっぱり、一人一人が御魂磨きをして、平和な良い社会を作らないといけませんね。

→→【名草戸畔(なぐさとべ)】の記事はこちら・・・「日本人」は単一民族ではない。土着民と渡来人が、時には争いながらも融合した「和」の国だった。

 

 

 

花の窟神社の御神体である巨石からは、170mもの綱が繋がれています。
これがどこに繋がっているかというと、鳥居のずっと右手側、国道42号線の信号の近くです。

 

 

 

参籠殿の壁にあった「花の窟神社お綱かけ神事」の説明図。

綱は1本ではなく、7本の綱を束ねているんですね。

 

 

7本の綱は、イザナミノミコトの子である「七つの自然神」を表しているそうです。
・風の神、シナトベノミコト
・海の神、ワタツミノミコト
・木の神、ククノチ
・草の神、カヤノヒメ
・火の神、カグツチノミコト
・土の神、ハニヤスノカミ
・水の神、ミツナノメ

綱は、左回りで七回半回り、残りを右巻きで巻きつけて固定しているそうです。

 

綱から垂れる網は3つで、
・太陽の神、アマテラスオオミカミ
・月の神、ツクヨミノミコト
・地上世界の神、スサノオノミコト
の三神を表しているそうです。

 

 

 

昔の版画。
「日本書紀曰」とありますね。
絵からは御神体の巨大さがよくわかります・・・。
書かれている説明文は、

 

 

「日本書紀」にいわく
イザナミノミコト、火の神を生む時に、やかれて神退去(さ)りましぬ。
故(かれ)、紀伊の国の熊野の有馬村に葬りまつる。くにびと、この神の魂を祭るには花の時には花を以ってまつり、また鼓・吹(ふえ)、幡旗を用いて歌い舞いて祭る。
花の窟の御祭りはしも二月、十月の二日の日縄をもて旗をつくり千尋のみしめなをゆいそえ、いかめしき巌の上より濱松のこずえに引き延ばし神主をはじめ懸の奴弥男女等種々の花横山のごとく供え奉れるなむ。神代よりの風俗にはありける。
是より十丁ばかり西のほうに産田の社として二神の鎮まり座す社あり、すべて此地のさま万の書にみえたればもらしける」

とありました。

 

 

 

帰りに、稲荷神社へ参拝しました。
稲荷神社の総本宮は、京都の伏見稲荷大社です。

→→伏見稲荷(ふしみいなり)大社の記事はこちら・・・京都。稲荷神社の総本宮。千本鳥居が見事!

 

 

 

隣には、龍神神社。
「開運 黄金龍神」の旗がたくさん立っていました。

黄金龍神・・・どこかで読んだなぁ、と思いながらお参り。
家に帰って、黄金龍神を検索して、思いだしました。

 

ワイタハ族の長老は、日本と日本人のことを「金龍の大地、金の人々の大地であるヤマトの子供たち」という表現を使います。

 

(長老の言葉)
私たちは特定の宗教を持ちませんが、信仰はあります。それは『命の輝きを大切にする』と言う信仰です。
自然界にあるもの、神の創造物すべての中に『命の輝き』を見ます。人間は、特に神の創造物の中でもひときわ輝いた『命の輝き』を持っています。それだけに、人類は他のすべての生命の輝きに対してケアする責任があるのです。人間は、地球の自然とすべての生命のケア・テイカー(守護者)にならなければなりません。目覚める時は今なのです。
私たちの細胞一つひとつには、遺伝され残されてきたものがあり、水には記憶があります。海や川の水にも、そして私たちの体内の水にも、記憶があります。取り戻すべき喜びや、幸せ、平和のみならず、水の中にあるすべての記憶へとアクセスして、古代の記憶を呼び覚ます時なのです。
この地球に住む人類の集合意識も、水に多いに影響を与えます。そのため、私たちが調和の中で平和に生きていくことが、水の時代では特に重要なのです。

 

お参りを終えた後は、お綱茶屋へ。

小ぶりなみかんが8個くらい入って、100円で販売されていたので、
「すごくお安いんですけど、おいしいんですか?」
と直球質問をぶつけると、お店の方が試食させてくださいました。
めちゃくちゃ甘かったです。
「みかんは、小さいほうが甘いんよ」
とおっしゃっていました。

たくさん入った250円のみかんを一袋買いました。

このあたりは、一年中みかんがとれる地域で、とても安いのです。

国道沿いのいろんなところに「みかん 100円」の看板が立ち、路上販売されていました。

甘くて美味しくて安いので、オススメです。

 

 

この後、私達はお昼御飯を食べて、獅子岩と鬼ヶ城へ行きました。

次の記事はこちら

前回からの続きで、三重県・和歌山県にまたがる熊野(くまの)地方の旅行紹介です。 【花の窟・花窟神社】へお参りをした後、国道42号線を北へ進んで、獅子岩と鬼ヶ城へ行きました。 旅行記   前回[…]

(この参拝記は2016年です)

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交通アクセス

公共交通機関で行く場合、熊野市駅で電車をおりて三重交通バスに乗り、「花の窟」で下車します。運賃は200円です。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。
バス時刻表は、三重交通でお調べください。
土日祝日のみ、熊野市市街地周遊バスがあります。一日乗り放題大人200円で、特典としてお綱茶屋でみたらしだんごが無料でいただけます。

車で行く場合、無料駐車場があります。

近くの宿泊施設

みはらし亭。

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