【トルコ軍艦遭難慰霊碑、樫野埼(かしのさき)灯台と旧官舎】 海に投げ出されたトルコ人が崖を上り、助けを求めた建物

続けて、本州最南端の町である、和歌山県串本(くしもと)町の紹介です。

前回、エルトゥールル号遭難事件を伝える「トルコ記念館 」を取り上げたので、その続きで、トルコ軍艦遭難慰霊碑などを紹介します。

見学記

前回の【トルコ記念館】から、徒歩5分くらいのところに、トルコ軍艦遭難慰霊碑があります。

 

途中、トルコ雑貨屋とトルコアイス屋がありました。

 

1890年(明治23年)のエルトゥールル号の遭難事故で、オスマン・パシャ以下587人の乗組員が死亡、助かったのは69名。

239体の遺体は、この丘に埋葬されました。(まだ海底に遺骨・遺品が数多く眠っています・・・)

 

事故の翌年、和歌山県知事や有志の義金により、墓碑と慰霊碑が建てられました。

この碑は、昭和4年に昭和天皇が樫野崎(かしのざき)に来られることを聞いたトルコ共和国ムスタファ初代大統領が、新たに慰霊碑を建てることを決め、トルコの資金により昭和12年6月3日に完成したものです。

日本・駐日トルコ大使館共同の、5年に一度の追悼式典も、ここで行われます。

 

(どうか、安らかにお眠りください・・・。)

 

と、手を合わせました。

 

 

 

ムスタファ・ケマル・アタデュルク騎馬像。

「ムスタファ」とは選ばれし者、「ケマル」は完全の意味を持つのだそうです。(何か予感があったのでしょうか。すごい名前をつけましたね)

第一次世界大戦後、分割占領された祖国解放に立ち上がった指導者で、トルコ共和国初代大統領。
さきほどのトルコ軍艦遭難慰霊碑を建てることを決定した人物です。

 

エルトゥールル号遭難120年に当たる年(2010年)に、両国の友好の発展を祈って、駐日トルコ共和国大使館から串本町に贈られたのだそうです。

 

 

樫野崎(かしのざき)灯台。

灯台は無料ですが、写真右の樫野埼灯台旧官舎は有料(中学生以上 100円)です。

 

 

樫野埼灯台旧官舎(国登録有形文化財)。

灯台と共に、イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、明治3年(1870年)に建設されました。

灯台守の仕事・居住のために建てられたもので、2011年3月に修復工事が終わりました。

樫野崎灯台旧官舎の中は、撮影禁止です。

 

係りのおじさんが、めっちゃ丁寧に案内してくれます!

 

 

建設当時の陶器のドアノブ、ちょっと屈折している窓ガラス、引っ掛けるだけの簡易的な窓の鍵、ちょっとボロッとした壁。

ここはですね~~、めっちゃ興味深いですよ!

「へー! すごーい! おもしろーい!」

を連発した建物でした。

修復作業のDVDも見せてくれます!(7分くらいだったかな)

 

 

めっちゃオススメなんですけど、訪れる人が少ない! たいていの人はトルコ記念館だけ訪れるのだそうです。

 

トルコ記念館とのちょっとお得なセット券販売があるので、ぜひ立ち寄ってください。

 

ここは、遭難したエルトゥールル号の乗組員が崖を駆け上って、助けを求めた建物です。

 

ずぶぬれの外国人船員が台風の夜に10人くらいやってきて、ここに泊まりこんでいた人はさぞかし驚いたでしょうね!

 

言葉がわからないので、国旗の一覧表を見せ、船員がオスマントルコの国旗を指差したので、
「あー、トルコか!」
とわかったそうです。

 

灯台に駆け込んだ10人は、この建物で一晩明かしたそうです。

 

恐ろしい夜だったでしょうね・・・。

 

 

樫野崎(かしのざき)灯台。現在は、自動点灯の無人灯台なので、内部は非公開です。

「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが日本で最初に設計し、1870年7月8日(明治3年6月10日)に初点灯した日本最初の石造灯台で、日本最初の回転式閃光灯台でもあります。

 

以前取り上げた、本州最南端潮岬(しおのみさき)の【潮岬灯台】と同じころに作られました。

ちなみに、日本で最初に点灯した灯台は、千葉県の【野島崎(のじまざき)灯台】です。

観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬の8つは条約灯台で、日本最初の灯台といわれています。

→→【潮岬灯台の記事はこちら】・・・和歌山県串本町。

→→【観音崎(かんのんざき)灯台の記事はこちら】・・・神奈川県横須賀市。

→→【野島崎(のじまざき)灯台の記事はこちら】・・・千葉県南房総市。

 

 

灯台・官舎建設のため、石を運んだルート。古座川から運んだのですね。

古座川弧状岩脈で有名なのは一枚岩です。

古座川の宇津木石(うつぎいし)は、マグマから出来た石の中では比較的やわらかい石で加工しやすいのだそうです。

 

 

灯台の中に入れませんが、螺旋階段を上って景色を楽しめます。

 

 

 

前日は晴天だったのですが、この日は小雨が降っていました。

紀伊大島沖は海の難所で、「遭難海岸」として恐れられていたそうです。
溶岩が冷えて固まった島なので、暗礁がたくさんあるのでしょうね・・・。

 

 

灯台から見た樫野崎灯台旧官舎。

海に面した壁は、航行する船から見えやすいように、漆喰で白く塗られています。

海側の歩道には、明治初期に灯台技師のイギリス人が植えた水仙があり、12月中旬~2月末頃まで楽しめます。

 

ふるさとが恋しくなって、イギリスから取り寄せて植えたのだそうです。今は10万本以上というから増えましたねぇ。

 

私も時々ふるさとが恋しくなって、紀ノ川と何となく似ている多摩川でボー・・・とすることがありますが・・・、外国となると、ふるさとと似たような景色もなく、さぞかし寂しいでしょうね。

 

 

看板の写真。水仙は良い香りがするので、気持ちの良い散歩ができそう。

 

私たちが訪れた五月は、静かな散策道。

 

 

イギリス人技師が故郷を思い水仙を植え、オスマントルコの船員がたくさん亡くなった紀伊大島。

 

寂しい話、悲しい話だけではなく、親睦の物語も生まれたところです。

 

本州最南端エリアでちょっと交通には不便ですが、良い所ですので、ぜひ足を運んでください。

 

 

灯台からの景色を楽しんだ私達は、記念に小さなナザール・ボンジュウを買い、日米修交記念館と海金剛へ行きました。

 

 

串本町の観光は、次の記事で終わりです。

 

次の記事はこちら

今日で、和歌山県串本(くしもと)町の観光紹介も終わりです。 今日紹介するのは、海金剛(うみこんごう)、日米修交記念館の二つです。 見学記 本州最南端である、和歌山県串本(くしもと)町。 串本大橋を通っていける「紀伊[…]

 

(この旅行記は2017年です)

関連記事

→→トルコ記念館・・・エルトゥールル号遭難事故の資料館。日本とトルコ友好の架け橋。(前回の記事です)

 

本州最南端の町、串本町の観光記事です。

1)串本海中公園・・・本州最南端の水族館。水族館と海中展望塔があります。世界最北のテーブル珊瑚群生地。
2)橋杭岩(はしぐいいわ)・・・奇岩が連なっているところ。江戸時代の宝永大地震の威力を知ることができます。
3)橋杭岩から昇る朝日と、串本ロイヤルホテル。   こりゃもう、絶景よ~~。
4)潮岬(しおのみさき)・・・本州最南端。
5)本州最南端の灯台「潮岬灯台」、本州最南端の神社「潮御崎神社」

 

→→【東京ジャーミイ・トルコ文化センター】 東アジアで一番美しいモスク。無料で見学できます。服装や注意事項について・・・東京にあります。

交通アクセス

公共交通機関で行く場合、串本駅から熊野交通バスで樫野埼灯台口バス停下車、徒歩3分。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。
車で行く場合、無料駐車場があります。

料金について

中学生以上100円。
土、日、祝祭日、11月1日(灯台記念日) 年末年始(12月29日~1月3日)  9:00~17:00。
トルコ記念館、日米修好記念館とのセット券があります。

近くの宿泊施設

串本ロイヤルホテル。橋杭岩から昇る朝日が見れます。プール横にトルコ政府から送られたエルトゥールル号の銅像があります。

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