【名草戸畔(なぐさとべ)】「日本人」は単一民族ではない。土着民と渡来人が、時には争いながらも融合した「和」の国だった

青森の謎スポット「キリストの墓」の記事になかなかすすみませんが、また和歌山ネタです。

 

 

夫のふるさと青森も気になるけれども、私は和歌山出身。

今は神奈川に住んでいるけれども、27年間住んだ生まれ故郷が気になるワケです。

 

時々旅とは関係のない記事も書いていますが、当ブログの8~9割は遊びに行った場所、お参りした神社仏閣を書いています。

 

いろいろ書いてきたのですが、「んー・・・ナゾだぁ」と思ったのが、日前宮でした。

 

現在は神社本庁に属さない単立神社。

神体の鏡はいずれも伊勢神宮内宮の神宝である八咫鏡と同等のものとされる。

八咫鏡は伊勢神宮で天照大神の神体とされていることから、日前宮・國懸宮の神はそれだけ重要な神とされ準皇祖神の扱いをうけていた。日神(天照大神)に対する日前神という名称からも、特別な神であると考えられている。

神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかなかった。なお、日前大神が天照大神の別名とされることについては諸説がある。

日本で最も歴史のある神社の一つで、神話と関わりが深い。

(ウィキペディア 日前宮より抜粋)

 

「神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかなかった」とか、「御神体がヤタノカガミの前に作られた二つの鏡」とか、「歴史が2600年以上ある」とか、「神話と関わりが深い」など、なんだかワクワクする神社なのですが、神社本庁に属していないし、歴史がある割には全国的に有名ではない。

 

・・・なぜだろう???

 

 

今年の帰省で日前宮にお参りした時、境内で気になったのが「中言(なかごと)神社」。

古代からこの地を支配していたけれども、神武天皇に敗れた地主神なのだそうです。

 

ウィキペディアには、

名草 戸畔は、日本書紀や和歌山市の伝承に登場する、神武東征と戦った人物。名草邑(のちの名草郡あたり、現在の和歌山市名草山周辺)の統治者だった。しかし、神武東征で進軍中だったイワレヒコ(のちの神武天皇)との戦いで戦死

と書かれていました。

 

最後の一文は衝撃でした。

 

天皇のご先祖様と戦ったのかぁ。しかも死んじゃったのかぁ。

 

 

そこで、名草戸畔(なぐさとべ)で検索したら、「名草戸畔 古代紀国の女王伝説〜増補改訂版〜」という本が出てきました。

 

 

この本がですね、めっちゃくちゃ面白いんです。

 

 

著者のなかひらさんが、知人の広告代理店の方から、
「遠い昔、神武東征の頃、和歌山にいた女王様ナグサトベが神武に殺された。そのとき、名草の人たちも全滅した。ナグサトベは無念を抱えて成仏できないでいる。もしかしたら怨霊になっているかもしれない。ナグサトベを供養する意味でも、この謎の女王様のことを調べて、本を書いて世に出してほしい」
と頼まれるのです。

 

さらに、ガラスの仮面やアマテラスで有名な美内すずえさんからも、「ナグサトベのバラバラになった遺体を一つにしなければ」と言われ、研究することに。

 

 

著者は、東京の方なのですが、和歌山に何度も訪れて歴史を紐解いていきます。

 

驚きなのですが、ナグサトベの頭が祀られているという「宇賀部(おこべ)神社」の宮司家が小野田家で、あの最後の日本兵「小野田寛郎(おのだひろお)」さんの実家。

敗戦を知らず、30年間もフィリピン ルバング島で戦争を続けていた方です。

 

→→宇賀部神社(おこべさん)の記事はこちら・・・小野田さんから私達へのメッセージも載せました。

 

著者は小野田寛郎さんに会い、宇賀部神社宮司家の「口伝」を聞きます。

 

 

ここからの展開も、またどきどきですごく面白い!

 

さらに、和歌山(名草)に住んでいた人たちは、出雲の豪族ととても仲良く交流していたようです。

いろんな地域に豪族が住んで、交流していたようです。

 

 

まだ読書途中なのですが、神社というのはその土地の自然を守ることはもちろん、歴史も守っているんだなぁと思いました。

 

日本にはいろんな歴史ミステリーがあるわけですが、偽書とされている古文書もいくつかありますし、書物にはなっていない「口伝」もたくさんあるようです。

 

 

驚いたのが、名草の民のルーツ。

もともと九州にいた縄文人が、鬼界カルデラの噴火で住めなくなり、船で和歌山に移住してきたというのです。
それ以前に住んでいた民は追いやられ、山の方へ。

和歌山の名草に移住してきた九州の縄文人は、スンダランドからやってきた民族だというんですねー。

 

オー、スンダランド!

 

日本人のハプログループは10に分かれると、三内丸山遺跡の記事に書きましたが、その中にありました。

 

海底に沈んだ「スンダランド」と呼ばれる大陸が起源とされるハプログループM7は、日本人の約13%が該当します。日本人独特の集団で、日本列島に最も古くから居住しているグループだと考えられおり、数万年前に南方から日本へやってきて、縄文人として繁栄したとされています。

→→三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)の記事はこちら・・・青森県青森市。1万年以上続いた縄文時代は、世界的に見ても珍しい。世界遺産登録されました。

 

 

 

 

こちら、名草の民が信仰した名草山。ふもとに【紀三井寺(きみいでら)】というお寺があります。

 

名草の民が和歌山に定住する以前に住んでいたのが、ヤタガラスなのだそうです。(神武天皇を案内したのがヤタガラス。カラスじゃなくて、古くから紀伊半島に住んでいた民族だった)

 

 

まだ読書途中ですし、晩御飯を作る時間なので今日はここまでにしておきますが、

「日本人」は単一民族ではない。古代の豪族・土着民と、渡来人が、時には争いながらも融合した「和」の国だった。

ということが、自分の出身地に「伝承」として残っているのがわかり、なんだか感動したのでした。(皆さんもぜひ地元の伝承を調べてみてください。争いごとなく、仲良く暮らせていることは、素晴らしいことです!)

 

 

興味のある方は、ぜひ、読んでください。

 

 

日本各地に土着民が住んでおり、自然を大切にして暮らしていたようです。(縄文時代は一万年続いた)

 

私達「日本人」のルーツはさまざまなようですが、

争わず、仲良く暮らす
自然とともに暮らす

 

この二つのメッセージを強く感じました。

 

 

 

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