前回、【古代紀国の女王。和歌山にいた三人のトベ】 神武天皇に誅された縄文の女王を書いたので、その続きです。
今日は、竈山神社(かまやまじんじゃ)を紹介します。
参拝記
今日、取り上げるのは、和歌山市和田にある「竈山神社(かまやまじんじゃ)」です。
以前、【日前宮(にちぜんぐう)】と、【伊太祁曽神社】を紹介しましたが、この二つの神社と竈山神社を参拝することを、「西国三社参り」と言います。
(ちなみに東国三社参りは、以前お参りした【鹿島神宮】、【香取神宮】、息栖神社です。こちらも神話と関わりが深いお宮です)
私は和歌山市で生まれ育ちましたので、結婚して和歌山を離れるまでの27年間のうち、よくお参りしていたのは【日前宮(にちぜんぐう)】です。
【伊太祁曽神社】は日本中に木を植えたイタケルノミコトを祀っているお宮で、大工をしている父親が毎年参拝する神社です。
日前宮と、伊太祁曽神社は何度かお参りをしているのですが、西国三社参りのもう一つの神社「竈山神社(かまやまじんじゃ)」には一度もお参りをしたことが無く、祀られている神様についても知りませんでした。
竈山神社にお参りに行きたいと思うきっかけとなったのが、去年読んだこちらの本。
初代天皇(神武天皇)となるイワレヒコと、古代紀国の女王「名草戸畔(ナグサトベ)」の伝承について書かれた本で、とても面白いのでオススメです。
ナグサトベは、次回の記事で書くことにし、今日紹介する竈山神社は、初代天皇となるイワレヒコの兄「五瀬命(イツセノミコト)」を祀ります。
竈山神社鳥居。
駐車場は鳥居の手前で、無料で停められます。
手水舎。
神門。
天皇家の紋、十六八重表菊。
拝殿。
祭神は先にも書きましたが、初代天皇(神武天皇)となる神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)・・・名前が長いので、イワレヒコと呼びますが、そのお兄さんの「イツセノミコト」です。
ここで「神武天皇ってだれ?」と思われる方もいると思うので、日本神話と天皇の祖先について、ざっと簡単に説明します。
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この夫婦神は次々と神様を生んだけれども、火の神を生んだ時に、イザナミノミコトが大やけどをして死んでしまった。妻恋しさにイザナギノミコトは黄泉の国に行くが、妻の変わり果てた姿を見てビックリ仰天。逃げ出す。
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黄泉の国から戻って、汚れをはらうために禊をすると、右目から太陽の神アマテラス、左目から月の神ツクヨミ、鼻から海原の神スサノオが出てきた。
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スサノオがけっこうやんちゃするので、イザナギは「高天原から出ていけ」と命令。スサノオは姉のアマテラスに別れの挨拶をしに行くが「私の国をとりにきた」と誤解されたので、誓約をすることになった。
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この誓約で、かみ砕いた剣と飾りからたくさんの神様が生まれ、天皇の祖先であるアメノオシホミミノミコトが誕生。アメノオシホミミの子供が、ニギハヤヒとニニギ。
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アマテラスに言われて、出雲の大国主が国譲りに応じたので、ニニギは三種の神器を持ち、サルタヒコに導かれて天孫降臨。九州の高千穂に下り、くしふる岳に宮殿を立てた。
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ニニギはコノハナサクヤヒメ(冨士山の神様として有名)に一目ぼれ。父のオオヤマツミから、姉のイワナガヒメとセットで妻にもらい受けるが、「イワナガヒメはみにくいからいらない」と返し、コノハナサクヤヒメだけもらう。イワナガヒメも一緒にもらったら長寿になったのに、追い返したので、ニニギから短命になった。
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ニニギとコノハナサクヤヒメの間に3人の男児が生まれた。長男が海幸彦(うみさちひこ)、末っ子が山幸彦(やまさちひこ)。山幸彦は海幸彦から借りた、霊力のある釣り針を無くしてしまい、大げんか。山幸彦は、竜宮城へ行き、釣り針探しをするが、竜宮城の姫さまである「トヨタマヒメ」と恋に落ち、竜宮城で3年暮らす。
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3年経って竜宮城を離れることにした山幸彦。霊力のある玉と、海幸彦の釣り針をもらい帰る。トヨタマヒメからの助言と宝で、兄の海幸彦をやっつけて、ニニギの末っ子である山幸彦が後継者に決定。
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ニニギの後継者となった山幸彦のもとに、トヨタマヒメが竜宮城から「子供が生まれる!」とやってくる。「子供を産んでいる姿は見るな」と言われたのに、ついつい見てしまった山幸彦。なんと、トヨタマヒメはワニ鮫だった。びっくりして逃げ出す山幸彦。トヨタマヒメは子供だけ残して竜宮城へ帰った。この子供が、彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)・・・長いから「ウガヤフキアエズ」と呼ぶ。
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ウガヤフキアエズは、トヨタマヒメが産み落とした子供の育児を手伝いに来た妹の「タマヨリヒメ」と結婚。(お母さんの妹と結婚って、すごいなぁ)
二人の間には、4人の男児が生まれた。(この四人は、山幸彦の孫。ニニギのひ孫にあたる)竈山神社の祭神であるイツセは、四兄弟の長兄。末っ子が、後に神武天皇となるイワレヒコ。イワレヒコは長旅の末、奈良の【橿原神宮(かしはらじんぐう)】の地で、初代天皇として即位した。
簡単に書きましたが、もっと詳しく知りたい方には、古事記のものがたり―稗田の阿礼が語るゆかいな「日本の神話」が、とても読みやすいのでオススメです。
これらの話が本当にあったことなのかどうかわかりませんが、面白いですねぇ。
もともと朝廷は歴史書を持っていましたが、奈良時代に起こった「乙巳の変」でそれらの本は焼けてしまいました。(→→興福寺の記事に書きました)
そのため、大海人皇子(後の天武天皇)が歴史書を作らねば、と編纂を命令し、できたのが「古事記」と「日本書紀」です。
先ほどの話は、古事記から簡単に書きましたが、次は日本書紀からイツセノミコトのことを抜き出して、簡単に紹介します。
イワレヒコ(後の神武天皇)らは、宮崎県の日向で暮らしていたが、塩土の翁から「東の方に青い山が取り巻く良い土地がある(奈良のあたり)」と聞き、「天下を治めるのに良い場所だ」と考え、長兄のイツセらと共に軍隊を従えて、旅立った。
・・・が、すでに、奈良にはニギハヤヒがいた。(ニギハヤヒは、イワレヒコらのひいじいさんであるニニギの兄? イワレヒコらとは同族)
先に奈良についていた同族のニギハヤヒは、ヤマトの土着の豪族であるナガスネヒコの妹と結婚し、同盟関係を結んでいた。
イワレヒコらは奈良に向けて進軍していたが、生駒山あたりでナガスネヒコ軍から侵略者扱いされ、攻撃にあい進軍を断念。(→【三上山、御上神社】の記事にニギハヤヒとナガスネヒコのことを書きました)
ナガスネヒコ軍の矢がイツセに当たり、大けがをする。
イツセはその矢傷が悪化し、死んでしまったので、イワレヒコらは亡骸を運び、竈山に葬った。
拝殿の裏に本殿があり、本殿の背後にはイツセノミコトの墓と伝える竈山墓(宮内庁治定墓)があります。
明治初期まで小さな神社だったそうですが、戦前の国家神道の発展に伴って最高の社格である官幣大社に位置づけられ、社殿等が整備され、現在の姿になったようです。
現在の社殿1939年は(昭和14年)の造営なのだそうです。
長兄イツセを失ったイワレヒコは、さぞかし悲しかったでしょうね。
この後も数々の困難を乗り越えて、奈良へ向かうわけですが、その話は次の記事で古代紀國の女王名草戸畔(ナグサトベ)と共に紹介します。
前回の続きで、和歌山県に伝わる初代天皇の神武天皇と、古代紀国の女王・名草戸畔(ナグサトベ)伝承の紹介です。 今日は、和歌山県和歌山市吉原の中言神社(なかごとじんじゃ)を紹介します。 参拝記 […]
(この参拝記は2018年です)
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交通アクセス
和歌山電鐵(わかやま電鉄)貴志川線「竈山駅」で下車、徒歩約10分。
車で行く方は、無料駐車場があります。
近くの宿泊施設
ホテルグランヴィア和歌山。竈山駅近くにホテルは無いので、和歌山駅まで行きましょう。ホテルグランヴィア和歌山は、和歌山駅を出てすぐです。