前回からの続きで、滋賀県の琵琶湖一周旅の紹介です。
米原駅から始まった、琵琶湖一周旅もこれが最後です。
最終日の行程は、
【河内の風穴】・・・55万年以上前にできた日本で三番目の長さの鍾乳洞
【多賀大社】・・・全国にある多賀神社の総本社で延命長寿にご利益がある
と、まわりまして、最後は彦根城でした。
旅行記
私達が彦根城に訪れたのは、春休み中の木曜日、昼頃でした。
春休み中とはいえ、平日。
そんなに混んでいないだろうと思っていたのですが、彦根城周辺の駐車場はどこも満車!
「えええ、どうしよう。停めるとこない~~」
彦根城は諦めるしかないかなぁと思いながら、城のまわりを二周し、三周目に前の車についていったところ、臨時駐車場が開かれ、なんとか停めることができました。
平日でこれですから、土日祝日や大型連休に訪れる時は、早く行った方が良いと思います。
「やっと停められた。彦根城、人気だな~」と驚きながら、お城へ向かってお堀沿いの道をテクテク歩き、表門橋から入りました。
臨時駐車場からここまではけっこうな距離でしたが、桜が満開で奇麗でした。
彦根城の桜は、お堀沿いを中心に約1,200本植えられているそうです。(昭和初期に、観光目的に植えられた)
彦根城は、幕末に「安政の大獄」を断行し、「桜田門外の変」で殺された大老・井伊直弼(いいなおすけ)が生まれ、藩主となった城です。
全国に5つしかない国宝の天守を有する城なのですが、どちらかというと歴史がどうのこうのよりも、彦根城のマスコットキャラクター「ひこにゃん」の方が印象が強い・・・でしょうか。
ひこにゃん目当てで行く方は、彦根城入場窓口にある、「本日のひこにゃん」をチェックしましょう。
彦根城博物館前にて。さっそく、ひこにゃん。
一時半から博物館近くに、ひこにゃんが出てくるとのことだったので、行ってみました。
なんと、ヒコニャンには近寄れないことが判明。
観光客はちょっと離れた所から写真撮影するしかないのだ・・・。
「並んで写真撮れないのかぁ」と、ちょっとガッカリ。
30分間、ひこにゃんがポーズを変えてパフォーマンスをしてくれます。(無言)
私達は数枚写真を撮って、3分ほどで立ち去りました。
うーーーーん、並んで写真撮れないのが、残念だぁ。人気キャラは囲まれると大変そうだから、仕方ないかぁ。
ちなみにひこにゃんは2007年に彦根城築城400年記念イベントで登場したそうなので、もう10年も活躍しているんですね。
これだけ長い間、愛されているのはスゴイことだと思います。
では、彦根城・玄宮園のセット券、大人800円、子供200円払って、天守へ向かいましょう。
廊下橋(非常時には落とし橋となる)と、天秤櫓(てんびんやぐら)。
天秤櫓は重要文化財です。このような左右対称の櫓は、彦根城だけ。
長浜城の大手門を移築したと考えられているそうです。
なんと、この貴重な天秤櫓は、中に入れます。
凹型の天秤櫓からぜひ見て欲しいのが、佐和山(さわやま)。
鎌倉時代から戦国時代にかけての400年間、畿内と東国を結ぶ要衝として、軍事的にも政治的にも重要な拠点となった境目の城「佐和山城」があった所でした。
一時期、豊臣方の石田三成の居城であったところで、関ヶ原の戦いで三成が敗れた後、徳川家康方の小早川秀秋らに攻められ、佐和山城で三成の父や妻が亡くなりました。
天秤櫓を出て天守を目指して上り、太鼓門櫓(たいこもんやぐら)に到着。
本丸への最後の関門で、重要文化財です。
けっこう階段を上り、ついに天守前に到着。
ひこにゃんのパネルがありました。
ひこにゃんは、彦根藩の2代目藩主・井伊直孝が雨宿りをしていた際、手招きして誘い、落雷から直孝を救った白猫をモデルとしています。
ひこにゃんの兜は、「井伊の赤備え」として有名な、井伊家の伝来品をモデルとしているというから、実はよく考えて作られたキャラクターなんですね。
天守前は、本丸跡です。
天守以外の建造物は、明治時代に取り壊されてしまったそうです。
もともと天守もつぶされる予定でしたが、明治天皇により取り壊しを免れました。
橘紋(たちばなもん)の幕を見て、いよいよ天守へ。
日本には、現存天守が12あります。
(ウィキペディアより)
- 修復などを繰り返しつつ、ほぼ創建当時のままを維持してきたもの(姫路城・彦根城)
- 現存天守が在籍していた城が存城であった当時に再建、改築されたものがほぼそのまま残っているもの(【犬山城(いぬやまじょう)】・【松本城】・高知城・松江城など)
- 付属する一部の建物を焼失または改築されたもの(宇和島城)
- 明治維新以降に保存されるまでの経緯で付属する建物を撤去、または損失したことにより主に主体のみが保存されることになったもの(備中松山城・松山城・【弘前城】・丸亀城など)
- 損失したが遺材を組み直して再建されたもの(丸岡城)
彦根城の天守は、国宝です。
国宝5城・・・ 【松本城】、【犬山城(いぬやまじょう)】、彦根城、姫路城、松江城。
天守は狭い階段を上り下りするので、足腰の弱い方や、小さな子連れはご注意を。
改修されながらも400年経った天守かぁ、すごいなぁ。
・・・と、キョロキョロしたかったのですが、後から後から人が来るので、あまり留まることもできず。
あ、落書き!
国宝ですよ~~!
文化財と自然は、大事にしよう!!!
第13代彦根藩藩主で、後に江戸幕府の大老となった井伊直弼(いいなおすけ)。
時代劇にもよく出てくるし、吉田松陰をはじめとする尊皇攘夷派が大量に処刑された「安政の大獄」と、井伊直弼が惨殺された「桜田門外の変」は学校で必ず習うので、知らない方はいないでしょう。
以前、皇居東御苑(旧江戸城)桜田門に行ったので、そちらの記事も併せてお読みください。
井伊直弼が生まれたのは、彦根城の西の丸です。
井伊直弼生誕地の石碑と、説明パネルが立っていました。
ひこにゃんは大人気なのに、こちらは誰もおらず、みんな通り過ぎるだけで、なんだか寂しかったです。
井伊直弼の銅像。
銅像の近くには、
一身に責負ひまして、立ちましし、大老ありてこそ、開港はなりぬ
と、ありました。
天皇の許しがないまま日米修好通商条約に調印したり、安政の大獄をしたイメージで「悪人」であったり、桜田門外の変で暗殺されたことから「恨みをかってしまった人」といったイメージが先行してしまう井伊直弼ですが、幕末は、開国を迫る外国勢力、将軍家の跡継ぎ問題、尊王譲位派の台頭、日本中で蔓延するコレラ、続く大災害・・・と、大大大混乱な時代でした。
こんな時代に、大老(将軍の補佐役!)だった、井伊直弼。
舵取りが大変だっただろうなぁ・・・と思います。
直弼の死後、大政奉還、王政復古。新政府となり、西洋文化を取り入れて富国強兵・脱亜入欧を目指し、明治・大正・昭和と、日本は外国勢との大きな戦乱へ突入し、現代へ結びつきます。
もしも、直弼が、開国していなければ、どうなっていただろう?
私は、遅かれ早かれ開国することになっただろうなぁ・・・と思うのですが、皆様はどのように思われたでしょうか。
そして、もしも直弼が、現代の日本、世界を見たら、どのように思うのでしょうか。
あちこち「ひこにゃん」だらけで何だかほのぼのとした彦根城でしたが、歴史の動乱期に思いを馳せ、過去から未来への繋がりを意識するのも面白いと思います。
以上で、琵琶湖一周旅は終わりです。
4月から書き始めて、やっと終わりました。
ありがとうございましたm(_ _)m
(この旅行記は2018年です)
関連記事
→→2018年・春 滋賀県琵琶湖一周 5泊6日旅行の行程・・・この旅行の行程まとめ。
→→【増上寺】徳川将軍家墓所・・・井伊直弼は公武合体(朝廷+幕府)を目指しました。後に、孝明天皇の妹・皇女和宮が降嫁し、家茂と結婚。お二人のお墓は、仲良く並んで増上寺にあります。
→→【旧・江戸城本丸跡(皇居東御苑・江戸城天守跡)】・・・直弼が暗殺された桜田門があります。
交通アクセス
公共交通機関で行く場合、彦根駅で下車し、徒歩15分。
車で行く場合、周辺にたくさん有料駐車場があるのですが、混雑するので早めに行きましょう。
料金
彦根城・玄宮園のセット券、大人800円、子供200円
(博物館とのセット券もあります)
近くの宿泊施設
ホテルサンルート彦根。彦根駅出てすぐ。