【河合神社】 鏡絵馬に御化粧をして美人祈願ができる、女性守護の社

前回からの続きで、一泊二日の京都旅行の紹介です。

加茂御祖神社(下鴨神社)の紹介をいくつかにわけて書いてきましたが、この記事が最後です。

→→京都府 一泊二日旅行(加茂社・嵐山・鞍馬・貴船)の行程こちら・・・レンタカーを利用して一泊二日で9ヵ所まわりました。

参拝記

【加茂みたらし茶屋】【賀茂御祖神社(下鴨神社)】【糺の森(ただすのもり)】と書いて、最後は境内の南にある「河合(かわい)神社」です。

 

【賀茂御祖神社(下鴨神社)】から河合神社までは、【糺の森(ただすのもり)】にまっすぐ伸びる参道を、ひたすら南へ歩きます。

駐車場から加茂御祖神社(下鴨神社)はすぐにお参りできますが、河合神社までは600mほど離れています。

 

 

5分ほど歩いて、河合神社に到着。

 

 

加茂社(上鴨神社、下鴨神社)の神紋のフタバアオイと、皇室の御門。

 

 

河合神社の境内図。

 

 

河合神社の祭神は、初代天皇として橿原に即位した神武天皇の母、玉依姫命(タマヨリヒメ)です。

玉依姫命(タマヨリヒメ)は、玉の様に美しく美麗の神として信仰されていたようです。

 

 

以前、【竈山神社】の記事に神武天皇のことを書きましたが、神武天皇は四人兄弟の末っ子です。(長兄のイツセが亡くなって、葬った地が和歌山市の竈山神社)

神武天皇(イワレヒコ)の母はタマヨリヒメ、父親はウガヤフキアエズです。

 

この辺りがちょっと面白いので、簡単に話を書いておきます。

天皇の祖先に、山幸彦(やまさちひこ)がおりました。

山幸彦はお兄ちゃん(海幸彦)と、スゴイ釣り針の貸し借りで喧嘩して、釣り針を探しに行った竜宮城で出会ったのが、美しいトヨタマヒメ。(河合神社の祭神・タマヨリヒメのお姉さん)

山幸彦は竜宮城で三年過ごして戻るのですが、その間にトヨタマヒメは子供を孕み、後に「子供が生まれます!」と竜宮城から山幸彦のもとにやってきます。

「産んでる姿は見ないでね」と言われたのに、山幸彦はついつい覗いてしまいます。

産みに苦しむトヨタマヒメ・・・、その正体はなんと、ワニザメだった。

びっくりして逃げる山幸彦。

トヨタマヒメは、姿を見られてしまったので、子供だけ残して竜宮城に帰ってしまいます。

この生まれた子供が、ウガヤフキアエズ。神武天皇のお父さんです。

後に、竜宮城に帰ってしまったトヨタマヒメの妹のタマヨリヒメがやってきて、育児に参加します。

そしてタマヨリヒメ(河合神社の祭神)は、大きくなったウガヤフキアエズと結婚し、子供を産みました。

4人兄弟の長兄がイツセ(ヤマトへ向かう途中、戦で亡くなり、和歌山市の【竈山神社】に葬られた)、末っ子がヤタガラスに案内されて橿原にたどり着いて即位したイワレヒコ(神武天皇)です。

 

 

(読みやすくてオススメです)

 

「神話って面白いね」とちょっと思っていただいたところで、河合神社に戻りますが、祭神はタマヨリヒメ。

子供を産み落として竜宮城に帰ったお姉ちゃんのかわりに、育児をするためにやってきた妹で、大きくなったお姉ちゃんの子供と結婚し、神武天皇を生んだ方・・・ということになります。

父親は、【賀茂御祖神社(下鴨神社)】の記事にも書きましたが、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)。

神武天皇(イワレヒコ)を橿原に導いたヤタガラスは、この方の化身だと言われています。(つまり、イワレヒコを橿原に案内したのは、お母さんのお父さん。母方の祖父ということになる)

 

これらを伝える古事記や日本書紀は、天武天皇(7世紀後半ころ)に命令されて編纂された書物です。

つまり、神武天皇が橿原に即位してから、600~700年くらい経ってから書かれたのです。

もともと朝廷は歴史書を持っていましたが、飛鳥時代に天皇以上の力を持ってしまった蘇我一族を、中大兄皇子と中臣鎌足らが排除した時(乙巳の変)に焼失してしまったため、中大兄皇子(天智天皇になる)の弟が天皇に即位した時(天武天皇)に、「新しく歴史書を作ろう」ということで、編纂されたのです。

→→【奈良公園①】の記事に書きました・・・乙巳の変で活躍した中臣鎌足は、藤原氏の祖。藤原氏は後にスゴイ勢力となる。

 

このような経緯でずーーーっと後に作られたため、古事記と日本書紀が、どのくらい本当のことを伝えているのかわかりませんが、トヨタマヒメがワニザメだったとか、その妹のタマヨリヒメの父親の化身が三本足のカラス「ヤタガラス」とか、なんだか暗号のようで面白いですね。

古事記と日本書紀は内容が若干違い、「加茂氏の祖先はヤタガラス」といった記述は、古事記にはないそうです。(後に数回書き換えられているし、権力者がいろいろいじったのかもしれない。歴史は常に勝者が作るものである。日本は、土着豪族や渡来人が争ったり和合したりで複雑な歴史なのだと思う)

 

 

ちなみに、河合神社の「タマヨリヒメ」ですが、神武天皇の母であるタマヨリヒメの他にもタマヨリヒメがいます。

これはおそらく個人名ではなく、「巫女」を意味しているのではないか・・・と思います。(ヒミコも個人名ではなく、巫女の名称のようなもので何人かいたのでは・・・?)

 

 

 

古事記から話を戻しまして、河合神社には「鏡絵馬」があります。

テレビの旅番組でも有名ですね。

絵馬に、自分の化粧品や色鉛筆で可愛くお化粧して、奉納できます。

 

 

女性に大人気。みんな、この中でせっせと絵馬に御化粧していました。

 

 

河合神社の拝殿にはこのような札があります。

 

神さまにお祈りしましょう

皇室が御安泰で、

日本が平和で、

みんなが幸せで、

も幸せで

ありますように。

「自分が美しくなりますように」とお願いするとともに、みんなの幸せと平和を祈り(意乗り)ましょう。

戦争もなく平和だから、オシャレをして楽しくデートしたりプレゼント交換したりできるわけです。

みんなが幸せで、わたしも幸せだから、温かくて眩しい笑みがこぼれるのです。

 

 

心が豊かで、口から出る言葉は優しく、笑顔はやわらかくて眩しい・・・。

 

なんて素敵な女性でしょう! きっとモテる!

 

 

というわけで、自分の美人祈願も大事ですが、みんなの幸せも祈ってくださいませ m(_ _)m

 

 

こちら、隣の貴布禰神社(きふねじんじゃ)。水の神を祀っています。

キフネ神社と言えば、鞍馬(くらま)の貴船神社(きふねじんじゃ)が有名ですね。神武天皇の母のタマヨリヒメが、黄色い船に乗ってたどり着いたと言われているところです。

→→【貴船神社】の記事はこちら・・・日本のルルドの泉! 貴船神社の総本社で、絵馬発祥の地。緑と水が気持ち良い癒しスポット

 

その左隣には、任部の社(とうべのやしろ)。

祭神はヤタガラスで、河合神社創祀の時から祀られていたようです。

前回の【糺の森(ただすのもり)】の記事で、ヤタガラスについてちょっと書きましたが、ウィキペディアに「八咫烏は下鴨神社境内にある糺の森河合神社を仮本宗と位置づけている」との一文があり、この社のことかなぁ?と思いました。

 

先ほどの説明書きにも書かれていますが、ヤタガラスは日本サッカー協会のシンボルマークで、サッカー必勝の守護神です。

写真は、熊野三山の一つである【熊野那智大社(世界遺産)】へお参りした時に買った那智黒石で作られたキーホルダー。サッカーボールの上にヤタガラスが乗っています。

昭和6年からシンボルとなっているのだそうです。(協会設立メンバーが那智出身である説や、氏子説などがある)

→→【熊野那智大社(世界遺産)】の記事はこちら・・・熊野三山の一つ。もともと那智の滝の近くに祀られていた。ヤタガラスの社がある。

 

 

ヤタガラスは、サッカー必勝だけではありません。境内には、日露戦争の戦勝記念に奉納された砲弾もありました。

 

長くなってきたので、河合神社のもう一つの見どころ、鴨長明(かものちょうめい)の方丈庵は次の記事で紹介します。

 

次の記事はこちら

前回からの続きで、一泊二日の京都旅行です。 →→京都府 一泊二日旅行(加茂社・嵐山・鞍馬・貴船)の行程こちら・・・レンタカーを利用して一泊二日で9ヵ所まわりました。   加茂氏の氏神を祀る加茂御祖神(かもみおやじんじゃ)[…]

 

(この旅行記は2018年です)

 

関連記事

→→京都府 一泊二日旅行(加茂社・嵐山・鞍馬・貴船)の行程こちら・・・この旅行の行程まとめ。

→→【糺の森(ただすのもり)】 下鴨神社の原生林。古代遺跡のある森で、葵祭の名物「申餅」を食べる・・・前回の記事。

→→【賀茂御祖神社(下鴨神社)】 日本の歴史に深く関係しているお宮です・・・前々回の記事。

→→【加茂みたらし茶屋】 大正11年創業。みたらし団子の発祥地は、下鴨神社・・・すぐ近くです。

→→【熊野本宮大社(世界遺産)】 全国に約3千社ある、熊野神社の総本社・・・ヤタガラスと言えば、熊野。

→→【慈尊院】 空海の母と関わりの深い寺で、乳房型の絵馬がある・・・ここの絵馬は、オッパイです。

 

→→【加茂別雷神社(上加茂神社)】 加茂タマヨリヒメが、流れてきた丹塗り矢を寝床に置いたら懐妊した! 縁結びの片岡社はハート絵馬

交通アクセス

京都市バス「下鴨神社前」下車すぐ。

または、出町柳駅から徒歩12分。1.2kmほど。

近くの宿泊施設

京都駅出てすぐ。

 

お得で便利な、旅の予約サイト

【必見書籍! 迫り来る大薬害の内部告発】