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【トルコ記念館】 映画「海難1890」のもととなった「エルトゥールル号遭難事件」を伝える資料館。トルコが親日の理由

投稿日:2017年5月28日 更新日:

本州最南端の和歌山県串本町の観光を続けて取り上げます。

今日から数回に分けて、本州最南端潮岬(しおのみさき)の隣にある紀伊大島の見所を書いていきます。

紀伊大島は、映画「海難1890」の元の話となったエルトゥールル号遭難事件のあったところです。

見学記

本州最南端の串本町&紀伊大島の観光マップ。

紀伊大島は周囲28kmもあり、和歌山県で最大の島。潮岬から、くしもと大橋(無料)を渡って行きます。

昔は船での行き来だったでしょうから、便利になりましたねぇ。

 

 

 

「トルコ記念館」は、紀伊大島で一番人気のスポットだと思います。

トルコ記念館では、樫野埼灯台旧官舎日米修交記念館の3館セット券も取り扱っており、これはとてもお得なので、時間に余裕のある方は3館セット券をオススメします。

 

特に、樫野埼灯台旧官舎はエルトゥールル号遭難事件と関わりが深く、徒歩数分で行けるのでオススメです。

 

日米修交記念館は車で10分ほど離れたところにあり、海金剛(うみこんごう)という景勝地とセットでまわれます。

 

 

 

トルコは赤い風船のところ。

トルコは、アジアとヨーロッパにまたがる地域にあり、北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリア、ギリシャと、東でジョージア(グルジア)、アルメニア、アゼルバイジャン、イラン、イラク、シリアと接しています。

イスラム教徒を主とする多民族国家で、人口の9割はアジア人なのだそうです。

 

トルコは、「親日国」として有名ですね。日本同様、地震の多い地域です。

 

 

 

 

赤い地域は、トルコ共和国の前身である「オスマントルコ」の最大領土(1683年)。今も紛争の絶えない地域が入っています。

学校の世界史で「オスマン帝国」って習いましたね。

→→オスマン帝国 ウィキペディア

 

 

栄華を誇ったオスマン帝国は、17世紀末頃から徐々に衰退して領土が縮小。

日本が明治だったころ、西洋列強に領土を奪われ「瀕死の病人」といわれるほど衰弱していたそうです。
この頃、日本は欧米諸国と結んだ不平等条約に苦しみ、明治政府は解消を模索しているところでした。

 


 

オスマン帝国皇帝アブドゥルハミト2世。


明治20年(1887年。遭難事故の3年前)、明治天皇の叔父にあたる小松宮彰仁親王夫婦がトルコ皇室を訪問、明治天皇から託された感謝状や贈り物がアブドゥルハミト2世に手渡されました。

オスマン帝国は、小松宮彰仁親王へのお礼、大日本帝国との親睦、航海訓練もかねて、エルトゥールル号を日本に派遣します。

 

 

 

 

軍艦エルトゥールル号。

木造船でしたが、蒸気機関を搭載して蒸気船に改造されました。
けっこう古い船だったようです。

 

 

 

 

エルトゥールル号の司令官オスマン・パシャ。

横浜に上陸したオスマン・パシャ達は、国賓として熱狂的に迎えられました。
皇居で明治天皇に拝謁し、親書や贈り物を献上し、晩餐会も催されたようです。
一行は3ヶ月東京に滞在し、明治23年(1890年)9月15日にイスタンブールに向けて帰途に着きました。

 

日本は「9月は台風がよく発生するので航海は危険だ」と出航を見送らせるようすすめましたが、コレラの流行による船員・物品の消耗、資金不足で帰りを急ぎ、出航。

 

 

 

熊野灘で台風の防風に捕まり、山のような高波にもまれて操縦不能となり、樫野崎(かしのざき)の断崖下の岩礁「船甲羅」に衝突。

エルトゥールル号は中央から折れ、機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし、沈没・・・。
台風で大荒れの真っ暗な夜の海へ、600名以上が投げ出されました。

 


 

 

事故現場「船甲羅」は、トルコ記念館の窓から見えます。

 

 

 

赤丸印の岩が、船甲羅。

ここは、古来から数知れない船が沈んだ難所だったようです。

この事故でオスマン・パシャ以下587人もの乗組員が死亡しました。

水蒸気爆発を起こしたので、爆死した乗組員も多かったでしょうね・・・。

未だに、遺品、遺骨が沈んでいるのだそうです。

 

 

 

潜水調査は、事故直後、1978年、1990年の三回行われており、7000点以上の遺品が引き上げられました。

 

ふるさとへのお土産だったのでしょうか、有田焼や薩摩焼の破片も引き上げられたそうです。

 

・・・持って帰りたかったでしょうね。

家族の待つ故郷へ帰りたかったでしょうね。

 

胸が痛みます・・・。

 

 


 

エルトゥールル号船員の服装。

映画「海難1890」で使われたものだそうです。

 

 

 

将兵の服装。

 

 

 

樫野埼灯台下に流れ着いた生存者の内、約10名が数十メートルの断崖を登って、樫野崎灯台へ助けを求めました。

これはトルコ記念館の屋上から撮った樫野崎灯台です。左に白い建物(樫野崎灯台)が見えるでしょうか。

 

どんなルートで登ったのかわかりませんが、かなりの断崖です。

 

乗組員が助けを求めた樫野埼灯台旧官舎は、トルコ記念館から徒歩5分くらいのところで、次の記事で取り上げます。

 

この事故で一命を取り留めたのは、69名。

大島の人たちは手持ちの着物や布団を持ち寄り、自分達の食料も削り、懸命に介護したそうです。

生存者を救済する一方で行方不明者の捜索も行われ、239体の遺体は樫野崎の丘に埋葬されました。

しかし、オスマン・パシャを初めとする多数の将兵は、今も海底で眠り続けているのだそうです・・・。

 

生存者は紀伊大島から神戸、神戸からトルコへと帰りました。
日本全国から義捐金が集められ、トルコの遺族達に届けられました。

 

 

 

 

時は流れて昭和60年(1985年)。

イラン・イラク戦争の真っ只中でイラクのフセイン大統領は「今から48時間以降にイラン上空を飛ぶ飛行機は全て撃墜する」と発表。

日本政府の対応が送れ、日本航空は「イランとイラクによる航行安全の保証がされない限り臨時便は出さない」とし、イラン在住の日本人は帰る飛行機がなくパニックに。

野村豊イラン駐在特命全権大使が、トルコのビルレル駐在特命全権大使に訴え、タイムリミットまであと数時間というところで、トルコ政府の救援機が2機飛んできて、逃げ遅れた日本人215名全員を乗せてテヘラン空港を脱出。

空港に集まったトルコ人は自国の飛行機に乗って避難する予定でしたが、日本人に飛行機を譲り、数日かけて陸路でトルコへ帰りました。

トルコ政府の対応を非難する人はいなかったそうです。


ヤマン・バシュクット駐日大使は「特別機を派遣した理由の一つが、トルコ人の親日感情でした。その原点となったのは1890年のエルトゥールル号の海難事故です」と語ったそうです。

 

 

 

 

串本町では5年に一度、駐日トルコ大使館と共に追悼式典が行われています。

2008年(平成20年)6月7日、訪日していたアブドゥラー・ギュル大統領は、トルコ大統領として初めて紀伊大島を訪れ、遭難慰霊碑前で行われた追悼式典に出席し、献花を行ったそうです。


和歌山県に国家元首が訪問するのは、初めてのことだったそうです。

 

 

 

 

トルコと日本の国旗。


・・・なんだか、面白いですね。

赤と白、太陽と月・星。

色も模様も、奇麗に反対になっていますね。

一部のトルコ人学者によるとトルコの国旗と日本の国旗は「兄弟国の証」らしいです。

 

 

 

私が外国の雑貨で初めて買ったのは、トルコの民芸品「ナザールボンジュウ」の壁掛けでした。

中学生の時、和歌山市のマリーナシティの雑貨店で、青色に惹かれて購入。

ケバブは美味しいし、オリエンタルな文化はカッコ良いし、なんだか魅力的なトルコ。

 

もう少し落ち着いたら行ってみたい・・・。

 

 

 

 

映画はこちら。

 

トルコへ行くのはいつになるかわかりませんが、また近いうちに、東京ジャーミィとトルコ文化センターへ行ってみたいと思います。

ここなら1時間くらいで行けるぞ~♪

追記:行ってきました、東京ジャーミイ!

→→【東京ジャーミイ・トルコ文化センター】の記事はこちら(東京の代々木上原)・・・東アジアで一番美しいモスク。無料で見学できます。服装や注意事項について。

 

 

 

悲しいことに、今も紛争の耐えない中東・・・。

→→中東での新たな国境引き直しは流血を招く。オスマン帝国が描いた中東モザイクを崩すな(東洋経済オンライン)

 

 

 

(本の紹介)
西欧人の見た「残虐な征服者」は、西欧をはるかにこえる先進国だった。羊飼いでも大臣になれる開放的な社会。キリスト教世界で迫害されたユダヤ難民を受け入れた宗教的寛容性。多民族・多宗教の超大国を支えた「柔らかい専制」の秘密に迫る。

 

 

 

・・・世界の問題を解決するのは、愛・寛容なのかなぁ・・・。

 

 

人それぞれ「正義」があるのでしょうが、その正義は時に相反するものに対する「破壊力」ともなります。

 

和合・調和の気持ち・・・これから大切になってくるのかもしれませんね。

 

 

極東と、中東。
太陽と、月。

 

「意味のないことはない」と、何となく思う自分は、このエルトゥールル号遭難事件は、私達に大切なことを教えてくれているような気がします・・・。

 

 

次は、トルコ軍艦遭難慰霊碑と、樫野埼灯台旧官舎を取り上げます。

 

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本州最南端の町、串本町の観光記事です。

1)串本海中公園・・・本州最南端の水族館。水族館と海中展望塔があります。世界最北のテーブル珊瑚群生地。
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5)本州最南端の灯台「潮岬灯台」、本州最南端の神社「潮御崎神社」
1)トルコ記念館・・・エルトゥールル号遭難事故の資料館。日本とトルコ友好の架け橋。
2)トルコ軍艦遭難慰霊碑、樫野埼灯台と旧官舎
3)海金剛と、日米修交記念館

 

→→【東京ジャーミイ・トルコ文化センター】 東アジアで一番美しいモスク。無料で見学できます。服装や注意事項について

交通アクセス

公共交通機関で行く場合、串本駅から熊野交通バスで樫野埼灯台口バス停下車、徒歩3分。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。
車で行く場合、無料駐車場があります。

料金について

大人500円。(高校生以下250円)
年中無休・09:00~17:00。
樫野崎灯台旧官舎、日米修好記念館とのセット券の他、串本海中公園とのお得なセット券があります。

近くの宿泊施設

串本ロイヤルホテル。橋杭岩から昇る朝日が見れます。プール横にトルコ政府から送られたエルトゥールル号の銅像があります。

お得で便利な、旅の予約サイト

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執筆者:チョットnow


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