【キトラ古墳、キトラ古墳壁画体験館 四神の舘】 キトラ古墳壁画は国宝!!  現存する世界最古の星図と、方角の守護神・四神像が美しい!

今日は、奈良県明日香村(あすかむら)の「キトラ古墳」と、「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」を紹介します。

教科書にも載っている歴史遺産で、美しい壁画は国宝です!

旅行記

キトラ古墳へ公共交通機関で行く場合、近鉄壺坂山(つぼさかやま)駅から徒歩12分、近鉄飛鳥(あすか)駅から徒歩22分です。飛鳥駅からバスで行く場合、「キトラ」バス停で下車です。

車で行く場合、駐車場があります。

 

古墳というと、以前取り上げた大阪府の【仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)】や、兵庫県の【五色塚古墳】が有名ですね。(特に仁徳天皇陵古墳は日本で最大の古墳で、世界遺産登録されています)

 

今日紹介する、奈良県明日香(あすか)村のキトラ古墳は、高松塚古墳に続いて日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳です。

 

キトラ古墳から北へ1.4kmほど離れたところにある、高松塚(たかまつづか)古墳の「飛鳥美人」壁画。(国宝)

 

→→【高松塚古墳】の記事はこちら・・・車で5分くらいの距離にあります。

 

この壁画から考古学ブームが巻き起こり、「高松塚古墳と似たような古墳がある」と住民から情報を受けて、1983年にファイバースコープによる探査が行われたところ、発見されたのが「キトラ古墳」です。

15年後の1998年には、上下左右に向きを変えるCCDカメラで探査し、青龍、白虎、天文図を発見。2001年の調査ではデジタルカメラを用いて、南壁の朱雀を確認し、獣頭人身十二支像の存在も確認されました。

 

 

キトラ古墳は2段に造られた円墳で、7世紀末~8世紀初めごろに造られたと推定されています。

発掘調査を経て、古墳そのものは石室と同じ石材でふさぎ埋め戻され、2015年に古代の大きさに復元されました。

 

キトラ古墳が造られた終末期古墳時代は、古墳時代前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古墳そのものも小さくなった時代なのだそうです。

 

キトラ古墳の埋葬者は、天武天皇の皇子である高市皇子、高官であった百済王昌成の他、古墳周辺一帯が「阿部山」という地名であることから右大臣の阿部御主人など、いろいろな人物が想像されていますが、埋葬者は誰なのかわからないそうです。

金や銀を使った副葬品や、豪華な装飾をほどこしたと推測できる木棺が発掘されており、かなり身分の高い人のお墓であったことがわかっているそうです。

 

 

 

 

キトラ古墳は埋め戻されているため、石室内部を詳しく知りたい方は、同じ敷地にある「キトラ古墳壁画体験館 四神の舘」へ行きましょう!

入館は無料。開館時間は9:30~17:00 (12月~2月は9:30~16:30)で、12月29日~1月3日休館です。

 

 

キトラ古墳壁画体験館 四神の1階には、「キトラ古墳壁画保存管理施設」があります。

文化庁が2003年からキトラ古墳の石室内調査を開始したところ、壁画をそのままにしておくと崩れてしまうことがわかったため、2004年8月から、日本で初めての本格的な壁画の取り外しが行われました。

取り外された壁画は、温度と湿度が厳密に管理されたこの場所で、細心の注意をはらって強化処理、保存管理されています。

ここでキトラ古墳から取り外された本物の壁画が見れるのですが、壁画の公開は期間限定、事前申し込み制です。

私が訪れた時は、現地にふらりと行ったものの中に入れてくれたのですが、事前に壁画公開を調べてから行ってください。

ちなみに、ここは写真撮影禁止です。

 

 

・・・というわけで、資料の写真を掲載しておきます。

これが、キトラ古墳の石室内部。

星図の美しい天井壁画のほか、四面の壁には中国古代思想の方角の守護神「四神(しじん)」と「獣頭人身十二支像」が書かれています。

 

東壁、西壁、南壁、北壁、天井の計5面の壁画は、国宝に指定されています。

 

 

こちらが、天井。(これも国宝)

中心が同じの三つの円と、北西にずれた円の計四つの円が描かれ、350個以上の金箔(きんぱく)が貼り付けられています。

金箔は朱線でつながれ70個以上の星座が表現されており、これは西洋の星座ではなく、中国で考え出されたものなのだそうです。

2020年9月7日、日本天文学会はこの天井壁画を「日本天文遺産」に認定したと発表しました。現存する世界最古の星図とされる天文図が描かれ、「天文学史上きわめて重要」と評価されたのだそうです。

 

キトラ古墳の発見は1983年でしたが、それ以降も研究が進み、2021年に新発見!

なんと、十二支像の一つ「巳(み)」の図像があったとみられる痕跡が見つかったのだそうです。子(ね)、丑(うし)、午(うま)など6体が確認されていたので、これで7体の図像が発見されたということですね。

 

 

 

「四神の館」は地階にも展示があり、壁画公開の有無に関わりなく見学ができます。

キトラ古墳の断面。

二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測されています。

 

「キトラ」とは不思議な名前ですが、この由来は、

  1. 中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説
  2. 古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説
  3. キトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」と呼ばれていたという説

など、いろいろあるようです。

 

 

キトラ古墳天井の天文図が、わかりやすく再現されていました。

太陽と月、赤道や太陽の通り道である黄道が描かれ、北斗七星をはじめとする中国式の星座が配置されているのだそうです。

とっても奇麗ですね!

天文図の下には、大型マルチスクリーンが置かれ、壁画の高精細映像が流れていました。

 

 

キトラ古墳壁画保存管理施設では、現物の写真を撮ることはできませんでしたが、四神の館」では原寸大の精密な石室模型があるので、写真を撮れます。

まずは、記念写真!

 

 

 

すごく精巧な復元でビックリしました。まるで本物のよう。

 

 

四面に描かれていた四方の守護神「四神」は、特に迫力があり美しいです。

北壁に玄武(げんぶ)。亀に蛇が巻き付いた姿。

 

 

南壁に朱雀(すざく)。

 

西壁に白虎(びゃっこ)。

通常の白虎とは逆向きで、頭が北を向いているのだそうです。

 

東壁には青龍(せいりゅう)。

玄武、朱雀、白虎は美しい姿を残していましたが、東壁の青龍は天井石の隙間から流れ込んだ泥土で、姿をはっきり残せませんでした。

 

そのため、北に1.4kmほど離れたところにある、【高松塚古墳】の壁画から描き起こした青龍が、見本に記されていました。

 

 

キトラ古墳の青龍・・・、どんな姿だったんでしょうね!!!

実物を見てみたい!

 

 

子供も楽しめるように、レゴブロックの展示もありました。

 

ああ、青龍、青龍~~~!!!

 

あなたは一体、どんな姿だったの????

 

古代ロマンに胸が躍りますね!

 

 

ちなみに、キトラ古墳と高松塚古墳には、上図のような違いがあります。

 

 

次は、北へ1.4kmほど離れた高松塚(たかまつづか)古墳を取り上げます。

 

次の記事はこちら

前回の続きで、奈良県明日香村(あすかむら)の観光紹介です。 今日紹介するのは、高松塚(たかまつづか)古墳。 旅行記 高松塚(たかまつづか)古墳の最寄り駅は、飛鳥駅です。   前回のキトラ古墳から[…]

 

(この旅行記は2019年です)

 

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交通アクセス

近鉄壺坂山駅から徒歩12分、近鉄飛鳥駅から徒歩22分、又はバス停「キトラ」。
車で行く場合、駐車場があります。

料金

無料。
9:30~17:00 (12月~2月は9:30~16:30)
12月29日~1月3日休館。

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