【伊雑宮(いざわのみや・いぞうぐう)】 志摩国一宮、伊勢神宮内宮の別宮で、謎があるらしい

前回のサンペルラ志摩に宿泊からの続きで、故郷和歌山市から海沿いに紀伊半島をぐる~っと周り、反対側の三重県へ抜ける旅の紹介です。

 

この日は名古屋から新幹線に乗って神奈川へ帰る必要があったのでゆっくりできませんでしたが、午前中、伊雑宮と二見興玉神社(夫婦岩で有名)へお参りに行きました。

参拝記

伊雑宮(いざわのみや・いぞうぐう)は、「伊雜宮」と書くのが正式だそうです。(ちょっと難しい漢字)

伊勢神宮別宮14社のうち唯一伊勢国外にあり、「天照大神の遙宮(とおのみや)」とも呼ばれるそうです。(【伊勢神宮内宮】からは車で約30分離れた距離)

 

 

 

伊雑宮の近隣マップ。

 

 

伊雑宮の隣にある御神田(おみた)。

 

 

毎年6月24日の午前8時ごろから17時ごろまで御田植祭が行われます。

千葉県の香取神宮、大阪の住吉大社と共に「日本三大御田植祭」の一つに数えられているそうです。

→→香取神宮の記事はこちら・・・地震ナマズを抑えてくれている神社です。

 

 

竹取り、刺鳥差(さいとりさし)の舞があるなど独特的な形の御田植神事で、国の重要無形民俗文化財となっています。

・・・驚いたのですが、神事で「踊り込み」というのがあって、ここから隣の伊雑宮一の鳥居までの200mを「エイエイシャントセー」と歌いながら、約2時間かけて練るそうです。

 

200mを、二時間!

 

開催日の6月24日は、倭姫命の巡幸の際に7匹のサメが野川を遡上(そじょう)し、命に伊雑宮の鎮座地を示したという「七本鮫」伝承に基づく。毎年この日には7匹のサメが伊雑宮に参詣するとされ、近隣の漁師は休漁する習慣がある。(ウィキペディア 御田植祭りから抜粋)

 

御田植え祭の日に、七匹の鮫が的矢湾から川を遡って伊雑宮の大御田橋までのぼると云われる。この七本鮫は伊雑宮の使いと云われ、また龍宮の使いと伝える説もある。七本のうち一本は殺され、今は六本とされる。大御田橋からは蟹や蛙に化身して伊雑宮に参詣するともされる。またこの日は志摩の海女たちは海に入ることを忌み、伊雑宮に参詣する。
伊雑宮の周囲に、浦島太郎や海女が龍宮へ行ったという伝説がいくつかある。それぞれ細部は異なるが、基本的に伊雑宮の宝物の一つに玉手箱があり、海女が持ち帰ったとされ、その中身は蚊帳で、不幸が続くため伊雑宮に納めたとする部分は一致する。なお、伊雑宮へ蚊帳を納めたのちも不幸が続いたとする話が多い。
(ウィキペディア 伊雑宮より抜粋)

 

龍宮、的矢湾をさかのぼる遣いの七匹の鮫(龍)、・・・面白いですね。

的矢湾はこの前日に泊まった宿から見えたので、こちらの記事でご覧ください。朝日の写真を貼ってあります。

 

 

 

龍宮は青森かと思っていた(←昔、TVでやってた)のですが、三重にも伝説があるんですね。

 

 

少し離れますが、鳥羽(とば)駅のすぐ近くから、竜宮城を模した観光船が出ています。

→→鳥羽湾めぐりとイルカ島の記事はこちら・・・鳥羽水族館の近く。

 

 

赤丸が前日宿泊したサンペルラ志摩

 

 

・・・なんというか、あちこちに不思議な伝説があるので、「神秘の国、日本」ですねぇ。

 

 

 

 

伊雑宮の鳥居。

注意書きに「夜間の参拝は禁止」とありました。

 

 

参道。

ゴールデンウィーク最終日の午前9時ごろに訪れたのですが、とても静かでした。

 

 

第一鳥居をくぐって右側に、巾着楠(きんちゃくぐす)があります。

 

 

どうです、この立派な木! 息子の身長は120cmなので、大きさが伝わるでしょうか。

巾着楠のコブが、サルに見えてマジマジと見てしまいました。

 

 

あと、巾着の上部分をよく見てほしいのですが、なんだか顔に見えません?(幹にかかる葉っぱのすぐ下が目と鼻、口はちょっと「一」に近い形かな)

「楠のエントだぁ~~」←エントはロードオブザリングに出てくる、木に似た巨人のような姿をした種族。

 

推定樹齢700年なのだそうです。

すごいですねぇ・・・。

楠は、子どものころによく遊んだ神社の境内にもあったので、大好きな木です。

 

 

本州で最大の木も楠です。

→→来宮神社(きのみやじんじゃ)の記事はこちら・・・静岡県。樹齢2000年を超える楠(くすのき)があります。伐採の危機にあいましたが、白髪の老翁が現れて立ち塞がり、樵夫の持つ大鋸を2つに折ってどこかへ消えた・・・という不思議な伝説がある。

 

 

木は言葉を話せませんが、私達と同じ「生き物」ですから、意思を持っているのかもしれませんねぇ・・・。

 

なんだかしゃべりそうな木だったので、不思議だなぁ~~~と思いました。

 

 

 

伊雑宮の原生林は立ち入り禁止です。鳥のさえずりが気持ちの良い境内でした。

 

 

勾玉池(まがたまいけ)。

ネットで調べると「勾玉池に、絶対に入ってはいけない」とされているそうです。
半周してみましたが、たしかに勾玉の形をしていました。

 

 

すごく斜めに生えている木。隣の木のコブが面白いですね(髭を生やしたおじいさんに見える)。

 

 

境内で斜めに生えている木で、有名なのはこちらでしょうか。
杉の木(夫婦杉)。

根元が重なるように写真を撮っていますが、2歩くらい離れています。

 

 

 

伊雑宮の古殿地。

 

 

 

本殿。ご祭神は天照大御神御魂。

創建は804年より前とされているそうで、はっきりとした創建年がわからず、祭神も伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱命(または玉柱屋姫命)を祀っているとされたり、瀬織津姫であったり・・・と、はっきりわからないのだそうです。

 

 

創建と御祭神がはっきりわからない神社って、けっこうあるのでは・・・と思います。

私のふるさと和歌山市には日前宮があるけれど、こちらも謎が多いです。

→→紀伊国一宮「日前神宮・國懸神宮」の記事はこちら・・・明治以前、神階が与えられていないのは、伊勢神宮と日前宮しかなかった。伊勢神宮内宮の御神体「ヤタノカガミ」と同じ時期に作られた鏡が御神体。

 

 

鎌倉時代成立とみられる「倭姫命世記」によると、伊勢神宮の内宮を建立した「倭姫命(やまとひめのみこと)」が、神宮への神饌を奉納する御贄地(みにえどころ)を探して志摩国を訪れた際、伊佐波登美命が出迎えたここを、「御贄地」に選定して伊雑宮を建立したとされるそうです。

 

 

倭姫命(やまとひめのみこと)はヤマトタケルノミコトの叔母で、三種の神器の一つ「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」を授けました。伊勢神宮を創建した方でもあります。

→→伊勢神宮外宮の記事はこちら・・・お伊勢参りは外宮から。
→→伊勢神宮内宮の記事はこちら・・・皇大神宮。日本で最も尊い御宮。

 

 

伊雑宮のウィキペディアを見ていて驚いたのですが・・・、1181年に熊野三山の攻撃を受け、本殿を破壊され、神宝を奪われた歴史があるのですね・・・。(ビックリ!)

熊野三山、熊野詣の記事はこちら。(和歌山県)
→→熊野本宮大社の記事はこちら
→→熊野速玉大社の記事はこちら
→→熊野那智大社の記事はこちら

 

 

 

 

江戸時代には、伊雑宮の神職が主張していた「伊雑宮が日神を祀る社であり、内宮・外宮は星神・月神を祀るものである」という説を裏づけるような本が出版され、騒ぎになったそうです。

 

 

歴史ミステリーになるのでしょうが、「伊雑宮こそが、大元の伊勢神宮だ」とする説もあるようです。

真偽の程はわかりませんが、検索するといろんな記事が出てくるので、興味をもたれた方、調べてみてはいかがでしょうか。
レイラインのナゾとか、いろいろあるようです。

 

 

伊雑宮近隣マップをもう一度。

次は、すぐ近くにある「御師の家 森新」と、「倭姫命(やまとひめのみこと)の旧跡地」について取り上げたいと思います。

 

 

次の記事はこちら

今日は、前回取り上げた【伊雑宮(いざわのみや・いぞうぐう)】のすぐ近くにある「倭姫命(ヤマトヒメノミコト)の旧跡地」を紹介します。 参拝記 私達は【伊雑宮(いざわのみや・いぞうぐう)】のお参りの後、すぐ近くの御師の家「森新(もり[…]

 

(この参拝記は2017年です)

 

関連記事

三重県のお参り記事です。

→→二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)と、夫婦岩。三重県では、2番目に参拝者の多い神社

→→伊勢神宮外宮。お伊勢参りは外宮から。外宮から内宮へのバスについて

→→伊勢神宮内宮。私達は宇宙の法則の中で生きており、一人一人の中に神様がいる。

→→ 猿田彦神社・佐瑠女神社。手塚治虫「火の鳥」登場人物、猿田のモデルとなった神様

→→花の窟・花窟神社(世界遺産)。神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が葬られた御陵。

交通アクセス

近鉄志摩線 上之郷駅 から徒歩約5分。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。

車で行く場合、無料の駐車場があります。

近くの宿泊施設

ホテルサンペルラ志摩。的矢湾からの朝日を眺められます。

伊勢志摩ロイヤルホテル。伊雑宮まで車で10分。

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