【御師の家森新、倭姫命の旧跡地】 伊雑宮のすぐ近くで、謎らしい

今日は、前回取り上げた【伊雑宮(いざわのみや・いぞうぐう)】のすぐ近くにある「倭姫命(ヤマトヒメノミコト)の旧跡地」を紹介します。

参拝記

私達は【伊雑宮(いざわのみや・いぞうぐう)】のお参りの後、すぐ近くの御師の家「森新(もりしん)」、倭姫命(やまとひめのみこと)の旧跡地に行きました。

 

伊雑宮から、とても近いです。

 

 

御師の家森新(もりしん)。

2021年8月14日に、館主の森和夫さん(88)が亡くなられました。謹んでお悔やみを申し上げます。森さんは「全国から訪れた参拝者をもてなした、かつての光景を復活させたい」と、2012年10月に100年以上前に建てられた自宅を改築し、展示スペースを設けた御師の家をオープンしましたが、森さんが亡くなられたため「御師の家森新(もりしん)」は閉館となったそうです。

 

「御師(おんし・おし)」とは、特定の寺社に所属し、各地に神札などを配り信仰を集め、参拝者をその社寺に誘導する人々のことです。

参拝者を宿泊させたり、神楽や料理でもてなして、参拝の案内も行っていたそうです。

 

「森新」とは家号で、伊雑宮の御師(おし)を先祖にもつ森さんが、築100年以上の伊勢造りの自宅を改修し、「伊雑宮のおもてなし処 御師の家」として、平成24年10月25日の伊雑宮調献祭の日から開館しています。

 

いろいろお話を聞きたかったのですがだれも居なかったので、外の展示パネルを見ました。

 

 

6km離れたところに天の岩戸があるそうです。

 

 

セイマン、ドウマン。海女さんが魔おどし・龍宮にひきこまれるのを防ぐため、安全祈願として身につける魔除紋なのだそうです。


星形の印は安倍晴明判紋、格子状の印は九字紋と同じ形状のため、陰陽道と関係があるかもしれないらしい・・・。

  • 星形の印(セーマン)・・・一筆書きができる・元の位置に戻ってくるため、魔物が入ってこられない、「元の場所へ無事に帰ってくるように」の意味があるようです。
  • 格子状の印(ドーマン)・・・多くの目で魔物を見張る意味があるようです。

 

 

御師の家ではおもてなし・お土産として、森さん自らがお作りになっている「伊雑の浦 御塩」を頂けます。

志摩市では「里海」をテーマに活性化に励んでいるのだそうです。

このお塩がですねぇ、とっても美味しいです。

まろやかというか、ほんのり甘みを感じるというか・・・。

この御塩の後で、スーパーで売られている1キロ300円くらいのお塩をなめると、舌にしょっぱい刺激がグンと来て、違いがよくわかります。
「伊雑の浦 御塩」には、いろんなミネラル成分が入っているのかなぁと思いました。(それとも、森さんの愛情が甘くさせているのかな?)

おそらく無料でいただけると思うのですが、近くには料金箱もあったので、お気持ち代を入れると良いかと思います。

とっても美味しい御塩なので、オススメです。

 

 

 

森新からさらに5分ほど歩くと、庚申堂と秋葉堂があります。

イザナギノミコトとイザナミノミコト、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が祀られています。

昔はそれぞれ別のところに祭られていたのだそうですが、明治末に一緒にされたそうです。

倭姫命(ヤマトヒメのミコト)が皇大神宮(伊勢神宮)の朝夕の御贄を奉る地を探して志摩国を訪れた時に出迎えた神様が、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)です。

 

 

 

左隣には、千田の御池。倭姫命が引水したとされるそうです。

 

 

「み池さん」の説明。

昔の二社三宮図には千田寺の境内に、三つの鳥居を置き、上方には杵築宮御光大神宮、中央の鳥居には大己貴大神、右の鳥居には少彦名大神、左の鳥居には國貴社久延彦大神が並べて記してあるという。

 

 

 

看板にあった昔の地図。

 

 

 

「里人はいう 倭姫命の遺跡」。

賽銭箱の向こうにある平たい石が「天井石」、その向こうにある樹の根元は「鏡楠」です。

大正末期、この大楠が樟脳(しょうのう)用に切り倒されました。

根元を掘ったところ、縦4m、横3m50cmの天井石が現れ、その下から鏡や勾玉などが出てきて、「これは、ヤマトヒメの遺跡ではないか・・・」ということになったのだそうです。

いろいろ出てきたようですが官憲に没収されてしまい、根元から発見された室町時代の白銅鏡2面は、志摩市立歴史民族資料館に保管されているそうです。

 

 

倭姫命(やまとひめのみこと)は、叔母の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の跡を継いで、奈良県の三輪山の南にある「磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや。当時の皇居)」を出た神体(ヤタノカガミ)の安置場所をさがし歩いた皇女で、伊勢神宮を創建した方初代斎宮とも言われています。

 

→→【大神神社(おおみわじんじゃ)】 三輪山を神体山とする日本最古の神社。大神神社の総本社・・・崇神天皇の御代、ヤタノカガミは三輪山の南にある磯城瑞籬宮から檜原神社に移され、その後あちこちを巡ることになる。

→→【野宮神社(ののみやじんじゃ)】の記事はこちら・・・斎宮について書きました。豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)とヤマトヒメの二人の皇女は、90年間各地を旅し、伊勢神宮の神体(ヤタノカガミ)の安置場所を探した。

→→【伊勢神宮内宮】の記事はこちら・・・ヤマトヒメが創建した。三種の神器の一つ、ヤタノカガミがご神体。

 

 

また、ヤマトヒメは東征したヤマトタケルノミコトの叔母で、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授けた方でもあります。

 

 

そのヤマトヒメノミコトの、最後の地がここだったかもしれない・・・?

 

 

・・・謎ですね~。

 

伊雑宮から倭姫命(やまとひめのみこと)の旧跡地までは徒歩5分くらいです。

 

あわせてお参りしてみてはいかがでしょうか。

 

 

次は、夫婦岩で有名な二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)について書きます。

次の記事はこちら

前回の続きで、三重県旅行の紹介ですす。 ゴールデンウィークの最終日、伊雑宮(いざわのみや・いぞうぐう)と御倭姫命(やまとひめのみこと)の旧跡地のあと、二見興玉(ふたみおきたま)神社へ向かいました。 参拝記 二見興玉[…]

 

(この参拝記は2017年です)

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伊勢神宮お参りの記事はこちら

→→伊勢神宮外宮。お伊勢参りは外宮から。外宮から内宮へのバスについて

→→伊勢神宮内宮。私達は宇宙の法則の中で生きており、一人一人の中に神様がいる。

→→おはらい町、おかげ横丁。赤福本店と伊勢うどん。

→→猿田彦神社・佐瑠女神社。手塚治虫「火の鳥」登場人物、猿田のモデルとなった神様

 

 

→→【野宮神社(ののみやじんじゃ)】の記事はこちら・・・京都嵯峨野の竹林にある神社。斎宮(斎王)について書きました。

→→【大神神社(おおみわじんじゃ)】 三輪山を神体山とする日本最古の神社。大神神社の総本社

→→【熱田神宮(あつたじんぐう)】 三種の神器の一つ「草薙剣」が祀られている御宮。

交通アクセス

近鉄志摩線 上之郷駅 から徒歩約10分。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。

近くの宿泊施設

ホテルサンペルラ志摩。的矢湾からの朝日を眺められます。

伊勢志摩ロイヤルホテル。伊雑宮まで車で10分。

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