前回からの続きで、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の紹介です。
【比叡山延暦寺は広い】の記事で説明しましたが、私達のように車で【日吉大社】方面(仰木ゲート)から入った場合、横川→西塔→東塔と巡ることになるのですが、比叡山延暦寺の始まりである「東塔(とうどう)」から紹介したいと思います。
参拝記
交通アクセスは前回記事にしたのでご覧ください。
比叡山延暦寺は広大で、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の、三つのエリアに分かれ、世界遺産に登録されています。
東塔(とうどう)エリアは、公共交通機関利用(坂本ケーブル)で比叡山延暦寺をめぐる方が、はじめに回ることになるエリアです。
東塔は、比叡山延暦寺発祥の地。
伝教大師最澄(さいちょう)が延暦寺を開いた場所です。
東塔、西塔、横川の3つのエリアを回るには、「参拝共通券」が必要で、2021年の料金では大人1000円、中高生600円、小学生300円かかります。
東塔、西塔、横川のどこでも、この共通券を取り扱っており、それぞれのエリアに入場する時は券を係りの人に見せます。
東塔の巡拝受け所は3か所、西塔と横川は受付所が1か所です。
私は第一駐車場から一番近い参拝受付所から入りました。近くには、比叡山内を巡回するシャトルバスの発着所の他、大きな売店がありました。
西塔と横川には売店がないので、お土産が欲しい方は東塔で買っておきましょう。
比叡山内の売店は、他に西塔と横川の間にある「峰通レストラン・売店」があります。
東塔エリアの見どころは、国宝の根本中堂と、重要文化財の大講堂、法華総寺院東堂(ほっけそうじいんとうとう)、阿弥陀堂(あみだどう)です。
では、東塔巡り開始。
第一駐車場から巡拝受付所を通って大講堂へ向かう途中、比叡山を開いた日本天台宗の開祖である最澄の歴史をパネル展示で学べます。
比叡山の東麓の坂本に、後漢の孝献帝(こうけんてい)の子孫で日本に帰化した「三津首の一族」が栄えており、最澄はここで誕生しました。
最澄は大変優秀な子供で、12歳で近江国分寺の行表法師の門に入り出家し、15歳で正式な僧侶となり名前を「最澄」と改めました。
奈良の都の仏教の実情を見て、「清らかな山林こそ真の仏道の行われるところである」と痛感し、故郷の地に戻り、比叡山に上って、山中に小さな庵を造り修行。(もともと比叡山の信仰は 【日吉大社】から始まった)
788年に、比叡山寺(現在の根本中堂)をつくり、本尊は自作の薬師如来とし、比叡山寺を開創しました。
現在の根本中堂。(良い写真が撮れなかったので、ウィキペディアから拝借)
根本中堂は、比叡山内で最大の仏堂です。
比叡山延暦寺の各建物は何度も火災により失われましたが、現在の根本中堂は1571年の織田信長による焼き討ちの後で、天海の進言により、徳川三代将軍家光の命によって1641年に再建されたもので、国宝に指定されています。
延暦寺内で国宝に指定されている建物は、根本中堂のみなので、ぜひお見逃しなく。
中には、1,200年以上消えることなく保たれている「不滅の法灯」が灯り続けています。
根本中堂の落慶には、桓武天皇も来られ、平安京の鬼門に当たる比叡山寺を「国家を鎮め守る道場」として、絶大に期待しました。
その後、最澄は短期留学生として唐に渡航し、霊地・天台山で、天台大師智顗直系の道邃(どうずい)和尚から天台教学と大乗菩薩戒、行満座主から天台教学を学び、越州(紹興)の龍興寺では順暁阿闍梨より密教、翛然(しゃくねん)禅師より禅を学びました。
たくさん学んで帰国した最澄は、日本天台宗を開きました。
その後、もっと密教を学びたいと思い、高野山真言宗の開祖である弘法大師空海に弟子入りします。後に疎遠となるのですが、以前記事にしましたので、【比叡山と高野山、最澄と空海】の記事でご覧ください。
最澄は、法華経を中心に、天台教学・戒律・密教・禅の4つの思想をともに学び、日本に伝え(四宗相承)ました。
最澄が開いた延暦寺は「仏教の総合大学」ともいえるもので、後に浄土真宗の宗祖となる親鸞(しんらん)、禅宗の宗祖となる道元、日蓮宗の宗祖となる日蓮(にちれん)は、比叡山で学び、修行しました。後に名僧となる方たちが修行したのが横川(よかわ)エリアです。一番最後に紹介します。
ちなみに、比叡山延暦寺を創建した伝教大師最澄の像が、西塔と横川の間にある「峰通レストラン・売店」にあります。
記念写真を撮りたい方は、ぜひ峰通レストラン・売店へ。
数々の名僧を輩出した仏教の総合大学「比叡山延暦寺」を創建し、日本天台宗の開祖である最澄は、56歳(満54歳)で亡くなりました。
次は、大講堂。重要文化財です。
僧侶が法華経の講義を聞き、お互いに問答をする学問修行の道場です。
中には、各宗派を開山した名僧達の肖像画があります。
すぐ近くには「平和の鐘(開運の鐘)」があり、開運を願う人たちがコーンコーンと鳴らしていました。
この鐘の音は、隣の西塔エリアにまで届くそうです。
次は、阿弥陀堂(あみだどう)。
比叡山開創1150年大法要を記念して建立された先祖回向の道場で、本尊は阿弥陀如来。
隣には、法華総寺院東塔。
伝教大師最澄が全国6か所の聖地に建立した宝塔を総括するところです。
信長の焼討ちから400年ぶりに再建されました。
全国六か所の聖地とは、比叡山東塔、比叡山西塔、群馬県上野宝塔、大分県の豊前宝塔、福岡県の筑前宝塔、栃木県の下野宝塔です。
戒壇院。重要文化財。
僧侶が規律を受ける比叡山中の中で最も重要なお堂です。
平安京の鬼門を守った比叡山延暦寺は、信長により焼き討ちにあったものの、江戸時代に天海により復興しましたが、なぜ信長が比叡山を焼いたかというと(比叡山麓の 【日吉大社】や坂本エリアも焼き討ちにあった)、比叡山とその周辺地域が堕落していたことや、織田軍に敗れた浅井・朝倉の兵が比叡山に逃げ込んだ際にかばうなどしたことが、原因となったようです。
比叡山延暦寺と並べて語られることの多い和歌山県高野町の【高野山 金剛峰寺(こんごうぶじ)】も、比叡山延暦寺のように信長による焼き討ちの危機にあいましたが、信長が本能寺の変で死んでしまった(?)ため、高野山は焼き討ちを免れました。
信長に焼かれ、荒廃してしまった比叡山延暦寺を立て直したのが、江戸時代の天台宗の僧侶である天海(てんかい)と、徳川将軍。
天海は平安京の鬼門を守った比叡山にならい、江戸城を守る結界づくりをします。
上野の寛永寺の側に、近江の琵琶湖を思わせる不忍池を築き、琵琶湖の竹生島に倣って、【不忍池辯天堂(不忍池の弁天堂)】を祀るなどし、寛永寺が比叡山と同じ役割を果たすよう狙ったのです。
私は宗教には疎いですが、最澄の影響力はすごいなぁ・・・と思います。
伝教大師最澄の教え「一隅を照らす運動」。
「国宝とは何物ぞ、道心なり、道心ある人を名付けて国宝となす・・・一隅を照らす、これ即ち国宝なり」
一隅(いちぐう)とは、今、あなたがいる、その場所です。
あなたが、あなたの置かれている場所や立場で、ベストを尽くして照らして下さい。
あなたが光れば、あなたのお隣も光ります。
町や社会が光ります。
小さな光が集まって、日本を、世界を、やがて地球を照らします。
あなたの一隅から世界を照らしましょう!
一人ひとりが輝きあい、手をつなぐことができれば、みんなが幸せになり、すばらしい世界が生まれます。
(一隅を照らす運動HPより抜粋)
私も、一隅を照らす存在になりたいなぁ・・・と思いました。
まずは、自分自身と、身の回りから!
さて、次は、西塔(さいとう)エリアを紹介します。
東塔と西塔は近いので、歩いてでも行けます。(横川だけすごく離れている)
前回の続きで、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の紹介です。 比叡山延暦寺発祥の地である東塔(とうどう)の次は、隣のエリア「西塔(さいとう)」です。 →→2018年5泊6日滋賀県琵琶湖一周旅行記の行程はこちら・・・レンタカーを利[…]
(この旅行記は2018年です)
関連記事
→→2018年・春 滋賀県琵琶湖一周 5泊6日旅行の行程・・・この旅行の行程まとめ。
→→【比叡山と高野山、最澄と空海】 比叡山延暦寺紹介の前に、簡単に説明
→→【日吉大社】の記事はこちら・・・比叡山の信仰はもともと日吉大社から始まった。
→→高野山の記事はこちらから・・・空海が開いた。
交通アクセス
→→【比叡山延暦寺は広い】 車でまわると2,000~4,000円。公共交通機関でのアクセスは?に詳しく書きました。
料金
東塔、西塔、横川の3つのエリアを回るには、「参拝共通券」が必要で、2021年の料金では大人1000円、中高生600円、小学生300円かかります。
東塔、西塔、横川のどこでも、この共通券を取り扱っており、それぞれのエリアに入場する時は券を係りの人に見せます。
私たちは参拝共通券のみでしたが、「比叡山国宝殿拝観料」とのセット券もあり、大人1500円、中高生900円です。
近くの宿泊施設
延暦寺会館。東塔エリアにあります。