前回の続きで、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の紹介です。
比叡山延暦寺発祥の地である東塔(とうどう)の次は、隣のエリア「西塔(さいとう)」です。
参拝記
広大な比叡山延暦寺。
交通アクセスは前回記事にしたのでご覧ください。
比叡山延暦寺は広大で、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の、三つのエリアに分かれ、世界遺産に登録されています。
東塔、西塔、横川の3つのエリアを回るには、「参拝共通券」が必要で、2021年の料金では大人1000円、中高生600円、小学生300円かかります。
東塔、西塔、横川のどこでも、この共通券を取り扱っており、それぞれのエリアに入場する時は券を係りの人に見せます。
前回紹介した東塔と西塔は隣り合っており、徒歩で行き来ができます。(1kmほどしか離れていない。徒歩20分の距離です)
西塔マップ。
徒歩で東塔から西塔へ向かう方は、山王院→伝教大師御廟→にない堂→釈迦堂とまわることになります。
私たちは、車を利用してまわったので(比叡山の駐車場は無料)、まずは「にない堂」から取り上げます。
駐車場から「にない堂」へ向かう入り口。
五重照隅塔。
「個々人が、思いやりの心を持って一隅を照らす人になる」との願いが込められているのだそうです。
伝教大師最澄(さいちょう)の教え
「国宝とは何物ぞ、道心なり、道心ある人を名付けて国宝となす・・・一隅を照らす、これ即ち国宝なり」
親鸞(しんらん)聖人ご修行の地。
親鸞は、藤原氏の家系に生まれたものの(貴族)、両親が早くに亡くなり、9歳で出家。
比叡山で20年間、修行と学業に専念するものの、心からわきあがる貪欲心(とんよくしん)を捨てきれず、民衆が仏に救われるのだろうかとの疑問もあり、29歳で比叡山を出て、浄土宗の宗祖である「法然(ほうねん)」の弟子となり、後に浄土真宗の宗祖となりました。
法然(ほうねん)の教えは「ひたすら念仏(阿弥陀仏)を唱え、阿弥陀仏にすがればだれもが浄土に行ける」で、その弟子の親鸞(しんらん)は、その教えをさらに徹底させ「罪深い悪人(現世への欲望や執着にとりつかれた私達)こそ、阿弥陀仏が救おうとしている人々である」と説きました。(悪人正機については、こちらでご覧ください)
近くには、「親鸞聖人旧跡」がありました。
「にない堂」。重要文化財です。
左右同じ形の御堂があり、弁慶が渡り廊下を天秤棒にして、二つの御堂をかついだという伝説があり「弁慶のにない堂」と呼ばれているそうです。
弁慶については、以前、闘鶏神社(世界遺産)の記事で書いたのでご覧ください。弁慶生誕の地とされているのが、和歌山県の田辺市です。
にない堂の一つ「法華堂」。
にない堂の一つ、常行堂。
にない堂の近くには、たくさんのコケが生えていました。
コケのアップ。杉苔ですね。
西塔は修行の御堂が集まるエリアで、現在も道場が開かれているようです。
こちらは関係者以外立ち入り禁止ですが、同じく西塔エリアにある「居士林(こじりん)研修道場」では、一般人向けの修行体験を行っているそうです。
お釈迦様の像。
西塔(さいとう)の一番の見どころである「釈迦堂(しゃかどう)」。重要文化財です。
前回の記事でも書きましたが、比叡山延暦寺は度重なる火災や、織田信長の焼き討ちで、たくさんの建造物が焼失してしまい、江戸時代に天台宗の僧侶であった天海(てんかい)と徳川幕府により再興されました。
釈迦堂は、信長による焼き討ちの後で、豊臣秀吉が大津の三井寺から移築した御堂で、比叡山内で最古の建物となっています。
本尊は、日本天台宗開祖であり、比叡山延暦寺を開いた、伝教大師最澄自作の釈迦如来です。
釈迦堂の近くには、お釈迦様のパネル展示がありました。
お釈迦様は本名をゴータマ・シッダールタと言い、釈迦族の王子様でした。
ここに書くと長くなりますし、以前、お釈迦様について【高幡不動尊金剛寺の灌仏会(花まつり)】の記事に書きましたので、ご覧ください。
先ほど、「親鸞聖人ご修行の地」がありましたが、釈迦堂のずっと奥には親鸞(しんらん)の師匠で、浄土宗の開祖である「法然(ほうねん)上人ご修行の地 青龍寺」があります。
途中まで行ったのですが、ルートがよくわからなかったので、引き返しました。
親鸞(しんらん)は藤原氏の血を引く貴族の子供でしたが、その師匠である法然(ほうねん)は父が豪族で母が秦氏(渡来系豪族)でした。9歳のころ、敵対する者に夜討ちをかけられ、父は重症をおい、後に死亡します。
父の遺言「敵を恨んではいけない。敵を討てば、その恨みはいつまでも続く。どうか出家して、全ての人が救われる道を求めてほしい」
法然は幼くして比叡山に入り、30年修行し、「全ての人々が平等に救われる他力念仏の道」を見出しましたが、後鳥羽上皇の怒りをかい、法然と親鸞は島流しにあい、大変であったようです・・・。
親鸞(浄土真宗開祖)は、師匠の法然(浄土宗開祖)を大変尊敬していたようで、「法然上人に騙されて地獄に落ちたとしても後悔しない」とまで述べ、ひたすら本願を信じて念仏する身となったそうです。
浄土宗総本山知恩院では、人間のおごり高ぶりが目立つ今、自分自身の姿を見つめ「至らない人間である」と自覚して、念仏を唱え、喜びと感謝の暮らしをすることを人から人へつなげる「おてつぎ運動」を行っているそうです。
にない堂、釈迦堂の次は、はじめの五重照隅塔まで戻り、その先にある「伝教大師御廟」へ進みました。
伝教大師御廟のある浄土院。
56歳で入寂した最澄の遺骸を、慈覚大師円仁(えんにん)が854年7月に、ここに移して安置した場所です。
円仁は、以前書いた【比叡山と高野山、最澄と空海】の記事でチラッと名前が出てきましたね。
日本三大霊山は、
・青森県の恐山(おそれざん)
・滋賀県と京都にまたがる比叡山(ひえいざん)
・和歌山県の高野山(こうやさん)→→【高野山の記事はこちら】
ですが、比叡山を開山したのは伝教大師最澄で、高野山を開いたのが弘法大師空海、恐山を開いたのが慈覚大師円仁(えんにん)で、円仁は最澄のお弟子さんでした。
円仁については、次の横川(よかわ)エリアの記事で紹介したいと思います。
伝教大師御廟からまっすぐ伸びる階段道を上がると、一番最初に書いた東塔エリアへ着きます。
山王院堂(さんのういんどう)まで出たら、西塔エリアは終わりです。
ここは千手観音を祀る御堂ですが、円珍(えんちん)が亡くなられてから100年後に、円珍派と円仁派の学僧の間で紛争が起こり、円珍派はここから円珍の木像を背負って大津の三井寺へ移住したのだそうです。
天台宗は、伝教大師最澄(さいちょう)により開かれ、仏教の総合大学のような施設であり、平安京の鬼門を守る重要な寺院で、延暦寺のトップのことを「座主(ざす)」と呼びました。
円仁(えんにん)は第3代天台座主で、円珍(えんちん)は第5代天台座主でした。
なぜ、円仁派と円珍派が後にもめたかというと、仏教の解釈の違いのようです。
円仁派は延暦寺を本拠とする「天台山門派」となり、円珍派は大津にある園城寺(おんじょうじ)を本拠とする「天台寺門派」となり、天台宗を二分する勢力となりました。
「解釈による違い」は、どの宗教にも起こっている問題ですね・・・・。(仏教の開祖である釈迦は一人なのに・・・)
山王院堂から先にある東塔は、前回書きましたので、【比叡山延暦寺 東塔(とうどう)エリア】の記事でご覧ください。最澄が比叡山延暦寺を開いた、延暦寺発祥の地で、比叡山内唯一の国宝の建物があります。
では、次の記事で、比叡山延暦寺最後のエリア「横川(よかわ)」を取り上げます。
横川を開いたのは、先ほども名前が出てきた最澄の弟子の「円仁(えんにん)」です。
西塔と東塔は隣り合っているため、徒歩で移動可能ですが、西塔と横川はかなり離れているので、車での移動(公共交通機関利用の方は山内シャトルバス)をオススメします。
【比叡山延暦寺 西塔(さいとう)エリア】からの続きで、比叡山延暦寺(世界遺産)の紹介です。 最後は、横川(よかわ)エリア。 【日吉大社】方面(仰木ゲート)から入った場合、初めにまわるエリアです。 →→2018年5泊6日滋賀県琵[…]
(この旅行記は2018年です)
関連記事
→→2018年・春 滋賀県琵琶湖一周 5泊6日旅行の行程・・・この旅行の行程まとめ。
→→【比叡山延暦寺 東塔(とうどう)エリア】 比叡山発祥の地。織田信長に焼き討ちにあった比叡山延暦寺・・・前回の記事。
→→【比叡山と高野山、最澄と空海】 比叡山延暦寺紹介の前に、簡単に説明
→→【日吉大社】の記事はこちら・・・比叡山の信仰はもともと日吉大社から始まった。
→→高野山の記事はこちらから・・・空海が開いた。
交通アクセス
→→【比叡山延暦寺は広い】 車でまわると2,000~4,000円。公共交通機関でのアクセスは?に詳しく書きました。
料金
東塔、西塔、横川の3つのエリアを回るには、「参拝共通券」が必要で、2021年の料金では大人1000円、中高生600円、小学生300円かかります。
東塔、西塔、横川のどこでも、この共通券を取り扱っており、それぞれのエリアに入場する時は券を係りの人に見せます。
私たちは参拝共通券のみでしたが、「比叡山国宝殿拝観料」とのセット券もあり、大人1500円、中高生900円です。
近くの宿泊施設
延暦寺会館。東塔エリアにあります。