【琵琶湖周航の歌 資料館】 「ヒツジグサ」、「琵琶湖周航の歌」、「琵琶湖哀歌」の三曲。琵琶湖遭難事故について

前回の続きで、滋賀県の琵琶湖一周旅二日目の紹介です。

今津港から出ている琵琶湖クルーズ船に乗り、竹生島観光を終えた後、乗船場近くの「琵琶湖周航の歌 資料館」に寄りました。

→→2018年5泊6日滋賀県琵琶湖一周旅行記の行程はこちら・・・レンタカーを利用して、5泊6日で27か所を巡りました。

旅行記

この旅行記は2018年のものです。

資料館は、琵琶湖汽船今津港から無料駐車場に戻る途中にあります。

入る予定はなかったのですが、「入館無料」の文字が見えたので、トイレ休憩ついでに寄りました。

 

 

 

 

 

中は、琵琶湖の写真やポストカード、便箋セットなどの文房具の他、地元の方が作ったと思われる手芸品の販売がありました。

 

 

琵琶湖周航の航路。左が琵琶湖の北、右が琵琶湖の南で、各地の寺社や古戦場も書かれてあります。

 

 

資料館の名前ともなっている「琵琶湖周航の歌」ですが、私がこの歌を初めて聞いたのは、竹生島(ちくぶしま)クルーズ船の中でした。

昭和の歌謡曲のようなメロディで、「われ~は う~みの~こ~~♪」から始まるため、

「われは うみのこ しらなみの さわぐいそべの松原に~♪」

で有名な童謡「われは海の子」が頭の引き出しからポンと出てきてしまうのですが、まったく違う曲調です。

 

曲ができたのは、1917年(大正6年)6月。第三高等学校(現在の京都大学)のボート部員である小口太郎さんが、「今日、ボートを漕ぎながらこんな詩を作った」と詩を披露し、それを聞いたボート仲間が当時流行していた歌「ひつじぐさ」のメロディに乗せて歌ったのが始まりです。

歌詞と「ひつじぐさ」のメロディがよく合っていたため、学生らによく歌われ、後に第三高等学校の寮歌・学生歌となりました。

 

その後、1933年(昭和8年)に最初のレコーディングが行われ、第二次世界大戦後には多くの歌手によって歌われることとなり、1971年(昭和46年)に加藤登紀子さんがカヴァーしたレコードが、大ヒット。

先ほど張ったユーチューブは、加藤登紀子さんによる「琵琶湖就航の歌」です。ぜひお聞きください。

 

 

 

資料館の奥には「気軽にそれぞれの就航の歌を聞けるコーナー」があります。

なんてわかりやすいネーミング。

夫と息子はここで、松方弘樹さんが歌う「琵琶湖周航の歌」を聞いたそうです。

全部で26通りの「琵琶湖周航の歌」があるので、聞きごたえがあります!

 

 

 

歌詞は全部で六番目まであり、

資料館前の歌碑は、一番目の歌詞。

「われは湖の子」で「われはうみのこ」と読みます。

 

 

 

こちら、前回の竹生島。歌碑は4番目の歌詞です。

(琵琶湖周航の歌 四番目の歌詞)

瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)
仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
眠れ乙女子 やすらけく

 

 

 

ちなみに「ヒツジグサ」とはこのような花です。「琵琶湖周航の歌」の原曲がこの花であることから、「琵琶湖周航の歌」が生まれた今津町ゆかりの花として育てられているそうです。

 

大ヒットした「琵琶湖周航の歌」ですが、「ヒツジグサ」の作曲者が誰なのかずっとわからないままでした。そこで、第三高等学校のOBが長年の調査をし、1993年に「吉田千秋による作曲である」と突き止めました。

「琵琶湖周航の歌」開示から75年目のことでした。

 

作曲した吉田千秋は、秋田県の大鹿出身で、大正8年に24歳で病気で亡くなりました。

そのため、自分が作曲した「ヒツジグサ」をもとに「琵琶湖周航の歌」が作られたことを知りませんでした。

 

 

ところで、これらと似たような曲がもう一つあります。

それが「琵琶湖哀歌」。こちらのメロディの半分は「琵琶湖周航の歌」から借用されたものです。

 

 

この曲が作られるきっかけとなったのが、1941年(昭和16年)4月に起こった「琵琶湖遭難事故」。

(事件の概要 ウィキペディアより)

春休みを利用して滋賀県大津市に合宿していた金沢第四高等学校(現・金沢大学)の漕艇部員8名は、京都大学の学生ら3名を加えた合計11名で、高島郡今津町(現・高島市)の琵琶湖畔からボートに乗って午前7時頃出発した。

しかし、午後6時になっても戻らなかったため、翌4月7日朝より大がかりな捜索が行われた。

午前10時頃に定置網にかかったオールが、更に午後2時頃には漕艇部員の持ち物と思われる下駄が発見されるなど、11名の生存は絶望視された。

その後も捜索は行われたが、11名全員の遺体が発見されるまで更に2ヶ月を要した。

原因は、春に起こる琵琶湖地方特有の突風「比良八荒(ひらおろし)」だったようで、11名の若い命が消えた大惨事でした。

 

 

「琵琶湖ってトロ~~~ンとして穏やかだなー」という印象を持っていたので、このような大事故があったということを知り、大変驚きました。

 

 

 

 

「琵琶湖周航の歌 資料館」のパネル展示の一部、琵琶湖遭難事件当時の写真を貼っておきます。

遭難四日後に県警が捜索を打ち切り、合同慰霊祭を行ったため、学生や家族の反発が強まったそうです。

 

 

この「琵琶湖哀歌」のレコードが発売されたのは、まだ遭難者の捜索が続いていた最中だったそうです。

 

 

 

なんだか似ている三つの歌のまとめ(曲のユーチューブ動画を記事に貼っていましたが、著作権問題で削除しました。気になった方は、ご自分でユーチューブで検索してお聞きください)

  1. 「ヒツジグサ」・・・吉田千秋作曲。大正4年に「音楽界」に掲載された。
  2. 「琵琶湖周航の歌」・・・大正6年、第三高等学校(現・京都大学)のボート部員が、当時流行っていた「ヒツジグサ」のメロディに乗せて、ボート部員仲間の小口太郎さんが作った詞をのせて歌ったのが始まり。昭和8年に初レコーディング。昭和46年に加藤登紀子さんが歌い、大ヒット。
  3. 「琵琶湖哀歌」・・・昭和16年4月に、金沢第四高等学校(現・金沢大学)の漕艇部員8名と京都大学の学生ら3名を加えた合計11名が遭難。全ての遺体が引き上げるまで2カ月かかり、その間に事故を悼んで製作・発売された。

 

 

 

退館する時、資料館の方が、ファイルと缶バッジを二つずつくださりました。

琵琶湖、ボート、竹生島つづらお崎、後ろの高い山は伊吹山かな? ヒツジグサも文字近くに配置して、今津から見た景色の魅力がギュッと詰まったファイルです。

 

 

入館無料ですし、いろんなバージョンの「琵琶湖周航の歌」を聞けるので、ぜひ立ち寄ってください。

 

 

次は、車を走らせて、白髭(しらひげ)神社へお参りに行きました。全国にある白鬚神社の総本社で、琵琶湖に立つ鳥居が「近江の厳島」とも呼ばれることで有名な神社です。

 

次の記事はこちら

滋賀県の琵琶湖一周旅、二日目の行程の続きです。 今津港からクルーズ船に乗って竹生島観光をし、琵琶湖周航の歌資料館を見た後は、車で20分離れた「白髭神社」へ行きました。 →→2018年5泊6日滋賀県琵琶湖一周旅行記の行程はこちら・・・[…]

 

(この旅行記は2018年です)

 

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→→【竹生島観光】 竹生島への交通アクセス。つづらお、今津港、長浜港、彦根港からの4航路がある・・・前回の記事です。資料館から徒歩2分ほどの今津港から、琵琶湖最大のパワースポット「竹生島(ちくぶしま)」へ渡れます。

交通アクセス

公共交通機関で行く場合、近江今津駅下車し徒歩3分。
クルーズ船を利用して行く場合、今津港から徒歩2分ほど。
車で行く場合、駐車場がありませんので、周辺の有料駐車場を利用することになります。

料金

入館無料
開館時間 9:00~17:00
休館日は月曜日

近くの宿泊施設

今津サンブリッジホテル。資料館から徒歩10分ほど。

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