【八甲田神社】 雪中行軍遭難資料館のすぐ近く。蝦夷の砦の跡、征伐軍の戦勝祈願の地が近くにある

「そういえば、青森の八甲田神社、まだ書いていなかったなぁ・・・」と最近気になっていたので、今日は、青森市の八甲田神社(はっこうだじんじゃ)を紹介します。

参拝記

 

八甲田神社は、数年前に、八甲田山雪中行軍遭難資料館に行った帰りにお参りして以来でした。

あの時は境内が雪に埋もれていて「雪国の神社って、冬、こんなふうになるんだ」と、雪の積もらない地域で生まれ育った私には驚きでした。

 

八甲田神社の御祭神は、
天津御祖大神(あまつみおやのおおかみ)
伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)
伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)
天照大御神
月夜見大神
大地主大神
大山祇大神
北畠顕信命
北畠守親命
美穂屋姫大神(みおやひめのおおかみ)
などです。

その他、たくさんの神々が祀られています。

 

 

八甲田山神社の由緒を簡単に説明。

阿倍比羅夫(あべのひらふ)が夷賊征討した時、現在の青森市に政庁を置き、八甲田山麓に山霊を祀り、国生み神話のイザナギノミコト、イザナミノミコトをはじめ、様々な神様を勧請しましたが、永く廃絶。

昭和18年に、小笠原壽久(おがさわらとしひさ)さんが、啓示を受けて八甲田大神(はっこうだおおかみ)を祭祀し、昭和四十六年には北畠氏の縁故者や崇敬者と共に、現在地に社殿を建立した。

阿倍比羅夫(あべのひらふ)は、7世紀中期(飛鳥時代)の将軍で、斉明天皇(さいめいてんのう・二度皇位に就いた女帝)の時代、3年間かけて日本海側を航海し、北海道まで遠征。蝦夷を服属させ、粛慎(オホーツクの原住民?)と交戦した人です。

 

 

東北はもともと蝦夷が住んでいた土地で、飛鳥時代の阿倍比羅夫をはじめ、度々、中央政権側から「服従しろ」と軍が派遣されたようです。

 

 

中央政権vs蝦夷の戦いで、もっとも有名なのは桓武天皇時代の「アテルイ」でしょうか。興味があるので、また本を読んでみたいと思います。

→→アテルイ  ウィキペディア・・・平安時代初期の蝦夷の軍事指導者。

 

 

ちなみに、青森ねぶたは有名な祭りですが、もともと蝦夷を驚かすために太鼓や鐘を鳴らしたのが始まりだと伝わっているようです。

 

 

八甲田神社前の道路。

走行跡が凹んでいることに驚いた。

道路が削られるのでしょうか、それとも沈んでいるのでしょうか。

青森県民の夫にきいたところ、「大型の除雪車が通るから、道の痛みが早いんじゃないのかな」とのこと。

 

 

今回は、八甲田神社の紹介でしたが、八甲田神社の北にある「熊野神社」は蝦夷の砦の跡、その西の「大星神社」は征伐軍の戦勝祈願の地とされているそうです。

徒歩で行くには遠いので車の利用になりますが、蝦夷や征伐軍など、興味のある方はまわってみてはいかがでしょうか。

 

 

東北は古代から中央政権に蹂躙され続けた。阿弖流為(あてるい)対坂上田村麻呂、安倍貞任・藤原経清対源頼義、藤原泰衡対源頼朝、九戸政実対豊臣秀吉、奥羽越列藩同盟対明治新政府。

5度の侵略戦に敗れ、奪われ続けた資源と労働力。そして残された放射能。

しかしそれでも「和」の精神で立ち上がる東北人へ、直木賞作家からの魂のメッセージ。

(本の紹介より)

 

 

 

また、八甲田神社から450m離れた所には、八甲田雪中行軍遭難資料館があります。

車なら3分(駐車場無料)、徒歩なら8分ほどしか離れていませんので、あわせて訪れてみてはいかがでしょうか。

→→八甲田山雪中行軍遭難資料館の記事はこちら・・・対ロシア戦を想定した訓練に参加した210名中、199名が死亡した。世界最大級の山岳遭難事故。

 

関連記事

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→→【雲谷(モヤ)ヒルズ】の記事はこちら・・・蝦夷の女王オヤスの砦が麓にあった。

→→ねぶたの家ワ・ラッセの記事はこちら・・・青森駅前。年中ねぶたを楽しめる施設。

→→青森ねぶた祭りの記事はこちら・・・毎年8月初旬に青森駅周辺で行われます。

→→青森の「キリストの墓」に埋葬されているのは、本当にキリストなのだろうか・・・青森の謎スポット「キリストの墓」。

→→青森に浦島太郎の竜宮城があった? 和歌山には桃太郎の鬼ヶ島があった?・・・浦島太郎は京都の人で、青森に流れ着いた?

交通アクセス

車で行く場合、無料駐車場があります。

公共交通機関で行く場合、青森駅から横内環状線・中筒井経由幸畑団地行のバスに乗り、幸畑バス停で下車、徒歩10分。

または、田茂木野たもぎの、田茂木沢たもぎさわ行のバスに乗り、幸畑墓苑バス停で下車、徒歩5分。

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