今日紹介するのは、和歌山県日高川町(ひだかがわちょう)の「道成寺(どうじょうじ)」。
以前紹介した日本のエーゲ海とも呼ばれている「白崎(しらさき)海洋公園」から、南へ30分ほど車を走らせたところにあるお寺です。
参拝記
道成寺(どうじょうじ)は、和歌山県日高川町にある天台宗のお寺です。
道成寺駅から徒歩10分と交通アクセスは良いです。
このお寺は、701年に文武天皇が建てたもので、和歌山県内に現存する寺では最古。
「髪長姫(かみながひめ)伝説」や「安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)伝説」で有名です。
上皇陛下が皇太子殿下であったころ、道成寺で「安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)伝説」の絵とき説法をお聞きになられたそうですよ。
私がここを訪れたのは、二十歳くらいの時だったでしょうか。
十数年ぶりに訪れたかったのですが、8歳の息子に「安珍清姫の物語」を簡単に話したところ、
「そんなこわい話のところには行きたくない」
と拒否されまして、海南のわんぱく公園になったのでした。
まぁ、確かにコワイですよ。
→安珍清姫の悲恋物語はこちら
以下、簡単に話を説明します。
↓
928年の夏ごろ、奥州(岩手県あたり)から熊野詣に来た美形の修行僧・安珍(あんちん)は、宿を借りた真砂庄司の娘・清姫(きよひめ)に一目ぼれされ、夜這いをかけて迫られる。
安珍は「熊野から帰ったらまた寄るよ」と、いい加減な口約束をしてサヨナラ。
しかし、約束の日に安珍が来ない・・・。
彼を恋い慕う清姫は、裸足でひたすら追いかける!
清姫の執念すさまじく、安珍に追いついた!
しかし「人違いですよ・・・」と逃げる安珍。
さらに、熊野権現に助けを求めて、清姫を金縛りにした隙に逃げるという、「あんたとは話し合わないよ」の冷たい態度。
これに清姫、ブチ切れた。
安珍は船で日高川を渡って逃げる。
清姫は、蛇に化けて川を渡り、怒りの火をふきながら安珍を追う!
安珍は道成寺に逃げ込んだ。
寺の梵鐘を下ろしてもらい、その中に逃げ込む安珍。
清姫、鐘に巻きついて、安珍を焼き殺す!
安珍を焼き殺した後、清姫は蛇の姿のまま入水自殺・・・。
その後、住寺は二人が蛇道に転生し、供養を頼む夢を見たそうで、法華経供養を営むと二人は成仏し、天人の姿で現れ、熊野権現と観音菩薩の化身だった事を明かしました。
こんなことから、法華経は本当に有りがたいのですよ。・・・という、お話です。
道成寺の初代の鐘は、安珍と共に焼かれて失い、二代目の鐘は京都の妙満寺にあるようです。
以来、道成寺には釣鐘は無いそうです。(妙満寺から道成寺へ、鐘が里帰りしたことは、3度あるようです)
道成寺の安珍塚。(ウィキペディアから借りた写真)
道成寺の絵とき説法は毎日3~10回行われていますが、大人600円、小学生300円の拝観料がかかります。絵とき説法のほか宝仏殿・縁起堂へも入れます。
本堂、仁王門は重要文化財で、木造千手観音立像・木造菩薩立像2躯は国宝、そのほかにも重要文化財の像がたくさんあります。
「安珍清姫の物語」は、能、長唄、人形浄瑠璃、歌舞伎などにもなったようです。
かなりインパクトのある話ですからね~~~。
現代の私達にも、なにかこう・・・、グッときて、ゾッとするものがありますよね。
古今東西、金銭と異性問題は、闇が深いですからねぇ・・・。
私はどこか冷めているところがあって、「安珍清姫の物語」のような激烈な恋をしたことはありませんし、好きな人の取り合いになるのならば、身を引いてしまうタイプです。
・・・というか、結ばれる運命は、やっぱり結ばれるのだと思います。
そうでないのならば、別の本当の相手がいるのでは?と思います。
一つ、大事だなと思うのは、死んだ時に、
「ああ、私はあの人に酷いことをしてしまったなぁ・・・」
と、自分の良心が痛まないような生き方をするのが、理想なのかなぁとも思います。
どうか、悲しい涙ではなく、うれしい涙を流せるような選択ができますように。
未熟な私自身の選択も含め、世界中のあらゆる人がそうでありますようにと、祈らずにはいられません。
たくましく、自分の人生を、生きましょう!
・・・と閉めた所で追記ですが、ニシキトベの復活 ― 太古の記憶の解放、根源的な生への回帰という本を読んだところ、津名道代さんが、
「安珍は藤原氏のスパイで、鉱脈のありかを探すために清姫に近づいた。それというのも、清姫が採鉱の部族の娘で、鉱山を記した地図を持っていたからだ。部族の力になってくれる人を必要としていたところに、藤原氏のスパイの安珍が漬け込み、鉱山の地図を持って逃げた。この地図が朝廷に渡ったら、自分の部族が滅びるので、清姫は安珍を必死で追いかけ、殺すしかなかった」
との記述を見つけました。
真実はどうかわかりませんが、もしもこれが本当だとしたら、色恋におぼれた哀れな女ではなく、部族を守りたかったお姫様という、まったく違う清姫像が出てきます。
また、安珍・清姫物語よりもずーーーっと前に、道成寺にあった話として、「髪長姫(かみながひめ)物語」があります。
以下、簡単に説明。
↓
九海士(くあま)の里に、子供に恵まれない漁師の娘が住んでおり、毎日お宮に参拝していたら娘が生まれたので「宮子」と名付けました。
宮子は美しい娘でしたが、なぜかしら髪の毛が全く生えてきませんでした。
ある日、母が海に潜って漁をしていたら、光り輝く観音像を見つけました。
毎日手を合わせると、宮子に美しい髪が生えてきて、「髪長姫」と呼ばれるようになり、後に藤原不比等(ふじわらのふひと)の養女となり、文武天皇の妻になって、聖武天皇を生みました。
聖武天皇(しょうむてんのう)は、奈良の東大寺を建立した天皇として有名ですね。
真偽はわかりませんが、聖武天皇の母の名前は確かに「宮子」です。
道成寺に伝わる宮子と同じかわかりませんが、大変ロマンチックな話ですね。
最後に、境内にある石碑「道成寺縁起について」を紹介します。
道成寺縁起について
和歌山県日高郡にある道成寺は謡曲や日本舞踊でおなじみの名刹ですが、能も踊りも安珍清姫の伝説によっているのを、私はつねづね残念に思っていました。
道成寺は文武天皇の勅願寺で、その縁起はこの「かみなが姫」の物語がもとなのです。
道成寺に残る資料によれば、日高の村長に生まれた女が母親の犠牲によって丈なす黒髪に恵まれ、やがて藤原不比等の養女となって入内し、文武天皇の妃となり聖武天皇を出産した事になっています。
そのため道成寺は女人開運を祈願するお寺として有名でありましたし寺格も高いものだったのですが、数百年立って清姫が飛び込んで放火してからすっかりそのお話におかぶを奪われてしまいました。
しかし、私は清姫の火の恋よりもこの縁起にみられる母の祈りや、いかにも南紀らしいおおどかな風土を感じさせる髪長姫の物語の方が、はるかに美しく思われますし好きなのです。
その気持ちが私にこの筆をとらせたと言えるようです。
在東京 有吉 佐和子 和歌山県出身
次から本州最南端の潮岬エリアを取り上げていきます。
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交通アクセス
公共交通機関で行く場合、JR 紀勢本線(きのくに線)道成寺駅 から500m。徒歩7分。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。
車で行く場合、一般車駐車料金500円。100台収容可能。
料金について
絵とき説法のほか宝仏殿・縁起堂拝観料 大人600円、小学生300円。
拝観時間:9:00 – 17:00(境内のみの見学は時刻の制限無し)
近くの宿泊施設
グリーンヒル御坊駅前。