当ブログは「旅行ブログ」なのですが、世界情勢が不安定になっていて大変心配しております。
旅行を楽しむのも、食事を楽しむのも、オシャレを楽しむのも、仕事や勉強などに勤しむのも、全て、世界が平和であり、体が健康であってこそです。
平和は、英語で「peace(ピース)」。
意味は、「欠片」、「部品」を意味します。
平和とは、一国の指導者がつくるものではなく、世界のかけら・部品である、私達一人一人が平和を作るのです。
地球人類の歴史は、戦争の歴史です。
実際の歴史もそうですし、ゲーム、映画、小説、漫画、アニメなども、敵対する勢力を「正義」の名のもとに武力で打ち負かします。
お互いが「自分は正しい。おかしいのはオマエ」と争い、相互理解と和平に努めないので泥沼です。さらにここに利害関係でよその勢力が入って来て争いを大きくするので、世界大戦にまで膨らんでしまう・・・。
今、ウクライナとロシアがもめていますが、難民支援はとても素晴らしいことですし、和平交渉のための場を設け仲裁に立つ人がいるのはとても立派です。しかし、他の国が兵器を送ったりや武器購入費用を送ったり、傭兵を提供するのは争いを大きくするだけで、「暴力はさらなる暴力を生む。憎しみは憎しみを呼ぶ」ので、あってはならないことだと思います。
昨日のツイッターで、ウクライナ政府が義勇軍を募集し、日本人で志願者が70人いると出ていましたが、これは参加してはいけないことです。なのに、立派だとか侍だとか褒めている人が多いことに驚きました。
煽られてはいけません。
暴力に加担してはいけません!
解決策は、国家の指導者として、うぬぼれや党派心や個人的な金銭欲などに左右されない、人々の幸福だけを唯一願う指導者をすえることです。
あなた方が抱いているさまざまな意見の違いを超えて、隣人に手を差し伸べ、隣人を受け入れ、ともに助け合うことです。解決策はお金ではなく愛にかかっています。
あなた方が隣人や自分の子供達を粗末にしたり、嫌いだからといって他人に援助の手を差し伸べなければ、あなた方は自分達の文明の崩壊に加担することになります。
そして今日の地球では、悲しみや暴力などを通して崩壊が加速しつつあるのです。暴力は決して利益をもたらしません。むしろ解決策は愛と心の修練にあります。
それぞれの国民が立ち向かう相手は、政府の言う敵国ではなく、「自分達の政府」です。
それぞれの国民が、自分達の政府の指導者に、
「平和的な解決をしなさい」
「人を殺すな、殺させるな」
「武器を持つな、作るな、持ち込ませるな」
と、自分達の代表に要求しなければなりません。
国民から退陣を要求された指導者は、国民が求めた「平和的な解決ができる人」に自分の席を譲らなければなりません。
国民一人一人が健全なものの見方ができるよう、マスコミは偏向報道や情報の規制をしないようにしなくてはなりません。
どの国の政治家も、人々に「武器を手にとれ」と命令してはなりません。
自分は安全なところに避難しておいて、自国民・他国民を戦争の前線に立たせてはいけないのです。
私達の文明を蝕むものの原因として、危険なものから順に言うと、第一にお金、第二に政治家、第三にジャーナリズムと麻薬、第四に宗教。
私達は「霊性を高めるため」に生き死にを繰り返しています。
今、この時代に生まれてきたということは、私たち一人一人が平和を望む側なのか、争いを望む側なのか、試されているのです。
この世の悪は、神から生じたものではなく、霊的法則を知らないために 他の被創造物を傷つける、進化の途上の人間が生んだものだ。
「善人を右に、悪人を左に分ける」選択するのは神ではなく、自分自身の決断なのだ。霊界は、皆に同じだけの機会を与えているので、何をしたいのか、どんな世界に生きたいのかを決めるのは、自由意志を持った自分自身なのだ。
意志の力と努力がどちらに向いているかで、得られるものが決まる。
愛の中で暮らしたい者は、愛に基づく世界に生きる。我欲の中で暮らしたい者は、そのように生きることが自分を不幸にすると気づいて変更を決意するまでは、エゴに基づく世界で生きるだろう。
過去に犯した不正を人民に知らせず、過ちから学ばせまいとする様々な時代の支配者によって、歴史的な記録は、数え切れないほど抹消されてきたからだ。無知な民ほど扱い易いのだ。「歴史を忘れた民は同じ過ちをくりかえす」と、格言にもある。
苦しみはエゴのせいであり、我欲が人類の心に君臨し続ける限り、戦争も飢餓も貧困も不正もなくならない、という結論に独りで達しなくてはならない。
全ての災いを根絶する唯一の方法は、一人ひとりの心から我欲を一掃することだが、エゴの毒を解毒できるのは、愛だけなのだ。
腕組みをしながら救済者がやって来るのを、待っていてはいけない。
行動するのだ。そうすれば助けが得られる。「愛の法則」を信奉する高次の魂は、いつでも君たちを蔭から応援するために、傍にいるのだ。しかし、君たちの意に反することはできないので、君たち自身の意志で、率先して行わなければならない。
川に落ちてしまった者が助けを求めているにも関わらず、本人は腕を動かしてなんとか泳ごうともせず、浮ぶ努力さえしないのと同じことだ。
決断しさえすれば、君たちには、自分の運命の方向を変える力があるのだ。
もし本当に平和や自由を愛するならば、自分が主張することと反対のことをしてはならないだろう。目的に対して手段が矛盾するのであれば、その人は嘘つきか偽善者なのだ。
手段は求める目的と合致しているべきで、目的によってその手段が正当化されることなどあり得ない。戦争によって平和は実現できないし、強制によって自由を得たり、不正によって正義を得ることも不可能だ。
なぜ君たちが望むことと反対のことをする者に権力を渡すのか?
君たちの世界の腹黒い支配者たちが、国民を戦争に招集したとしても、銃を取る者も他者に強要する者も誰一人おらず、武器を製造する者もいないとしたら、彼らがいかに邪悪であろうと、何できない筈だ。
しかし、もしそれが可能だとするなら、それは君たちのエゴがそそのかされてしまうからだ。自分は他の者たちの殉教者だと納得させられてしまうから、羊は屠殺所に連れて行かれてしまうのだ。だからこれは、自分が同類の命を奪う権利があると信じて、他者も自分の命を奪ってもいいのだ、と納得させられてしまう者の問題なのだ。
これは、愛に賛同する自分の信念が試される、大変厳しい試練である。殺して殺人者になり果てるか、敵軍に拷問されたり傷つけられるか、造反者や裏切り者のレッテルを貼られ「友達」だった自分の一味から投獄・拷問されさらには死刑にされるか、を選択しなければならない。これらの選択には情状酌量の余地があるが、死ぬか殺すかの戦争に行くように他者を強要した者の責任はもっと重く、重責だとされる。
君たちの世界では、命を危険にさらして敵軍の兵隊を殺した兵士は、勇者である。一方、一人の敵兵も殺さないで済むよう自分の命をさらした者は、臆病者とされる。
しかしながら、霊的世界では、それが正反対となる。勇敢なのは、殺人に反対する平和主義者であり、造反者であり、裏切り者であり、兵役忌避者である。見知らぬ、おそらく別の信仰やイデオロギーを持つ者の命を守るために、死ぬまで自軍に迫害されることになるだろうと知りつつ自らの命を危険にさらすので、勇者なのだ。他方、どちらかの軍に自分が一番初めに殺されることを怖れて、他者の命を奪うために自分の命を冒す者は、勇者からはほど遠いのだ。
いずれの場合にせよ、どちらを選ぶかを決めるのは魂だ。兄弟の殺害を拒んだために、利己主義者に報復されて地上で一時的に苦しむが、霊界で報酬を授かるのか。それとも、戦争のヒーローとして地上で報われるが、兄弟を傷つけたために、後で霊界で苦しむのか。
君たちが知り得る人類の歴史の知識は、過大に操作されたものだ。
多くの者が未だに、戦争には善い陣営がいると信じ、神が応援するのは常に自分が所属する方で、もう一方の陣営は悪魔に支援されるとする。
しかし、敵対する側でも全く同じ意見で、自分たちこそが善人で神は彼らを支援しており、もう片方には悪魔に支援された悪人がいると思っている。
君が言及したような戦争は、一朝一夕にはでき上がらないのだ。実際には戦争というものは、武力抗争が始まるずっと以前から練り上げられるもので、嘆かわしいことに、将来的に敵対することになる二つの勢力はお互いが武装するために予め協力し合い、それから破壊し合うために敵対するのだ。
過激で暴力的なイデオロギーによって、国民は道徳的にも経済的にも退廃してしまうのだ。大規模な戦争は、国民が極度の困窮に陥るような、深刻な経済危機の後に起こってきた。
これらの経済危機は偶然に派生したのではなく、他者の不幸と苦悩の犠牲の上に私腹を肥やして、さらに大きな力を得ようとする経済的・政治的な大権を持つごく少数の一グループによって意図的に誘発されたものだ。
彼らは、悪の根源は、人種・宗教・信仰・文化などの違いがある人たちなのだと吹聴するために、自分たちの広報メディアに極端な理念を流布させているのだ。しかし、もしそれができるのなら、君たちの我欲をそそのかすことに成功し、君たちが我欲によって、他者の中に兄弟を見出せなくなってしまうからだ。
真に愛を信じる者は、自分の兄弟 ―人類は誰でも兄弟なのだから― を殺すために、絶対に戦争に行ったりしないだろう。
君たちには子どもがいないのか? 子どもたちに、戦争に耐え、傷ついたり殺されたり、飢えたり苦しんだりして欲しいのか? 君たちの家や村や町が、破壊されたいのかい? もしそうでないのなら、それは相手側にとっても同じことで、戦争をすれば、望まない苦しみ・死・痛み・破壊を与えてしまう、と考えてみるのだ。敵側にも苦しむ子どもがいて、その子たちは貧困・飢餓・痛み・苦悩・破壊と死を患うのだ。
君たち自身の子どもに望まないことは全て、他人の子どもにしてはならない、とはっきりと言っておこう。他者の子どもにすることは、実際には「霊的裁きの法則」によって、将来の君たちの子どもに対してすることになるのだから。
どの国の指導者も、人々に「武器をとれ」と命令してはなりません。
そして、私たち一人一人も煽られることなく、暴力に加担しないようにしましょう。
私達は、有事の際、敵国に武器を向けるのではなく、私達の政府に「平和的な話し合いをせよ」と強く求めねばなりません。
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