年明けくらいから、過去記事の「青木ヶ原樹海」の記事の閲覧数が、いつもの100倍くらいになっています。
なんでかなぁ? と思ったのですが、ユーチューバーが青木ヶ原で自殺した方の映像をアップしたとかでニュースになっているので、その流れで検索で引っかかって、記事にきている・・・のかな?
実は、私は従兄弟を自殺で亡くしています。
彼は、私よりも10歳くらい年上で、子供のころよく遊んでもらいました。
小学生のころ、親にねだって買ってもらった1,000ピースのパズルが難しくて困っていたら、その従兄弟はパズルを引き受けてくれ、数日かけて作ってくれました。
「できたよ」と、手渡してくれた時は、嬉しかったぁ。
小さなころは従兄弟みんなで集まって遊んでいたけれど、成長と共にそういうつながりもだんだんと無くなり、数年に一度しか会う機会が無くなりました。
最後に会ったのは、祖母が入院した時の病院だったかな。
私は高校生になっていて、自分自身にも悩み事がたくさんあったので、従兄弟には話しかけませんでした。
中学生の頃に登校拒否を経験して、「人間関係がうまくいかないなー」とずっと悩み、せっかく合格した高校を中退。後に別の学校に転校したのです。
一番の理解者であろう親は、親戚の中で唯一登校拒否と高校中退をした私を、「恥ずかしい」「邪魔だ」と思っていたようで、親に否定されてしまった私は、当然親戚も冷たい目で見るだろう、他人も冷たい目で見るだろうと、なんだか怖くて、ひたすら下を向いて生きていました。
高校を卒業した後は、専門学校に進み、病院で働きましたが、「人間関係の難しさ」というのはずっとついて回り、日々、鬱々としていました。
職場で、たくさん亡くなっていく患者さんを見て、
「人間って最後には死ぬのに、なんで生まれてきたんだろう?」
と、生まれることの不思議と、最後には「死ぬ」という痛いほどの現実に、頭が酷く鈍く重く、胸がつぶれるような思いを抱いていました。
そんなある日、連絡が入りました。
従兄弟が死んだと。
電話を受けたのは父でした。
父は、「えーっ!?」と絶句し、「●●くんが・・・、本当に?? 亡くなった? なんで?」と尋ね、ウンウンとうなずきながら、涙をぽろぽろ流していました。
私は隣にいて、父が電話の合間にこぼす言葉から、従兄弟は事故で亡くなったのだと知りました。
とても悲しくて、父と一緒に泣きました。
翌日、お通夜に行きました。
そこで知ったのは、従兄弟は事故で死んだのではなく、一人線路に立ち、電車にひかれて即死したということでした。
どうやら、職場の人間関係で悩んでいたようで、ベッドの下から転職関係の本がいくつか出てきたそうです。
次の週には、友達と遊ぶ約束もしていたようで、突然のことでした。
お通夜は、みんな始終無口でした。
私は帰宅して、一晩中泣きました。
どれほど泣いたでしょうか、夜中に、スー・・・と冷たい風が、頬を撫ぜました。
窓もドアも閉めているのに、冷たい風を頬に感じたのは、初めての経験でした。
なんとなく、従兄弟の存在を感じました。
翌日は、お葬式、火葬、収骨でした。
従兄弟は電車に轢かれたため、足の骨は全く残りませんでした。
従兄弟が、とても気の毒に思えました。
叔父、叔母も、さぞかし辛かっただろうと思います。
四十九日の法要が終わるころには、叔父と叔母も、ある程度気持ちの整理がついたようで、こんな話をしてくれました。
お通夜の準備のため帰宅したら、ひとりでに玄関の戸が、カラカラ・・・と開いたのだと。
一人分、ス・・・と通れるだけ、静かに開いたのだそうです。
「うちに帰って来たんだ」
と、思ったそうです。
あれから、もう何年たつでしょうか。
15年くらいになるのかな・・・。
今でも、優しかった従兄弟を思うと、胸が痛みます。
まじめで繊細な人は、人に傷つけられると、怒りを相手に向けないで、自分自身を傷つけて、追い込んでしまうのだと思います。
どうか、早まって自殺するくらいなら、10年休む気持ちで、生きてください。
生きるということは、たぶん、川を流れる落ち葉のようなもので、時には引っかかったり、渦にはまってクルクルと回り続けることもあるでしょうが、それでも川(時)は、流れ続けています。
ずっと、引っかかったまま、ずっと渦に巻き込まれたままではないと思うのです。
たとえ、渦の中に、長い間、巻き込まれていようと、いつか出られるのだと思います。
お通夜の日、自宅の玄関をカラカラと開けた従兄弟の魂は、今はどこにあるのかな。
「肉体が死んでも、魂は消えない」
私は霊魂が見えるわけではないので、わかりませんが、きっとそうなのだと思います。
また、人間は輪廻転生を繰り返しているようです。
これも、私には確かめようがありませんが、以前アカシックレコードを見ていただいたら、私にはいろんな過去生があったそうです。
戦争で人を殺し、自分も殺されたのだそうです。
きっと、みんな、いろんな人生を歩んできて、「今だけしかない舞台」に生きているのだと思います。
怒ったり、笑ったり、喜んだり、泣いたり、生きるのが嫌になっちゃったり・・・、それも全て「今だけしかない舞台」なのだと思います。
ですから、自分で早まってステージを下りずに、どうか生ききって下さい。
そして、そばに辛そうにしている人がいたら、そっと寄り添ってあげてください。
辛い思いをしている方は、自分の経験がきっとだれかの役に立つ時が来るのだと、自分の成長になっているのだと、誇りを持ってください。
今日も、みんな、それぞれ、楽しいこと、辛いこと・・・いっぱい抱えて、時には休みながら、ゴール(肉体の寿命)に向けて、歩んでいます。
私も、貴方も、あの人も、世界中のみんな、そのゴールを目指す一人、「仲間」です。