私は従兄弟を自殺で亡くしています。
彼は、私よりも10歳年上で、子供のころよく遊んでもらいました。
小学生のころ、親にねだって買ってもらった1,000ピースのパズルが難しくて困っていたら、その従兄弟はパズルを引き受けてくれ、数日かけて作ってくれました。
「できたよ」と、手渡してくれた時は、嬉しかった・・・。
小さなころは従兄弟みんなで集まって遊んでいたけれど、成長と共にそういうつながりもだんだんと無くなり、数年に一度しか会う機会が無くなりました。
最後に会ったのは、祖母が入院した時の病院だったかな。
私は高校生になっていて、自分自身にも悩み事がたくさんあったので、従兄弟には話しかけませんでした。
中学生の頃に登校拒否を経験して、「人間関係がうまくいかないなー」とずっと悩み、せっかく合格した高校を中退。後に別の学校に転校したのです。
一番の理解者であろう親は、親戚の中で唯一登校拒否と高校中退をした私を、「恥ずかしい」「邪魔だ」と思っていたようで、親に否定されてしまった私は、当然親戚も冷たい目で見るだろう、他人も冷たい目で見るだろうと、なんだか怖くて、ひたすら下を向いて生きていました。
高校を卒業した後は、専門学校に進み、病院で働きましたが、「人間関係の難しさ」というのはずっとついて回り、日々、鬱々としていました。
職場で、たくさん亡くなっていく患者さんを見て、
「人間って最後には死ぬのに、なんで生まれてきたんだろう?」
と、生まれることの不思議と、最後には「死ぬ」という痛いほどの現実に、頭が酷く鈍く重く、胸がつぶれるような思いを抱いていました。
そんなある日、連絡が入りました。
従兄弟が死んだと。
電話を受けたのは父でした。
父は、「えーっ!?」と絶句し、「●●くんが・・・、本当に?? 亡くなった? なんで?」と尋ね、ウンウンとうなずきながら、涙をぽろぽろ流していました。
私は隣にいて、父が電話の合間にこぼす言葉から、従兄弟は事故で亡くなったのだと知りました。
とても悲しくて、父と一緒に泣きました。
翌日、お通夜に行きました。
そこで知ったのは、従兄弟は事故で死んだのではなく、一人線路に立ち、電車にひかれて即死したということでした。
どうやら、職場の人間関係で悩んでいたようで、ベッドの下から転職関係の本がいくつか出てきたそうです。
次の週には、友達と遊ぶ約束もしていたようで、突然のことでした。
お通夜は、みんな始終無口でした。
私は帰宅して、一晩中泣きました。
どれほど泣いたでしょうか、夜中に、スー・・・と冷たい風が、頬を撫ぜました。
窓もドアも閉めているのに、冷たい風を頬に感じたのは、初めての経験でした。
なんとなく、従兄弟の存在を感じました。
翌日は、お葬式、火葬、収骨でした。
従兄弟は電車に轢かれたため、足の骨は全く残りませんでした。
従兄弟が、とても気の毒に思えました。
叔父、叔母も、さぞかし辛かっただろうと思います。
四十九日の法要が終わるころには、叔父と叔母も、ある程度気持ちの整理がついたようで、こんな話をしてくれました。
お通夜の準備のため帰宅したら、ひとりでに玄関の戸が、カラカラ・・・と開いたのだと。
一人分、ス・・・と通れるだけ、静かに開いたのだそうです。
「うちに帰って来たんだ」
と、思ったそうです。
あれから、もう何年たつでしょうか。
15年くらいになるのかな・・・。
今でも、優しかった従兄弟を思うと、胸が痛みます。
まじめで繊細な人は、人に傷つけられると、怒りを相手に向けないで、自分自身を傷つけて、追い込んでしまうのだと思います。
どうか、早まって自殺するくらいなら、数年休む気持ちで、生きてください。
生きるということは、たぶん、川を流れる落ち葉のようなもので、時には引っかかったり、渦にはまってクルクルと回り続けることもあるでしょうが、それでも川(時)は、流れ続けています。
ずっと、引っかかったまま、ずっと渦に巻き込まれたままではないと思うのです。
たとえ、渦の中に、長い間、巻き込まれていようと、いつか出られるのだと思います。
お通夜の日、自宅の玄関をカラカラと開けた従兄弟の魂は、今はどこにあるのかな。
「肉体が死んでも、魂は消えない」
私は霊魂が見えるわけではないので、わかりませんが、きっとそうなのだと思います。
また、人間は輪廻転生を繰り返しているようです。
これも、私には確かめようがありませんが、以前アカシックレコードを見ていただいたら、私にはいろんな過去生があったそうです。
戦争で人を殺し、自分も殺されたのだそうです。
きっと、みんな、いろんな人生を歩んできて、「今だけしかない舞台」に生きているのだと思います。
怒ったり、笑ったり、喜んだり、泣いたり、生きるのが嫌になっちゃったり・・・、それも全て「今だけしかない舞台」なのだと思います。
ですから、自分で早まってステージを下りずに、どうか生ききって下さい。
そして、そばに辛そうにしている人がいたら、そっと寄り添ってあげてください。
辛い思いをしている方は、自分の経験がきっとだれかの役に立つ時が来るのだと、自分の成長になっているのだと、誇りを持ってください。
今日も、みんな、それぞれ、楽しいこと、辛いこと・・・いっぱい抱えて、時には休みながら、ゴール(肉体の寿命)に向けて、歩んでいます。
私も、貴方も、あの人も、世界中のみんな、そのゴールを目指す一人、「仲間」です。
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(2021年追記)
個人的な話なのですが、先日、「乳がん宣告」を受けました。(→→【乳がん治療(左胸全切除)にかかった費用と、体調について。癌はスピリチュアルな病気で、変化を促すアラーム】の記事はこちら)
思ったよりもガンが進行していて、
「私は、あまり長く生きられないかもしれないな・・・。あの世はどうなっているのだろう」と疑問が浮かび、さまざまな本を読みました。
特に感銘を受けたのが、マイケル・ニュートン博士の本で、
「死後の世界を知ると人生は深く癒される ――退行催眠67ケースから分かった魂の誕生、記憶、そして運命」
の二冊には、私達が死んだ先の世界「霊界」のことが、たくさんの被験者の退行催眠で語られており、私達の本来の世界はあちら(霊界)であり、この世(物質界)には魂の修行のために来ていると書かれてあります。
「死後の世界を知ると人生は深く癒される ――退行催眠67ケースから分かった魂の誕生、記憶、そして運命」の158ページには、ニュートン氏のもとを訪れた被験者(女性)の興味深い話が載っています。
この女性は、前世で妊娠二か月の時、恋人が事故死したのを悲観し、誰にもすがれず、村の池に入水自殺をしたのだそうです。しかし、霊界に戻った後、「他の選択肢」を見せられて、自殺したことを非常に後悔したそうです。
(別の選択肢1)母親に妊娠したことを告げて、受け入れてもらい、親と共に子供を育てる未来。
(別の選択肢2)両親に妊娠したことを告げたところ、一家で別の村に引っ越しをすることになった。父親は引っ越しのために財産を失って、家族の生活は貧しくなった。しかし、後に女性は別の男性と結婚し、家族は離散せず、みんなで子供を育てた。
(別の選択肢3)両親に妊娠をしたことを告げたところ、親は受け入れてくれなかった。そのため、わずかなお金でロンドンに行き、女給の仕事に就いて一人で子育てをすることに。後に別の男性と知り合ったが、路上生活をすることになり、赤ちゃんと一緒に死んでしまう。
(別の選択肢4)両親に妊娠をしたことを告げたところ、村を出ていくようにと言われたので、行商人の荷車に乗って地方の村々をまわることになった。ある家族の下で働き口をみつけ、その街で未亡人のまま子供を育てた。
さて、これを読んで、あなたはどのように思われたでしょうか。
辛いことがあると、「もうイヤだ。死んでしまった方が良い」と思う気持ちはわかりますし、私の従兄弟もそのように思ったため、自分で自分の肉体を殺してしまいました。
しかし、さきほど書いた「過去世で、自殺をした女性の退行催眠の話」のように、私達にはたくさんの選択肢があるのです。
私達一人一人には「自由意志」が与えられています。
自分のことは、自分でどのようにも変えられるのです。(他人を変えるのは難しいし、その人の自由意志の侵害になるが、自分の思考や行動は自分のものです。過去と他人は変えられませんが、未来と自分は自分で決めて変えられます)
辛いことがあったら、悲観せず、まずはゆっくり休んでください。
そして、周りの人に助けを求めてください。
人生は、「幸福を求めるため」「自分の魂をみがくため」にあります。
私自身も、命が尽きるまで、精いっぱい生き抜きますから、どうか、あなたも精いっぱい生き抜いてください。
「やってみないとわからない」これこそ、人生の真理だと思います。
人生、なんでも自分の思うようにできるのであれば、なにも苦労はありません。考えた通りにならないから悩むのです。
頭で考えただけで「もうダメだ、自殺しよう」なんて、そんな簡単な人間では仕方がない。何事もやってみなければわからない。
健康で元気があるなら、失敗してもまたやり直せばいいのです。頭で考えるだけであきらめてしまう人間は、結局、なにもできない。そういうしぶとさがなければ人間は生きていけません。私の話をまとめると、人生で大事なことは「強くあること」、「健康であること」そして「やってみなくてはわからない」。
君たちの先は長い。十分、体に気を付けて頑張ってください。
(平成24年5月 智辯学園和歌山高等学校で行われた 小野田 寛郎さんの公演より →→【宇賀部神社(おこべさん)】と、ルバング島で終戦後30年間戦い続けた小野田寛郎さんのメッセージ)
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(2023年夏 追記)
乳がんになってから、2年が経ちました。2年で再発する人が多いとのことですが、とても元気に過ごしています。
今日は、ふと自分が高校生の頃のことを思い出したので、追記しておきます。
私は高校生の頃、急に死にたくなって、一人電車に乗り、自殺の名所に向かいました。
20分か30分くらい経った頃でしょうか。一人のおばあさんが降車前に私の隣にスッと寄り、「これ、あげるね~」と飴を一つくれました。
あのおばあさんが、なぜ私に声をかけ、飴をくれたのかわかりませんが、私はその小さな行為に救われた気持ちになり、正気に戻り、自殺の名所に向かわずに家に戻りました。
他人の心無い言動でエネルギーが落ちてしまうことも多々あり、人生は困難ですが、私達の社会を救うのは一人一人の小さな思いやりなのだと思います。
私も、飴をくれたおばあさんを見習い、誰かの助けになれれば・・・と思っていますし、「人の役に立ちたい」と思うことで生きるエネルギーが湧くのは、一人一人の心に神様がいるからなのだと思います。