はい、今日は青森県の謎スポット「キリストの墓」の紹介でございます。
・・・当ブログは2015年の11月に開設したのですが、そのころから「キリストの墓についてまた書きます」といっていたので、一年半くらい延ばし、やっと書きます(;´▽`A“ ゴメンネ。
旅行記
夫はほぼ興味がないのですが、私は歴史ミステリーが好き。
というのも、結婚前に歴史ミステリーを扱ったTV番組をよく見ていたからで、青森にある「キリストの墓」について知ったのも、TV番組「新説!?日本ミステリー」でした。
以前から興味があって行きたかったのですが、青森は夫の実家への帰省であり、旅行ではないのでタイミングが難しかったのです。
けれども、2015年9月に青森に帰省したとき、車で青森から八戸へ抜けて新幹線に乗るコースを組み、ついに訪問が実現!
TVで見てから7年も経っていました。
おもしろいのが義父の反応で、
「私、新郷(しんごう)村にあるキリストの墓に行きたいんです」
と言うと、
「おー・・・・。信号の一つしかない新郷村か」
と返事。
「信号が一つしかない新郷村」・・・、言われるまで知らなかったのですが、新郷村には郵便局前の信号1つしかないのです。
それにしても、
「木造駅のシャコちゃんを見たい!」
「青森のキリストの墓を見たい!」
とリクエストする私は、ちょっと不思議な嫁に思われているのかもしれない・・・。(笑)
「次は、五所川原の釈迦の墓へ行きたいです!」と言ったら、どんな顔をされるのだろう?
シャコちゃん。
・・・私だけキャイキャイはしゃいで写真を撮りまくっていた。
はいはい、キリストの墓へ行きますよ~。
周辺マップはこんな感じで、十和田湖(とわだこ)の東側(青森市から南東のほう)で、青森よりは八戸(はちのへ)から行ったほうが近いです。
新郷(しんごう)村は、昔「戸来(へらい)村」でしたが、昭和30年に改称されました。
道中、
「ピラミッド↑ キリストの墓→」
の道路標識があり(ここはどこの国かと思う)、道は一本道なのでほとんど迷いません。
ピラミッドは「大石神ピラミッド」のことです。
イエス・キリストのことを簡単に言うと、「神の子」として人々に教えを説いたけれども、その教えを認めないユダヤ人に捕らえられて、エルサレムのゴルゴダの丘で十字架にかけられ、処刑されました。イスラエルのエルサレムにある聖墳墓教会の中に、イエス・キリストの墓があり、今も巡礼者が耐えないのだそうです。
・・・で、青森の「キリストの墓」はというと、
こちら。
土饅頭に十字架・・・すごくシンプルです。
新郷村(旧ヘライ村)では、これを「キリストの墓(十来塚)」と言っています。
しかし、もともとは土饅頭だけで十字架もなかったようで、この塚を代々守ってきた沢口家は、「この土饅頭は偉い人のお墓だから大事にしなさい」とだけ伝えられてきたそうです。
つまり、現地には「キリストの墓だ」と伝わっていなかったんですね。
戸来(ヘライ)村の人達が、「キリストの墓」だと伝えてこなかったのに、なぜこれがキリストの墓になったのかというと、昭和10年に茨城県から訪れた竹内巨麿さんが、竹内家の古文書(竹内文書)をもとにこの地に訪れて塚を発見し、
「これこそが古文書に記されていたキリストの墓だ!」
となり、有名になったのだそうです。
戸来村の人達が2000年ほど語り継ぎ、イスラエルにも「キリストは東へ旅立った」とする言い伝えがあるのなら信じなくもないのですが、茨城で発見された古文書から推察されたというのが、微妙な感じ・・・。
ではこの「竹内文書」ってナニよ?となるのですが、研究者からは「偽書」扱いされているそうです。
ここに書くと長くなるので、詳しいことは竹内文書 ウィキペディアでご覧ください。
竹内文書は、今から2700年ほど前にいたとされる初代の天皇「神武(じんむ)天皇」よりもず~~~~~~~っと前のことを書いています。
神武天皇からはじまる現在の皇朝を「神倭朝(かむやまとちょう)」と呼び、これ以前に「上古25代」(または「皇統25代」)と、それに続く「不合朝(あえずちょう)73代」(73代目は神武天皇のことである)があり、さらにそれ以前に「天神7代」があったとしているんですね。
ムーやアトランティス、「天の浮舟」(あめのうきふね UFO?)、日本にはピラミッドがあった、日本神話の神々は実在した天皇だった、日本の皇祖皇太神宮が世界の中心で、ユダヤ・シュメール・中国などすべて日本の枝国であり、天皇が空飛ぶ船に乗って全世界を巡航していたというようなことが書かれているそうですが、私にはよくわかりませんので、興味をもたれた方、いろいろ調べてみてはいかがでしょうか。
天皇は、宇宙から来た存在なのだそうです。(天皇どころか、すべての地球人のルーツは宇宙だと思う)
私は宇宙人を信じているので(そもそも進化論を信じていない。微生物はどれだけ時間をかけても人間にはならないでしょ)、まぁそうかなぁと思いますが。
謎の「竹内文書」に関する書籍がいろいろ出ています。
このナゾの古文書「竹内文書」に書かれていたのは、
・キリストは21歳の時、日本に渡り、12年間神学について修行を重ね、33歳の時ユダヤに帰った。
・ユダヤで神の教えについて伝道を行ったが、当時のユダヤ人たちはキリストの教えを容れず、キリストを捕らえて十字架に磔刑にして処そうとしたが、イエスの弟イスキリが兄の身代わりになった。
・ゴルゴダの丘で磔刑にされたのは弟のイスキリの方。イスキリは「神よ 何ぞ吾れを捨て給うや」と悲痛な声を発して殺されてしまった。
・刑を逃れたキリストは弟子数人たちと逃げ、逃避から4年目の2月26日にアラスカから船に乗り、青森の八戸港からヘライ村(現 新郷村)へ上陸。
・再び日本に戻ってきたキリストは十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)と名前を改めて、ヘライ村のミユ子という日本人女性と結婚し、3女を育てた。
・キリストは、ヘライ村で106歳の天寿を全うした。
キリストは竹内文書では「イスキリス・クリスマス」と書かれているそうです。
高長身、白髪、高い鼻、赤ら顔で、ヘライ村の住民は「天狗」と呼び、うやまったのだそうです。
もう一度キリストの墓の写真。
(この土の中に、あの有名なイエス・キリストが眠っている・・・)
わくわくするような、もやもやするような・・・。
向かい側にはイエス・キリストの弟「イスキリの墓(十代墓)」があり、彼の髪の毛を祀っているそうです。
さらに驚くことに、イスラエルから贈られた石碑まであります。
青森県民の間でも意見が分かれているようですが(青森市民の夫は信じていなかった)、私はこれがキリストの墓なんだろうなぁと、信じました。
なぜかというと、「超巨大「宇宙文明」の真相―進化最高「カテゴリー9」の惑星から持ち帰ったかつてなき精緻な「外宇宙情報」」という本に、ヘライ村とキリストの墓について書かれていたからなんですね。(竹内文書とはまた内容が違うけど)
著者はミシェル・デマルケという外国の方で、ある日、最高に進化した宇宙人に連れ去られ(誘拐ではなく招待されたらしい)、地球人は地球で発生したのではなく別の惑星から移ってきた人たちの子孫であること、地球上の一部の生き物は別の惑星から持ち込まれたものであること、地球の「いわゆる文明(物質文明)」は間違った進化であり、このままでは良くない未来になるなどと教えられます。
本の内容をここに書くと長くなるので、次の記事で紹介します。
キリストの墓の説明版。
お墓の近くには「キリストの里伝承館」があります。
小中学生100円、高校生以上200円です。
注意していただきたいのですが、11月5日~4月下旬はお休みです。
キリストの里伝承館の入り口にはラジカセが置かれてあり、
「ナニャ~ドヤ~~~ラ~~~♪ ナニャ~ドナザ~~~レ~~ノ ナニャ~ド~~~~ヤ~~~ラ~~~♪」
の、不思議な音楽が流され、ボウルに山盛りの茹で栗が入れられており、
と書いてありました。
私達は、
「ナニャ~ドヤ~~~ラ~~~♪ ナニャ~ドナザ~~~レ~~ノ ナニャ~ド~~~~ヤ~~~ラ~~~♪」
を聞きながら、栗の皮をむいてムシャムシャ食べました。
・・・美味しかったです。
謎の「ナニャドヤラ」は、こちらで聞けます。
太鼓のリズムが、ドンドンドドドンツドンツク・・・と、なんかクセになる。
顔出しパネルもありました。
いつもは私が写真を撮るのですが、自分も記念に入りたかったので、近くにいた方に撮ってもらいました。
TV番組で放送されていたことなのですが、この新郷村の、男性の昔の衣装「頭にかぶる茶色いフード」は、なんとなくテンプル騎士団の衣装に似ているそうです。
テンプル騎士団はマルコポーロが日本を紹介するよりもずっと昔に、日本に来ていたかもしれないそうです。
その目的は、キリストの聖遺物を見つけること。
資料館内部は撮影禁止ですが、一部だけ記念撮影ができるポイントがあります。
それが、額に十字マークの子供人形が置かれている囲炉裏の間。
新郷村の昭和初期(まだヘライ村だったころ)の民家の居間を復元したのだそうです。
ヘライ村・・・、どうやら「ヘブライ」だったのではないか、と言われているそうです。
初めて家の外に赤ん坊を出す時、額に墨で十字を書き、チャンチャンコにダビデの星によく似たマークを縫いつけると「病気にならない。長生きする」と伝えられているそうです。
額に十字を書くのは、「灰の水曜日」というカトリックの風習と似ているのだそうです。
資料館はパネル展示が多めで、映像コーナー、ヘライ歴史展示コーナー、不思議儀などで、全て見ても1時間もかからないです。
キリストの墓にかかわる資料だけではなく、新郷村観光インフォメーションコーナーも併せています。
新郷村では、毎年6月第1日曜日に「キリスト祭」が行われ、先ほどの「ナニャ~ドヤ~~~ラ~~~♪ ナニャ~ドナザ~~~レ~~ノ ナニャ~ド~~~~ヤ~~~ラ~~~♪」で墓の周りを踊り、フィナーレは出席者全員がエルサレムの方角を向き、ナニャドヤラワインで乾杯するのだそうです。
謎の「ナニャドヤラ」ですが、地元の人にもわからない謎の言葉でしたが、昭和8年に川守田英二博士がこれはヘブライ語だという説を唱えました。
ヘブライ語に詳しい方に解釈してもらうと、
「ナニャドヤラ」は「ナギッド(王・主)・ヤー(神)・ラア(それをみよ)」
「ナニャドナサレノ」は「ナツェレット(ナザレの)・ナギッド(王)」
になるのだそうです。
「ナニャ~ドヤ~~~ラ~~~♪ ナニャ~ドナザ~~~レ~~ノ ナニャ~ド~~~~ヤ~~~ラ~~~♪」
↓
「ナギッド ヤー ラアー ♪ ナギッド ナツェレット ♪ ナギッド ヤー ラアー ♪」
↓
「主である神を見よ~♪ ナザレの主♪ 主である神を見よ~♪」
ヘライ村の人たちは「キリスト」だとは伝えられておらず「偉い人のお墓」だと教えられ、ずっと守ってきたのだそうですが、確かにこうやって見ると何か外国とつながりがあるのでは・・・?、という気がしてきますね。
ちなみに、キリストの墓の所有者は「沢口家」だそうで、キリスト教徒ではないそうです。
沢口家の家紋は、キキョウのような、ダビデの星のような形で、当主のおじいさんは青みのある瞳の持ち主で、堀の深い異国人のような顔立ちだったのだそうです。
さらに、この沢口家には、たて35cm、幅20cmの石器が代々家宝として伝わっているのだそうです。
歴史に詳しい人が鑑定したところ、「サドル・カーン」というキリストが生きていた時代に使われていた西洋の石臼によく似ているのだそうです。しかし、この石臼を分析してもらうと、2000年前よりも古い、縄文時代(4000年位前)のものであると判明。
記念に湯飲みを買いました。
清酒キリストの里、なにゃどやらわいん、キリストラーメン、キリストおでん、キリストのハッカ飴、キリストの遺言書手ぬぐい、ジーザスひっつみなどもあるようです。(良いですね、こういうの好きですよ)
近くには土日のみ営業している「キリストっぷ」←(ミニストップから思いついたのかな)という小さなお店があり、いろいろ珍しい商品が買えるようですが、私達が訪れた時(平日)は閉まっていました。
息子が眺めているのが、イスラエルから贈られた記念碑。
この石はイスラエル国、エルサレム市と新郷の友好の証として、エルサレム市より寄贈されたものである。
平成16年6月6日
と、石碑に書かれてあります。
エルサレム旧市街には「聖墳墓教会」があり、中央のドームに、イエスが埋葬され3日後に復活を遂げたとされる「石墓」が存在するそうです。
そのイスラエルから記念碑とは、どんな意味があるのでしょうか・・・。(軽い冗談? いやいや、そうでもないのかも・・・)
長くなるので、次の記事で、「超巨大「宇宙文明」の真相―進化最高「カテゴリー9」の惑星から持ち帰ったかつてなき精緻な「外宇宙情報」」という本に書かれていたヘライ村とキリストのことを紹介しようと思います。
この本には、キリストは2人いたと書かれています。
また、ブルガリア最強の霊能力者「ベラ・コチェフスカ」さんという方が、「キリストが日本に来ていた」とおっしゃり、ルドルフ・シュタイナーは「イエスは二人いた」と唱え、エドガー・ケイシーも「イエスが日本で布教していた」とリーディングしていたそうです。
・・・キリストは二人いたのでしょうか。
6月26日にこの記事の8割くらいを書いていたのですが、途中でパソコンに不具合が起こったため、今日になってしまいました。 前回の記事、青森の謎スポット「キリストの墓」の記事はこちらからご覧ください。 新[…]
(この旅行記は2015年です)
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交通アクセス
JR八戸駅より、南部バス五戸行き乗車、終点下車。
電車の乗り換えはヤフー路線などでお調べください。
車で行く場合、無料駐車場があります。
料金について
大人200円。小中学生100円
11月5日~4月下旬はお休みです。
近くの宿泊施設
十和田湖畔温泉 とわだこ賑山亭。近くに宿泊施設がないので、十和田湖観光と併せると良いかも。