【松代象山地下壕(松代大本営地下壕)】 太平洋戦争末期、日本政府中枢機能移転のために作られた「松代大本営」の地下壕の一つ

今日は長野県長野市松代町にある「松代象山地下壕(まつしろ ぞうざんちかごう)」を紹介します。

海岸から近くて広い関東平野にある東京は、太平洋戦争末期、大日本帝国陸軍により「防衛機能が弱い」と考えられ、本土決戦を想定して海岸から離れた場所へ、日本の中枢機能移転計画を進めることになりました。

そこで長野県埴科郡松代町(現長野市松代地区)に「松代大本営(まつしろだいほんえい)」を作る極秘計画が起こり、象山(ぞうざん)、舞鶴山(まいづるやま)、皆神山(みなかみやま)の3箇所の山中に地下坑道が掘られました。

現在、見学ができるのは今日紹介する「象山地下壕(ぞうざんちかごう)」のみです。

 

旅行記

松代象山地下壕(まつしろ ぞうざんちかごう)は、長野ICから約2.5Km、5分の距離です。右手には皆神山(みなかみやま)がそびえます。皆神山はまた後日紹介します。

公共交通機関で行く場合、JR長野駅から松代行きバスに乗り、松代駅下車(30分ほど)、徒歩約20分。

 

 

車で行く場合、代官町(象山東)駐車場を利用します。料金は無料で、駐車場から地下壕までは徒歩約7分です。

 

 

私たちは無料駐車場のことを知らないで、車で象山地下壕まで行ってしまい、すぐ隣にある「もうひとつの歴史館・松代」の前に車を停めさせてもらいました。駐車場に困っていたら、係りの方が「地下壕の見学後でもいいから、歴史館を利用してくれるなら停めても良い」と声をかけてくれたのです。

松代象山地下壕は長野市が管理する公共施設で入館料・駐車場ともに無料ですが、こちらの「もうひとつの歴史館・松代」は個人経営の博物館で、2019年当時大人200円、中学生150円、小学生100円かかりました。駐車場代金は500円。館内の写真撮影は禁止で、トロッコ、カンテラ、地下壕全体図、削岩機、動員された朝鮮労働者の証言などを知ることができます。

 

 

 

 

 

冒頭にも書きましたが、第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、大本営と政府各省等を海から遠いこの地に移すという極秘計画がありました。

この計画で、当該地区一帯500戸足らずのうち、130戸が立ち退き対象となったそうです。

 

【松代(まつしろ)が選ばれた理由】

  1. 本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに長野飛行場がある。
  2. 固い岩盤で掘削に適し、10トン爆弾にも耐える。
  3. 山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
  4. 長野県は労働力が豊か。
  5. 長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
  6. 信州は神州に通じ、品格もある。
  7. 松代に縁起の良い、松という文字が含まれていた。

 

 

 

 

松代大本営地下壕は、

  1. 舞鶴山(まいづるやま)
  2. 皆神山(みなかみやま)
  3. 象山(ぞうざん)

の三か所に碁盤の目のように掘りぬかれました。

昭和19年11月11日から、翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ九か月の間の突貫工事で、全工程の約8割が完成したものの、使わずに終戦を迎えることになります。

延長は約10キロメートル余りに及んでいますが、見学できるのは、象山地下壕の519mのみで、平成元年(1989年)から一部公開されています。

 

太平洋戦争以前より、海岸から近く広い関東平野の端にある東京は、大日本帝国陸軍により防衛機能が弱いと考えられていた。
そのため本土決戦を想定し、海岸から離れた場所への中枢機能移転計画を進めていた。
1944年7月のサイパン陥落後、本土爆撃と本土決戦が現実の問題になった。同年同月東條(とうじょう)内閣最後の閣議で、かねてから調査されていた長野松代への皇居、大本営、その他重要政府機関の移転のための施設工事が了承された。
初期の計画では、象山(ぞうざん)地下壕に政府機関、日本放送協会、中央電話局の施設を建設。皆神山地下壕に皇居、大本営の施設が予定されていた。
しかし、皆神山の地盤は脆く、舞鶴山(まいづるやま)地下壕に皇居と大本営を移転する計画に変更される。舞鶴山にはコンクリート製の庁舎が外に造られた。また皆神山(みなかみやま)地下壕は備蓄庫とされた。
3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶ。そのうち中心となる地下坑道は松代町の象山、舞鶴山、皆神山の3箇所が掘削された。
象山地下壕には政府、日本放送協会、中央電話局の設置が予定され、舞鶴山(当時は狼烟山と呼ばれていた)地下壕付近の地上部には、天皇御座所、皇后御座所、宮内省(現宮内庁)として予定されていた建物が造られた。
戦争直後の新聞報道によれば、舞鶴山の建物は鉄筋コンクリート3棟からなり約600坪。廊下は地下壕へ連なっており、屋根は山に続き上空からは隠蔽された構造であった。建物は現在も残っており、限定ながらも一般公開されている。
関連施設は善光寺平一帯に造られたため、「一大遷都」計画であった。上高井郡須坂町(須坂市)鎌田山には送信施設、埴科郡清野村(現長野市)妻女山に受信施設、長野市茂菅の善光寺温泉および善白鉄道トンネルに皇族住居などが計画された。また長野市松岡にあった長野飛行場が陸軍により拡張工事が行われている。(ウィキペディアより抜粋)

説明にある「舞鶴山の天皇御座所」は、次の記事で紹介します。

 

 

 

松代象山地下壕見学の注意事項

  1. 地下壕の見学は午前九時から午後四時まで。
  2. ヘルメットを用意してありますので、必ず着用してください。
  3. 壕内では飲食、喫煙、落書き、集会等、一般見学者の迷惑になるような行為はお断りします。
  4. 壕内でのつまずき、スリップには十分注意すると共に、結露による水滴にも注意してください。また、壕内の地面は凸凹しておりますので、サンダルやヒールのある靴でお越しの際は、十分お気をつけください。
  5. 管理人の指示に従わない方は見学をご遠慮することがあります。
  6. ゴミの持ち帰り運動に御協力ください。

 

 

では、象山(ぞうざん)地下壕の見学へ。

先にも書きましたが、象山地下壕は無料で、午前9時から午後4時までの間、見学可能です。(受け付けは午後3時半まで)

毎月第3火曜日及び年末年始(12月29日から1月3日まで)が休み。

無料で黄色いヘルメットを貸してくれるので、必ず着用して入りましょう。

 

 

碁盤の目のような象山地下壕。赤いルートのみ見学可能です。

この地下壕建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。

最初の発破(爆薬の爆発力を利用して,岩石や鉱石を破砕すること)は、1944年11月11日11時11分という「11」が並ぶ時間。

なんだかオカルト的ですが、漢字の十一を縦書きにすると「士」に通じることから選ばれた日時だったようです。

工事は総計で朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が、当初8時間三交代、のち12時間二交替で工事に当たりました。過酷な労働環境で、栄養失調やケガ人が多数出たそうです。

最盛期の1945年4月頃は、日本人・朝鮮人1万人が作業に従事しました。

 

 

残された削岩機ロッド。地質学的にも堅い岩盤地帯だったようです。

 

 

一番奥までやってきました。

子供の感想は、「広いなぁ」「不気味だなぁ」でした。

 

 

それにしても9か月でこんなに掘るなんてすごいですね・・・。

 

 

 

外にあった、追悼平和祈念碑案内。

こちらは2010年8月に松代大本営追悼碑を守る会が建てた石碑。案内板設置から15年が経過して、数回の調査の結果、死者は1,000名ではなく100~200人だったのではないか、と推定されたとあります。待遇差、強制立ち退き、病気蔓延などもわかったそうです。

 

 

戦争で、日本人も、外国人も、どれだけの人々が悲しみの涙を流し、怒りに震え、絶望したことでしょうか。

今もまだ終わらない世界の紛争。

象山地下壕の隣には「不戦の誓い」の石碑があり、「どうか争いごとのない世界になりますように」、と手を合わせました。

 

 

また、以前紹介した神奈川県川崎市多摩区の「第九陸軍技術研究所(登戸研究所)」は、1944年(昭和19年)に戦況の悪化により、長野県に疎開しました。大本営は松代(まつしろ)に疎開予定で、登戸研究所は上伊那地方に疎開しました。

登戸研究所は、風船爆弾(ふ号兵器)の他、

  • 「く号兵器」・・・怪力(くわいりき)電波攻撃。電子レンジと同じ原理。
  • 「ち号兵器」・・・超短波によるレーダー
  • 「ね号兵器」・・・熱線を用いた射撃管制装置
  • 「う号兵器」・・・雷雲の雲(うん)からとった名前で、ガス兵器で雷雲を発生させ、落雷で敵の飛行機のエンジンを停止させ落とす
  • 「せ号兵器」・・・宣伝のことで、拡声器を搭載したトラックや、ビラの配布をする気球を製造

などを研究開発し、極超短波や赤外線による研究は、現在もミサイル追跡装置に繋がっているようです。

こちらの記事も併せてごらんください。

次の記事はこちら

今日は、神奈川県川崎市多摩区にある「登戸(のぼりと)研究所資料館」を紹介します。 登戸研究所は、戦前に大日本帝国陸軍によって開設された研究所で、正式名称は「第九陸軍技術研究所」と言い、風船爆弾、電波兵器、生物化学兵器、スパイ用品の開発[…]

 

陸軍は松代地区に大本営移転の方針をとりましたが、海軍もこれに近い安茂里小市地区に中枢機能を移転する方針をとりました。海軍の地下壕掘削の場所は、松代大本営から長野盆地を挟んで約10km離れた高台だったそうです。

 

 

 

次は、松代地震観測所・天皇御座所予定地跡を紹介します。

 

象山地下壕からは、1.5km、車で4分の距離です。徒歩で20分くらいの距離なので、公共交通機関利用者は歩いていきましょう。車で行く場合、無料駐車場があります。

 

 

次の記事はこちら

前回の記事「【松代象山地下壕(松代大本営地下壕)】 太平洋戦争末期、日本政府中枢機能移転のために作られた「松代大本営」の地下壕の一つ」の続きで、松代(まつしろ)地震観測所・天皇御座所予定地跡を紹介します。 【松代象山地下壕(松代大本営[…]

 

 

 

(この旅行記は2019年のものです)

 

 

関連記事

戦争と平和の記事です。

→→【登戸研究所資料館】 風船爆弾(ふ号兵器)、怪力光線(く号兵器)、気象兵器、細菌兵器。帝銀事件もからめて紹介

→→【靖国神社と遊就館】 東京五社の一つ。国家のために一命を捧げた方々を祀る。遊就館では零戦、高射砲、人間魚雷回天の展示がある

→→【宇賀部神社(おこべさん)】 ナグサトベの頭が葬られた地。ルバング島で終戦後30年間戦い続けた小野田寛郎さんのメッセージ

 

 

長野県の観光記事です。

→→【神長官 守矢(モリヤ)史料館】 諏訪盆地には、出雲の国の国譲り話とは別に、もう一つの国譲り神話がある。モリヤは古代のイスラエル十氏族?

→→【諏訪大社① 上社前宮】 ご神体は守屋(モリヤ)山。謎の多いミシャグチ信仰。古代イスラエルとのつながり

→→【上高地(かみこうち)】 通年マイカー規制でアクセスが不便だけれども、自然界の極上の癒しの中に飛び込んで!

→→【霧ヶ峰(きりがみね)】 七月のニッコウキスゲの景色が有名。八月半ばも高山植物がキレイ!

交通アクセス

公共交通機関で行く場合、JR長野駅から松代行きバス約30分松代駅下車し、徒歩約20分。

車で行く場合、代官町(象山東)駐車場を利用します。料金は無料で、駐車場から地下壕までは徒歩約7分です。

料金

松代象山地下壕は、長野市管理の公共施設のため無料。

隣の「もうひとつの歴史館 松代」は個人経営なので有料です。

お得で便利な、旅の予約サイト

【オススメ書籍】