奈良県の紹介記事が終わったので、今年の和歌山帰省でお参りした「名草戸畔(ナグサトベ)」巡りを書きたいと思います。
ナグサトベは、以前、「名草戸畔(なぐさとべ)。「日本人」は単一民族ではない。土着民と渡来人が、時には争いながらも融合した「和」の国だった」という記事を書きました。
私が「古代紀国の女王伝説」があることを知ったのは、昨年の帰省。2,600年以上の歴史を有する【日前宮(にちぜんぐう)】にお参りした時のことでした。
日前宮は実家から自転車で20分ほどの距離にあり、何度もお参りに来ているのに、この時はなぜかしら初めて「中言神社(なかごとじんじゃ)」が気になりました。
御祭神は左が名草姫命(なぐさひめのみこと)、右が名草彦命(なぐさひこのみこと)。ウィキペディアで調べたら、「古代からこの地を支配していたけれども、イワレヒコ(神武天皇)に敗れた地主神」と出てきました。
神武天皇(じんむてんのう)は、初代天皇です。(→→【橿原神宮(かしはらじんぐう)】 初代天皇である神武天皇が即位した「日本のはじまりの地」)
初代天皇となる人物と戦って敗れた女王の伝説が和歌山にあるなんて、全く知らなかったので驚きました。
名草(なぐさ)族が拠点にしていたと思われる名草山。
名草姫は、名草戸畔(なぐさとべ)とも言い、本が出ています。早速買って読みました。
この本は、すごく面白いのでオススメ!
和歌山県には「トベ」と言われる女性が3人いたようです。(3人いたというよりも、三地域に居たと表現した方が良いのだろうか。トベとは祭祀をした女性の長を言い、個人名ではない)
- ナグサトベ・・・和歌山市・海南市あたりの名草地域を拠点としていた。神武天皇に殺された。未だ成仏できずにさまよっていると依頼を受け、なかひらまいさんが丹念に調べ、「名草戸畔 古代紀国の女王伝説〜増補改訂版〜」を出版。
- アラカワトベ・・・アラカワは、荒川? 安楽川? 和歌山県北西部辺りかもしれない。アラカワトベの娘の遠津年魚目々微比売(トオツアユメマクハシヒメ)は崇神天皇と結婚し、間に生まれたのが豊城入彦命。豊城入彦命は東国の治定にあたったとされ、上毛野君や下毛野君の始祖となり、栃木県にある宇都宮二荒山神社の主祭神(→宇都宮二荒山神社の記事はこちら)。また、アラカワトベの娘・トオツアユメマクハシヒメの娘に、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)がおり、初代斎宮とされている。(→【野宮神社(ののみやじんじゃ)】の記事はこちら)
- ニシキトベ・・・熊野(和歌山県新宮市や勝浦町辺り)に住んでいたトベ。こちらもナグサトベと同様、神武天皇に殺された。佐藤シューちひろさんが、熊野の磐座に滞在し、目に見えない存在とコミュニケーションをとりながら、ニシキトベらの像を創作。「ニシキトベの復活 ― 太古の記憶の解放、根源的な生への回帰」を出版。
三人のトベを出しましたが、まだ他にも「●●トベ」といろんな地域に居たのかもしれません。
ナグサトベは私の実家のある和歌山市と、南隣の海南市が舞台。
アラカワトベがどのあたりを拠点にしていたのかわかりませんが、毎年実家の父が「あらかわの桃」を送ってくれるので、アラカワというとそのあたり(桃山町あたり?)かなぁ?と思います。・・・といっても、桃山町の北部にあった安楽川村は明治時代にできた名前なので、関係ないかもしれません。
ニシキトベは、新宮~勝浦町あたりにいたのかもしれません。熊野には100kmにもわたる猪垣があり、野村孝彦氏は、ニシキトベらが築いた砦ではないかと推測しているようです。
最後に、ニシキトベの復活 ― 太古の記憶の解放、根源的な生への回帰に、私が胸打たれた箇所があったので紹介しておきます。
「悪いものなんて、本当は無いのよ。その時々の対応の仕方があるだけ・・・」
光の時には光の時の、闇の時には闇の時の生き方がある。光を持ってくる人と闇を持ってくる人には、それぞれの対応の仕方がある。
彼女は知っているのだ、その世界を。
名草姫を祀る神社を紹介する前に、竈山神社(かまやまじんじゃ)を紹介したいと思います。
竈山神社には、戦いで命を落とした神武天皇の兄・イツセノミコトのお墓があります。
前回、【古代紀国の女王。和歌山にいた三人のトベ】 神武天皇に誅された縄文の女王を書いたので、その続きです。 今日は、竈山神社(かまやまじんじゃ)を紹介します。 参拝記 今日、取り上げるのは、和歌山市和田にある「竈山神社(か[…]
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→→名草戸畔(なぐさとべ)。「日本人」は単一民族ではない。土着民と渡来人が、時には争いながらも融合した「和」の国だった
→→【日前宮(にちぜんぐう)】 日前(ひのくま)神宮と、國懸(くにかかす)神宮からなる、2,600年以上の歴史ある御宮・・・ヤタノカガミよりも前に造られた鏡をご神体とする、神話とかかわりの深いお宮。摂社に中言神社がある。
→→【八甲田神社】の記事はこちら・・・夫の故郷青森市の神社。近くには蝦夷の砦の跡、征伐軍の戦勝祈願の地がある。東北では中央政権vs蝦夷の戦いが長年続いた。