前回からの続きで、一泊二日の京都旅行です。
朝一番で、【嵯峨野トロッコ列車】に乗った後、【竹林の小径】を散策し、野宮神社(ののみやじんじゃ)へ参拝しました。
参拝記の前に、「斎王(斎宮)」とは何か説明します
野宮神社(ののみやじんじゃ)の最寄り駅は嵯峨嵐山駅、または京福電鉄嵐山駅です。
私達は嵯峨嵐山駅から【竹林の小径】を通って行きました。徒歩10分くらいで着きます。
毎年10月の第三日曜日に、野宮神社から「【渡月橋】」まで向かう「斎宮行列」は、野宮神社が一番盛り上がるお祭りです。
斎宮行列と、斎宮代(写真中央女性)。
今は「神社」となっていますが、もともとは天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする「斎王(さいおう)」が、伊勢へ行く前に1年ほど籠り、精進潔斎をした「野宮」でした。
野宮は主に嵯峨野を中心に作られ、一代限りで取り壊して、別のところに造られました。
野宮神社のあるこの地は、もともと野宮跡だったところで、800年ごろ(平安時代)に「天照大神を祀る神社」として創建されました。
野宮跡が神社になったのは、この野宮神社のほかに斎宮神社(さいぐうじんじゃ)もあるようです。
斎王の歴史は古く、3世紀から4世紀ごろの崇神(すじん)天皇の娘である豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)又は姪のヤマトヒメから始まるとされ、7世紀後半の天武天皇の頃に制度化。そこから西暦1,300年頃の後醍醐天皇の皇女・祥子内親王で廃止になるまで、およそ660年間、六十数人の未婚の皇女が遣わされたようです。
崇神天皇(すじんてんのう)は、【伊勢神宮内宮】の記事に出てきましたね。
この時の皇居は奈良の三輪山西麓の瑞籬宮(みずかきのみや)でしたが、疫病が流行ってたくさんの人が死んだため、「疫病を鎮めよう」と、宮中に祀られていた天照大神の神体「ヤタノカガミ」と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外へ移すことにした天皇です。
その大役を担ったのが、崇神(すじん)天皇の娘である豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)。豊鍬入姫命の祖母は、【古代紀国の女王。和歌山にいた三人のトベ】の記事で書いた、アラカワトベとされています。
後にこの任務は、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)から、垂仁(すいにん)天皇の娘で、豊鍬入姫命の姪にあたる倭姫(やまとひめ)に移され、各地を転々。
豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)から90年もかけて旅をし、現在の伊勢神宮内宮の場所にヤタノカガミはおさまることになりました。(伊勢神宮内宮に至るまで転々としたところを元伊勢と言い各地にある)
→→【伊勢神宮内宮】の記事はこちら・・・三輪山西麓の皇居から出て、90年かけてあちこち転々とし、最後に収まったのが伊勢神宮内宮。伊勢神宮を創建したのはヤマトヒメ。
→→【倭姫命の旧跡地】の記事はこちら・・・ヤマトヒメの墓所?
→→【熱田神宮(あつたじんぐう)】の記事はこちら・・・また今度書きます。ヤマトヒメは、東征するヤマトタケルに草薙剣(クサナギノツルギ)を授けました。熱田神宮の神体は、草薙剣です。
崇神天皇の命令により、ご神体の鎮座地が天皇の住処から遠く離れてしまったため、ご神体の鎮座地(【伊勢神宮内宮】)に「天皇の代わり」として未婚の皇女が遣わされたのが、「斎王」である・・・、ということです。(複雑ですが、わかりましたか?)
ちなみに、斎王には、
- 伊勢神宮へ遣わされた斎王
- 【賀茂御祖神社(下鴨神社)】と【加茂別雷神社(上加茂神社)】の二つの「加茂社」に遣わされた斎王
の二つあります。
伊勢と加茂社の斎王を区別するため、
- 伊勢の斎王は「斎宮」
- 加茂社の斎王は「斎院」
と呼ばれ、平安時代から鎌倉時代にかけて並立していた時期もあったようです。
加茂社の「葵祭(あおいまつり)」に出てくる「斎王」とは、加茂斎王のことで、現在はお祭りとして一般人から選出しているため「斎王の代わり」で「斎王代(さいおうだい)」と呼ばれています。(野宮神社の斎宮行列も、未婚の皇女「斎宮」の代わりなので「斎宮代」と呼ばれます)
野宮神社の斎宮行列は、1999年から「斎宮行事保存会」が主催となって行っている祭りです。
一般の方も行列に参加できますので、野宮神社 斎宮行列ページでご覧ください。(稚児で5,000円、女官・官人で三万円かかります。主役の斎宮代は一般公募されていません)
他に、一般の方でも参加できる斎宮行列の祭りとして、斎王まつり(三重県多気郡明和町)、あいの土山斎王群行(滋賀県甲賀市)があるそうです。
斎宮については、三重県にある「斎宮歴史博物館 ホームページ」がわかりやすいので、興味のある方はご覧ください。
参拝記
斎王(斎宮)と「野宮」についてわかっていただいたところで、参拝記に入ります。
野宮神社(ののみやじんじゃ)の、黒木鳥居。
樹皮がついたままのクヌギの鳥居で、このような鳥居は、原始的な日本最古の様式です。
野宮神社は三年ごとに鳥居を立て替えてきましたが、くぬぎが入手困難になって困っていたところ、香川県高松市の日本興業が徳島県の剣山の山麓からクヌギを切り出して防腐加工をし、奉製・奉納したそうです。
黒木の鳥居と、鳥居の両脇にある小柴垣が落ち着いた雰囲気を出していました。
野宮神社は、源氏物語の旧跡であり、縁結びと進学祈願の御利益があります。
苔の庭や、竹林が美しい・・・、が、スゴイ混雑です!
平日でも、竹林散策の途中に寄る外国人観光客で大賑わい。
野宮大神。祭神は、天照大神(アマテラスオオカミ)です。
アマテラス大神の神体は「ヤタノカガミ」で、野宮で身を清め、斎王が奉仕するために向かった伊勢神宮内宮に祀られています。
皇室の方もご参拝に来られたようです。
奥には、白福稲荷大明神。
稲荷神社と言えば、同じく京都市内にある稲荷社の総本社「伏見稲荷大社」ですね。
伏見稲荷大社は「白狐(びゃっこ)さん」です。ここは、白福稲荷とつけられているように、白狐さんを祀っているのでしょうか。
隣には、大山弁財天。
境内には、なでると願いが叶うと言われている、亀石もあります。
社務所の窓ガラスには、「源氏物語 おもしろクイズ」や、「小野小町クイズ」などが貼られてあり、縁結びのお守りを求める女性客で賑わっていました。
「野宮」と言えば「未婚の皇女」ですが、斎王は勤めが終わると、稀に結婚をした方もおられたようです。
「縁結びの御利益」は、斎王というよりは、紫式部が書いた「源氏物語」から来ているのかな・・・?
では、次の記事で、野宮神社の斎宮行列のルートである渡月橋(とげつきょう)と、嵐山駅の「キモノ・フォレスト」について書きます。
次が、嵐山・嵯峨野観光の最後の記事です。
前回からの続きで、一泊二日の京都旅行の紹介です。 今日は京都観光の人気スポットである嵐山の渡月橋(とげつきょう)を紹介します。 →→京都府 一泊二日旅行(加茂社・嵐山・鞍馬・貴船)の行程こちら・・・レンタカーを利用して一泊二日で9ヵ[…]
(この旅行記は2018年です)
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嵯峨野・嵐山の観光記事です。
→→【嵯峨野トロッコ列車】 オープン車両「ザ・リッチ号」に乗り、トロッコ嵯峨駅から亀山駅へ
伊勢神宮とヤマトヒメの記事です。(三重県)
→→【御師の家森新、倭姫命の旧跡地】 伊雑宮のすぐ近くで、謎らしい
交通アクセス
嵯峨嵐山駅、またはトロッコ嵯峨駅から、徒歩10分ほど。
京福電気鉄道嵐山駅からは、徒歩7分ほど。
車で行く場合、付近の有料駐車場を利用することになります。平日でも昼頃には満車になるので、朝から行動するのをオススメします。
近くの宿泊施設
旅亭 嵐月。嵐山駅、渡月橋のすぐ近くです。