前回、千葉県成田市の成田山新勝寺(なりたさん しんしょうじ)を紹介しました。
平将門(たいらの まさかど)の乱をおさめるため、将門討伐祈願をしたのが成田山新勝寺の起こりです。
そのつながりで、今日は東京都の「将門の首塚」を紹介します。
参拝記
将門の首塚は、東京のど真ん中。皇居(旧江戸城)のすぐ近くです。最寄り駅は大手町駅、東京駅。メトロ大手町駅が一番近く、徒歩3分です。
→→【皇居参観】の記事はこちら・・・皇居は無料で見学できます。
→→【旧・江戸城本丸跡(皇居東御苑・江戸城天守跡)】の記事はこちら・・・無料で見学できます。265年間も続いた江戸幕府の中心地で、江戸は結界で守られていた。
私が「将門の首塚」を訪れたのは、2019年でした。
首塚の前に、平将門(たいらのまさかど)を簡単に説明。
・平安時代後期に活躍。天皇の血を引く平氏の武士・豪族だった。
・平安京では藤原氏がやりたい放題していたが、遠く離れた関東では、地方行政を任された国司が悪事をやりたいほうだい。ガマンならなかった将門は「八幡神からお告げを受けた」として、京都の朝廷朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、関東の独立を図り、朝敵となる。
・しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された。(享年38歳)
・京都の七条河原に首がさらされたが、何ヶ月たっても腐らず、生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び続けた・・・らしい。(数ヶ月首が腐らなかったとする説がある一方で、三日後に首が空を飛んだとする説もある)
・さらし首は故郷の関東を目指して空高く飛び去り、大手町の一角に落ちた。→将門の首塚ができる。
・平将門の祟りから供養が行われ、神田明神の相殿神となる。
・中世になって武士の尊敬を集め、平氏も源氏も崇敬。太田道灌・北条氏綱等の武将が武運祈願。関ヶ原の戦いの際には徳川家康が戦勝祈祷。
・江戸時代になり、天海が江戸城の鬼門の守護として神田明神を現在の地に移す。江戸幕府から江戸の総鎮守とされる。
・「朝敵」「逆賊」とされていたが、朝廷の横暴な支配に敢然と立ち向かい、新皇に即位して新たな時代を切り開いた英雄として大河ドラマなどで扱われる。→平将門 ウィキペディアに詳しく載っています。
では、平将門の首塚へ行きましょう。
東京のど真ん中、皇居の近くなので、ご覧のように周りは高層ビルだらけです。
そんな中、ぽつんとあるのが、将門の首塚。
「神田明神 旧跡地」ののぼりがたてられていました。
道路には「都旧跡 将門塚」の看板。
2019年に撮影した、将門の首塚。
私が訪れた翌年の、2020年(令和2年)11月から2021年(令和3年)4月末まで工事がされ、現在は、
このようになっているようです。(写真はウィキペディアから拝借)
2020年、将門没後1081年にあたって1961年の第1次整備工事以来、数えて第6次目の改修工事が実施された。
2021年の第6次目の改修整備以降、一般参詣者の敷地内に供物、物品の寄進、お線香台の利用は禁止となっており注意が必要である。
第6次目の改修工事以前、首塚の境内には多数の蛙の置物が奉納されていた。将門の首が京都から飛んで帰ったことから、必ず「帰る(カエル)」にひっかけ、左遷に遭った会社員が、元の会社に無事に戻ってこられるように、あるいは誘拐されたり行方不明になった子供が、無事帰ってこられるように、といった願いをかけて供えられたものである。
6度目の工事を終えて、ずいぶんすっきりしましたね。(カエルの置物が撤去されたのは残念ですね。 【神田明神】に移され、保管されているようです)
私は工事前の方が、歴史を感じて雰囲気が良かったなぁと思うのですが、あなたはどうでしょうか。
将門首塚の由来について書かれた看板。
将門の首は京都に送られ獄門にかけられたが、三日後白光を放って東方に飛び去り、武蔵国豊島郡芝崎に落ちた。大地は鳴動し太陽も光を失って暗黒のようになったという。村人は恐怖して塚を築いて埋葬した。これすなわちこの場所であり、将門の首塚と語り伝えられている。
その後もしばしば将門の怨霊が祟りをなすため、徳治2年時宗二祖真教上人は、将門に法号を贈り塚前に板石塔婆を建て、日輪寺に供養し、さらにかたわらの【神田明神】にその霊を合わせまつったので、しばらく将門の霊魂も鎮まり、この地の守護神になったという。
「弱きを助け悪をくじいた将門は、郷土の勇士」として、将門塚保存会が今も管理しているようです。
私が訪れた時、たくさんの観光客が来ていて(外国人観光客も多かった)、保存会の方が首塚について説明をしていました。
平将門に関連する記事です。
→→【神田明神】の記事はこちら・・・東京都。首塚から徒歩30分ほど北にあります。皇居(江戸城)の鬼門(北東)を守護している江戸総鎮守。平将門の祟りについて。
→→【成田山新勝寺】の記事はこちら・・・千葉県成田市。平将門(日本三大怨霊)討伐祈願が寺の始まり。寺の中で初詣客が全国一多い。
→→【宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ)】の記事はこちら・・・栃木県宇都宮市。平将門を討つ霊剣を与えた神社です。
→→【「怨霊になった天皇」を読んだ】 人を恨んではいけない。「和の文化」は、世界に誇れる日本の心・・・平将門、菅原道真、崇徳天皇は日本三大怨霊と言われています。中でも日本最強の怨霊と言われた崇徳天皇について書きました。
今もあるのかわかりませんが、私が訪れた2019年には「将門の首塚の祟り伝説」を報じた、1982年10月4日の新聞が掲載されていました。
今も生きる祟り伝説、大蔵省も「参った」、壊すと必ず不吉な事
の見出しが怖いですね~~(汗)
1923年(大正12年)の関東大震災後に都市再開発(復興計画)として大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、さらには時の大蔵大臣(第1次若槻内閣)・早速整爾の相次ぐ不審死が起こったことで、将門の祟りが省内で噂されることとなり、省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊して鎮魂碑を立てた。
1928年(昭和3年)3月には大蔵省が主催して鎮魂祭を行っている。 しかし、早速が大蔵大臣に就任、それから程なくして亡くなったのは仮庁舎建設の3年後の1926年(大正15年)であり、仮庁舎建設には関わっていない。また、工事部長だった矢橋賢吉が死亡したのは建設から4年後の1927年(昭和2年)である。 さらに、大蔵省庁舎が落雷による火災で焼失したのは、17年後の1940年(昭和15年)の事であり、この日都内では20ヶ所で落雷していて、航空局に落雷して発生した火災が延焼したものであった。
また、第二次世界大戦後に戦災復興都市計画として、GHQが丸の内・大手町周辺の区画整理にとって障害となるこの地を撤去・造成しようとした時、不審な事故が相次いだため、計画を取り止めた。
アメリカ軍のブルドーザーが作業中に横転し、運転手が投げ出されて死亡。それまでも事故があり日本人の労務者に怪我人が出ていたので付近を調査したところ、転覆したブルドーザーの前に半分埋まっている墓のようなものが見つかり大騒ぎとなった。当時町内会長であった遠藤政蔵により、将門の首塚の碑であることが判明し、GHQ当局に陳情を重ねた結果、塚の取り壊しが中止された。
それらの結果、大手町周辺が高層ビル街へと発展する過程においても、首塚は取り壊しや移転を免れて残ることとなり、現在でも毎日、香華の絶えない程の崇敬ぶりを示しており、近隣の企業が参加した「史蹟将門塚保存会」が設立され、維持管理を行っている。
→将門塚 ウィキペディアより抜粋
将門の首塚があったところは、もともとは古墳だったとする説もあるようです。(最大の古墳は【仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)】。世界3大墳墓の一つで日本で一番大きな古墳)
祟り・・・、本当にあるのかわかりませんが、過去の事故を知ると「いじっちゃダメだな」と思っちゃいますね。
私が訪れた翌年に、六度目の改修工事が行われたのですが(壊しているわけでも、移転しているわけでもない)、その時も祟りと結びつけて胸騒ぎを感じた方はいたようです。
また、周辺の工事中、カリスマ霊能者の山口彩さんが平将門の霊と交信し、「今あちこち工事されていますが、うるさいと怒っています。『囲まれて、囲まれて、囲まれて、邪魔だ!!』と言ったようです。
私は輪廻転生を信じているので、将門公はもう成仏なさって、ひょっとしたら別の人間に生まれ変わっているかも・・・と思うのですが、怒りや悲しみが強い人はその場に縛られて幽霊になられるようで、将門公・・・、どうなのでしょう??? 成仏して、新しい人生のサイクルにいると良いのですが・・・。
将門公の祟りがあるのかどうか、首がどうなったのかわかりませんが、平将門の力(神田明神)を活用して江戸を守ろうとしたのが天海。
江戸幕府を開いた【徳川家康】は、【天海僧正】からのアドバイスを受け、陰陽五行説にある「四神相応」の考えを元にして、江戸城を中心に結界を張りました。
神田明神まで、徒歩30分なので、あわせてお参りしてはいかがでしょうか。(神田明神創建の地は将門の首塚)
争いごとの無い平和な世界になりますように・・・(祈)
二つ前の記事で【日枝神社 皇居(江戸城)の裏鬼門(南西)を守護している】の記事を書いたので、次は皇居の鬼門(北東)を守っている神田明神を取り上げたいと思います。 私達が訪れたのは2007年の夏でした。 参拝記 御茶ノ水[…]
(この参拝記は2019年です)
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交通アクセス
大手町駅から徒歩3分。東京駅からも近いです。
車で行く場合、駐車場が無いので、付近の有料駐車場を利用。