【皇居外苑】 楠木正成像がある。外国人ツアー客のバスがたくさん!

前回の続きで東京都千代田区にある「皇居(こうきょ)」を取り上げます。

皇居の一般参観終了後、外苑(がいえん)を散策しました。

散策記

旧江戸城をざっくり4つに分けました。

  • 東御苑・・・簡単な手荷物検査のみで入れる。
  • 吹上御所・・・天皇陛下の御所や宮殿がある所。
  • 参観・・・吹上御所の南側で、参観可能。申し込み必要。
  • 皇居外苑・・・公園と同じ扱い。いつでもだれでも入れます。

 

今回は、緑で囲ったエリア「皇居外苑」について書きます。

 

外苑の最寄駅は、大手町駅、二重橋前駅、東京駅です。

二つ高層ビルが並んでいますが、間がぽっかり抜けていますね。

下にご注目、東京駅と、行幸通りがあります。

ここはすごく風通しの良いところで、帽子をかぶっている方は飛ばされないようにお気を付けください。

 

東京湾の風が東京駅上を通過し、皇居の豊かな樹々やお堀で空気が冷やされ(クールアイランド)、都心部のヒートアイランド現象を和らげているのだそうです。

 

では、桔梗門から、良い記念写真が撮れる「正門石橋」へ行きましょう。

 

ルートはこんな感じ。お堀沿いにテクテク。

 

 

 

お堀沿いに歩くと、坂下門が見えます。

ここが宮内庁や長和殿に一番近い門で、皇居に出入りする際に最も頻繁に利用されるそうです。

近くには「坂下門の変」の碑があるそうです。

江戸城の門で起こった大事件というと、「桜田門外の変」が有名で、江戸幕府の老中井伊直弼(ヒコニャンで有名な彦根城の主)が水戸浪士により惨殺されたことが有名ですが、こちらの坂下門では水戸浪士による老中安藤信正襲撃が行われたそうです。

井伊直弼惨殺事件が起こったため幕府は用心して、お付きの人を増やしており、老中の安藤は負傷だけで済んだようです。水戸浪士は全てその場で殺されたそうです。

→→桜田門の記事はこちら・・・一般開放されていて、誰でも通れます。

 

皇居前の大芝生広場に点在しているクロマツは、約2,000本あるそうです。

この松の向こうは「内堀通り」という大きな車道になっています。

 

 

皇居外苑、皇居周辺は、皇居ランナーで大賑わい。

皇居(旧江戸城)はいくつものお堀に囲まれており、堀沿いの道の歩道には信号がないので、ノンストップでグルグル走れるため人気だそうです。

ただ、皇居周辺の道は大通りで車の交通量がかなり多いため、お堀沿いの歩道は排気ガスで息苦しいです。

走ることで呼吸量が増えるので、あれは健康に良いのかなあ・・・?とちょっと疑問に思います。

 

 

坂下門前から正門石橋へは砂利道ですが、中央の一本だけ固められていて歩きやすいです。車が通れるようにしてあるのかな?

 

 

正門石橋に到着!

二つのアーチが美しいです。

奥に見える白い建物は、皇居参観でも紹介した「伏見櫓」です。

正門石橋はこのように美しいので、良い記念写真スポットになっています。

 

 

正門石橋へ近づく。

柵もオシャレですね!

 

 

 

正門石橋と正門。

正月と天皇誕生日の一般参賀者は、ここから入ります。

 

 

一般参観で歩いた正門鉄橋が良く見えました。

一般的に、正門石橋と、正門鉄橋を合わせて「二重橋」と呼ぶそうです。

 

 

 

正門石橋と正門鉄橋を見たら、青ルートをたどって楠木正成(くすのきまさしげ)像を見に行きました。

 

 

内堀通りには説明書きがひっそりと立っていました。

昭和24年から、皇居外苑は一般開放されているそうです。

江戸城は300年間将軍の居城であったことから、特別史跡に指定されているそうです。

 

 

内堀通りを渡って、楠木正成像と楠木レストハウスを目指す。

 

 

やたらに道が広いなぁと思っていたら、楠木レストハウス前はバスの駐車場となっていました。

外国人観光客のツアーかな?

 

 

 

こちら、楠木正成(くすのきまさしげ)像。

 

 

顔側を移すと逆光になってしまいました。像の高さは4mで、明治33年に住友家から寄贈されました。

 

楠木正成は→楠木正成 ウィキペディアでご覧ください。
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将(今から700年ほど前)で、後醍醐天皇につき、鎌倉幕府(源頼朝が開いた、日本初の武家政権)倒幕にかかわった方です。

天皇家は歴史が長い上に、「万世一系の血脈」の維持のため、非常に複雑化しているのですが、この辺りの歴史(南北朝時代)はかなりややこしいので、興味のある方はお調べください。

→→【南朝黒木御所跡と供養塔】の記事はこちら・・・奈良県天川村。南北朝について簡単に書きました。

 

 

 

南北朝問題は、明治維新にまで関わっていくようです。

南北朝 ウィキペディア

京都の北朝と吉野の南朝の二つの朝廷が並存するという、王権の完全な分裂状態に陥った。
両朝はそれぞれの正統性を主張して激突し、幾たびかの大規模な戦が起こった。
また日本の各地でも守護や国人たちがそれぞれの利害関係から北朝あるいは南朝に与して戦乱に明け暮れた。

 

 

 

 

 

 

次は、楠木レストハウスへ。

皇居のお堀に住まう生き物の展示があります。

皇居のお堀も、他の河川、湖、池、沼と同じように外来種問題があるのだそうです。

 

 

レストハウスにはパネル展示もいくつかありました。

西郷軍が熊本城を砲撃している様子。後ろでは阿蘇山の噴煙(絵の右端)。

→→【阿蘇山の記事はこちら】・・・2015年に噴火しました。

 

 

 

大政奉還。中央奥にいるのが、最後の徳川将軍である徳川慶喜。

長く続いた徳川幕府(260年余り!)最後の将軍「徳川慶喜」について知りたい方は、渋沢栄一が「明治維新時における慶喜の真意を正しく後世に伝えたい」という熱いで25年もかけて完成させた徳川慶喜公伝をお読みください。全四巻です。

 

 

薩摩藩邸で、勝海舟と西郷隆盛が会見する様子「江戸開城談判」。

 

 

王政復古。御簾の中に明治天皇。

 

 

五箇条の御誓文。

 

 

廃藩置県。

御座所の中におられるのは天皇。

 

 

天皇が江戸城に到着した様子。

 

 

憲法発布式。

スーツとドレス、・・・ずいぶん文化が変わりましたね。

 

 

楠木レストハウスではお土産を買ったり、ご飯も食べれますので、寄ってみてはいかがでしょうか。

 

(この散策記は2018年です)

 

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