【川村カ子トアイヌ記念館】 日本最古のアイヌ博物館です。大自然と共に生きるアイヌの教え

前回からの続きで、五泊六日北海道旅行 五日目の行程の紹介です。

朝から【神居古潭(かむいこたん)】【雪の美術館】とまわり、午後は同じく旭川市内にある「川村カ子ト(かわむら かねと)アイヌ記念館」へ行きました。

→→2018年5泊6日北海道旅行記の行程はこちら・・・5泊6日で36か所を巡りました。

旅行記

 

北海道はもともと、先住民族アイヌが住まう土地でしたので、「アイヌについて勉強をしたい!」と以前から思っていました。

 

白老町のポロトコタン(←2020年に国立のアイヌ博物館としてオープンします)、阿寒湖近くのアイヌコタン、札幌のピリカコタン、二風谷のアイヌ文化博物館など、北海道でアイヌについて学べる大きな施設はいくつかあるのですが、旭川には個人経営のアイヌ資料館があるのです。それが、「川村カ子トアイヌ記念館(かわむら かねと アイヌきねんかん)」で、日本で一番古いアイヌ資料館でもあります。

 

川村カ子トアイヌ記念館は、旭川駅から車で15分離れた所にあり、入館料は大人500円。駐車場は無料です。

もう一つ、旭川駅(赤い四角で囲ったところ)からすぐ近くに「旭川市博物館入館料は大人300円)もありますので、どちらに行くかはお好みで。

 

 

川村カ子トアイヌ記念館の外観は、アイヌの彫刻家である故・砂沢ビッキさんによるもの。

入館料は大人500円、中高生400円、小学生300円、幼児は無料です。

営業時間は9:00〜17:00。5月〜11月までは無休、12月〜3月はお問合せ下さいとのこと。

 

記念館の名前にもなっている、川村カ子ト(カワムラ カネト)さん。

川村カ子トさんは、旭川キンクシベツで、上川アイヌの長・7代目のイタキシロマの長男として生まれました。

小学校卒業後は、鉄道測量人夫として働き、後に旭川第七師団(陸軍)に入隊して2年後に除隊。その後は、難しすぎて引き受け手のなかった天竜峡~三河川合間(飯田線)の測量を、アイヌ測量隊を率い、現場監督も務めて、難工事を完成させました。(この区間の土木工事は大変困難で、朝鮮人労働者がたくさん亡くなったそうです)

 

 

難しすぎて引き受け手が無かった、天竜峡~三河川合間。

岩盤はもろくて、断崖絶壁であったため、測量と工事は大変困難でしたが、やり遂げられました。

飯田線には一度も乗ったことが無いので、また訪れてみたいと思います。

 

 

川村カ子トさんについて書かれた本が出ています。

 

カ子トさんが使用していた機材と、写真。

アイヌに対する差別もあり、大変な時代であったようです。

 

 

カネトさんは、生前、このようにおっしゃったそうです。

「人は金のために仕事をするのではない。人のために仕事をするのだ」

 

・・・胸を打つ言葉ですね。

命を懸けて、人のために仕事をなさった方なので、説得力があります。

 

 

明治以前、この資料館の辺りはアイヌしか住んでいませんでした。

やがて開拓という名で和人(アイヌではない日本人)が移住を始め、アイヌは鮭をとること、鹿をとることなどを禁じられ、土地を奪われるなど、差別を受けました。

旭川は土地が急騰したため、先住民族のアイヌは移住させられそうになりましたが、アイヌ自身と協力してくれる和人の努力の結果、ここに踏みとどまることができたのだそうです。

日本の近代化に伴い失われていくアイヌの文化と心を、いくらかでも残すため、旭川に資料館が開設されました。

はじめに資料館が開設されたのは、1916年(大正5年)で、現在の館長である兼一さんの祖父・イタキシロマさんが「アイヌ文化博物館」を建てました。(日本初・日本最古のアイヌ記念館)

イタキシロマさんの息子であるカ子トさんは、三河川合~天竜峡間の難工事の後、博物館を引き継いだものの、昭和39年に火災により焼失。しかし、私財を投じて建て直しました。

現在の記念館はリニューアルをした三代目で、アイヌの文化だけではなく、川村カ子トさんに関する展示が増えたようです。

 

 

右の列の上から二番目が、川村イタキシロマさん。カ子トさんの父であり、現在の館長・川村兼一さんの祖父。日本で初めてアイヌの博物館を建てた方でもあります。

 

 

館内はそんなに広くないので、1時間もあれば十分見られます。

 

 

墨絵師の杉吉貢(すぎよし みつぐ)さんの作品「龍の生まれた場所」。

 

 

絵の立っている女性はアイヌの楽器「ムックリ」を演奏しているところです。事前に予約すれば、館内でムックリ演奏体験ができます。

 

 

壁に掛けられた棒は「刑罰棒(ストゥ)」。

他人の倉や家に侵入した時は、こん棒で強く打たれたそうです。

家宅侵入の罪に問われた時は、小鼻を切り落とされるか、耳を切り落とされたようで、罪人は生涯恥辱の標識を付けられ、再犯の場合は、諸道具と共に村を追放されたのだそうです。

 

 

アイヌと言えば、髭のような入れ墨。

初めての入れ墨は12~13歳の頃で、上唇のみ。

二回目は15~16歳の頃で、下唇に入れ墨。

三回目は二十歳の頃で、「お嫁に行く準備ができた」ことを意味するもので、入れ墨も大きく、服装もいっそう華やかになるのだそうです。

 

 

美しいタマサイ(首飾り)。

 

 

美しい模様の着物。

 

頭にマタンプシ(鉢巻き)、耳にニンカリ(耳飾り)、首飾り(タマサイ)をつけ、入れ墨もして、アイヌはオシャレなんですね。

 

 

刀の鞘も、弓矢も、美しい。

 

 

 

子グマのはく製がありました。

ヒグマはアイヌにとって「キムンカムイ(山の神)」とも呼ばれるほど重要で、呼び名は80以上にものぼるそうです。

 

ヒグマは毛皮と肉をアイヌにもたらすため、とても重要な生き物でした。

熊狩りは、安全な冬眠中に行われ、親熊はその場で魂を神の世界へ返し、巣穴に子熊がいた場合は家に連れ帰って、「山の神からの預かりもの」として二年間ほど親代わりになって育てました。

子熊が小さいうちは家の中で自分の母乳を与えて育て、大きくなると外に檻を作って育てたのだそうです。

そして、子熊が2歳になると、マイナス30度にもなる冬の日に、母熊の待つ神の国へその魂を送り返す儀式を行いました。

これは「クマの霊送り(イオマンテ)」と言い、アイヌにとって最も重要な祭祀なのだそうです。

たくさんの土産を準備し、祈り、歌い、踊り、ユーカラなど神を喜ばせるために、三日三晩に渡って行われるのだそうです。

 

写真の子熊を抱えた女性は、子熊と重ねた時を思い、イオマンテで泣いたでしょうか。それとも子熊と母熊との神の国での再会を思って、喜んだのでしょうか。

 

 

大自然の恵みと命の重さを知り、それらを糧にして私達は生かせてもらっていることを知る・・。

 

全てがこの上なくありがたく、決して粗末にできないですね。

私達も、これらのことを心に深く刻まなくてはなりません・・・。

 

 

以前、【北海道地震】 アイヌ語地名を知り、防災意識を高めよう! 災害に関係する地名は各地にあるの記事にも書きましたが、北海道の地名の8割はアイヌ語から来ています。(札幌、小樽、知床、室蘭もアイヌ語から来ている)

他に私達になじみのあるアイヌ語として、エトピリカの他、トナカイ、ラッコ、シシャモ、ルイベ、マタギ、ハスカップ、コンブも、アイヌ語です。

エトピリカは潜水が上手な鳥で、千葉県の【鴨川シーワールド】で見ました。北海道に14羽しかいないのですね・・・。

 

 

 

館内を一通り見て、もう一つの建物へ。

ウラッチセ ソイケタ。クマザサを用いたアイヌ式住居「チセ」です。

 

クマザサを豊富に用いた住居(チセ)は、北海道でも珍しいのだそうです。

 

チセは無料で中に入れます。

 

 

炉は火の神の寝床。館長によって毎日火が焚かれているそうです。

 

 

 

最後にお土産を買いました。

魅力的なアクセサリーがたくさんあったのですが、予算の関係であきらめ(五泊六日旅行ですからっ!)、雑貨を買いました。

娘は親子ぐま(首振りキーホルダー)、息子はコロポックル(アイヌの伝承に出てくる小人)を選び、旅の良い記念品になりました。

 

 

 

最後に館内に掲載されていた「ピリカウレシカ」を紹介します。

「ピリカウレシカ」は「何も欲しいとも思わない、何も食べたいものがない」くらい充たされた暮らしのことです。

アイヌの暮らしは、現代人から見たら決して物質的に豊かではないけれど、満たされていたのです。山の産物は必要以上に採りません。それは、山の生き物たちのため、来年以降の暮らしを守るため、未来を生きる子孫のためなのです。先人たちの精神性は、今を生きる私達よりも先を行くものであったかもしれません。未来を思うとき、過去から学ぶべきことがたくさんあるはずです。

アイヌ語の「暮らし」は、ウ=互い  レシカ=育てる から成り立っています。

 

和人の入植により土地や資源を奪われ、和人社会への同化政策のためにアイヌ語や狩猟などを禁止されたアイヌ。

後に権利回復が叫ばれ、1998(平成9)年に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」が成立し、2020年には白老町に国立のアイヌ文化博物館ができるそうです。

手塚治虫さんの漫画「シュマリ」、野田サトルさんの漫画「ゴールデンカムイ」で、アイヌについて若い世代が知るようになっているので、興味を持たれた方は訪れてみてはどうでしょうか。

 

事前に予約が必要ですが、アイヌ文化の体験プログラムもいくつかあります。

 

 


川村カ子トアイヌ記念館の館長さんの密着取材。先祖達の遺骨が掘り起こされ、元の場所に戻されないのだそうです・・・。

現在の館長さんは、アイヌ名を「川村 シンリツ・エオリパック・アイヌ」とおっしゃり、「先祖を敬う人」という意味です。(2021年2月に69歳で亡くなられました)

 

 


アイヌの歴史、和人との戦い、アイヌへの差別などがわかりやすくまとまった映像がありますので、ぜひご覧ください。

 

 

次は、美瑛(ビエイ)町の「ぜるぶの丘」を紹介します。入場無料の花畑で、川村カ子トアイヌ記念館からは車で40分くらい離れています。

 

 

次の記事はこちら

前回からの続きで、五泊六日北海道旅行 五日目の行程の続きです。 旭川市の観光を終えた後、車で南の美瑛(ビエイ)町へ行き、「ぜるぶの丘・亜斗夢(あとむ)の丘」へ行きました。 →→2018年5泊6日北海道旅行記の行程はこちら・・・5泊6[…]

 

(この旅行記は2018年です)

 

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交通アクセス

旭川駅から、旭川電気軌道バス24番「北門町21丁目行き」に乗り、「アイヌ記念館前」下車。

車で行く場合、教育大学旭川校グラウンドの道路を挟んだ向かい側です。駐車場は無料です。

料金

大人500円、中高生400円、小学生300円、幼児は無料です。

営業時間は9:00〜17:00。5月〜11月までは無休、12月〜3月はお問合せ下さいとのこと。

近くの宿泊施設

JRイン旭川。旭川駅出てすぐ。

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