【義経公園、東神楽神社】 源義経は岩手の平泉で死なず、北海道に逃げた? 北海道に残る義経伝説 

前回の【大雪山旭岳 ②】の続きで、北海道旅行の紹介です。

長い北海道五泊六日旅行の最終目的地である大雪山旭岳(だいせつざんあさひだけ)のハイキングが終わり、旭川(あさひかわ)空港へ向かったのですが、レンタカーの返却時間まで1時間あったので、空港近くの公園で時間つぶしをすることにしました。

なんと、その公園の名前は「義経(よしつね)公園」。

そう、あの源平合戦で有名な、源氏の棟梁・源頼朝(みなもとよりとも)の異母弟の、源義経(みなもとのよしつね。幼名は牛若丸)です。

→→2018年5泊6日北海道旅行記の行程はこちら・・・5泊6日で36か所を巡りました。

旅行記

 

 

義経公園は、旭川空港まで約4kmの所にあります。

私達は、小学生と幼稚園児の子連れ旅行なので、旭川空港で1時間つぶすよりも、公園で時間をつぶしたほうが良いだろうと、義経公園に立ち寄りました。

 

 

けっこう立派な複合遊具。

これなら1時間は遊べるでしょう!

 

 

奇麗な噴水もありました。

 

 

広いグラウンドもあります。

息子と娘は夫に見てもらい、私は一人でふらふらと周りを散歩しました。

 

「義経公園」…、気になる~~!

 

 

源義経について書いた記事がいくつかあるのでご覧ください。

→→鞍馬寺(くらまでら)の記事はこちら・・・京都府。義経が幼少の頃に預けられた寺。鞍馬寺の天狗に武術を教わった義経(幼名は牛若丸)は、異母兄の頼朝に加勢するため、京都を出る。

→→小町通りと、鶴岡八幡宮の記事はこちら・・・神奈川県鎌倉市。鎌倉幕府の中心地だったところ。頼朝と政子、義経と静御前について書きました。

 

簡単に説明すると、頼朝(よりとも)の異母弟の義経(よしつね)は、「治承・寿永の乱(源平合戦ともいう)」の、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦で大活躍し、源氏を勝利に導きます。

しかし、頼朝に「日本一の大天狗」と言われた後白河天皇の策略により、頼朝と義経は対立。

義経は頼朝(異母兄!)から、命を狙われることになりました。

 

義経は武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)と共に逃げ、奥州平泉(現在の岩手県平泉町)の奥州藤原氏を頼るものの、後に藤原氏に攻められてしまいます。

この時、武蔵坊弁慶は義経を守るため、壁のように立ちふさがり、無数の矢を受けて立ったまま死んだと言われています。(弁慶の立ち往生)

→→闘鶏神社・弁慶生誕地の碑の記事はこちら・・・弁慶は和歌山県出身。

 

義経は敵の攻撃から逃れることはできず、平泉の衣川館で妻子と共に自刃(自殺)した、と言われています。(享年31歳の若さだった)

 

・・・が、その一方で、「義経は平泉で死なず、モンゴルに渡ってチンギスハンになった」との伝説もあるのです。

 

岩手の平泉(義経堂があるところ)から、北海道の義経公園まで、どんなルートできたのだろう・・・。

青森県の竜飛岬に義経伝説を伝える寺があるらしいので、現在の北海道新幹線(青函トンネル)が通っている海峡を船で渡ったのかもしれません。

 

 

グーグルマップで「義経公園」で検索すると、北海道に三か所出てきます。

 

中でも有名なのは、平取町の義経神社。義経の御神像が安置されており、御祭神は源義経。

 

・・・義経は、岩手の平泉から逃れて、北海道(蝦夷地)へ渡ったのだろうか????

 

なんの縁も無ければ、名前も残らないのでは・・・。

 

 

 

義経公園をふらふら歩き、すぐ隣の神社へ。

東神楽(ひがしかぐら)神社、一の鳥居。

 

 

階段を上って、二の鳥居。

 

 

本殿。

祭神は、天照大神(アマテラスオオカミ)、大国主大神(オオクニヌシノカミ)、少彦名大神(スクナヒコナノカミ)です。

天照大神は天皇の祖先神。

大国主大神(オオクニヌシノカミ)、少彦名大神(スクナヒコナノカミ)は、国土の開拓をした神様です。

 

 

明治30年、義経台(よしつねだい)に神楽神社を創建し、大正5年に東神楽神社となったようです。

 

神社の歴史が比較的新しいのは、北海道はもともと蝦夷地(えぞち)でアイヌの土地であり、アイヌは神社の習慣が無かったためです。(アイヌは自然神を崇拝し、社を建てない)

 

 

神社が建立された丘、「義経台」の説明。

 

 

義経は奥州から逃れ、アイヌの導きで北海道に渡り、各地で「カムイハンガン」と尊称され、英雄と仰がれた。

義経は東神楽のこの丘に登り、アイヌと酒を交わし、アイヌ達は義経を音読みして「ギケイコウ」と呼んだ。

義経が旅立った後も、数百年間、アイヌ達は義経を慕ってこの丘に登り、酒をのみ、ギケイコウととなえ、拍手して散会する様子を、開拓の古老が聞き伝えて、この丘を義経台と名付けた。

 

 

東神楽神社の本殿横の階段を下りて、義経台を横から見る。

 

 

過去の歴史ミステリーTV番組で放送していた内容。

・北海道の義経神社の紋は、源氏の紋と同じ笹竜胆(ササリンドウ)。
・北海道には弁慶岬、義経の馬岩、判官岬など、義経に関係する名前が110箇所もある(これらはアイヌ民族の集落沿いにある)。
・奥州藤原氏とアイヌ民族は交易でつながりがあったため、義経はアイヌと接触していたかもしれない。奥州藤原氏は義経を討たず、蝦夷地へ逃して、別人の首を鎌倉幕府に差し出した・・・かもしれない。
・留萌(るもい)で義経の消息は消える。留萌は大陸に近い。
・奥州藤原氏は大陸の日本海沿岸部とも関わりがあった。現在のロシアのナホトカには、なぜかしら源氏の家紋であるササリンドウ紋が残る。
・中国に義経の墓がある・・・???

 

 

 

この地に、義経が来た・・・???

 

真偽はわかりませんが、あなたはどのように思われたでしょうか。

 

 

それにしても、北海道からモンゴルは遠い!

 

モンゴルでチンギスハンになったのは、私の中では「?」ですが、北海道に来たというのは、あり得るかもしれない・・・。

 

 

五泊六日の北海道旅行最後の地で「義経伝説」の石碑を見、旭川空港から飛行機に乗って神奈川へ帰ったのでした。

神奈川県の鎌倉市は、鎌倉幕府の中枢部分であった所です。

興味のある方は、鶴岡八幡宮の記事もご覧ください。

→→鶴岡八幡宮の記事はこちら・・・鎌倉八幡宮とも言われる。鎌倉幕府の中枢となる施設が数多くあった。

 

 

これで五泊六日北海道旅行は終わりです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

2018年・秋  北海道 五泊六日旅行の行程・・・レンタカー利用して、五泊六日で36所まわりました。

 

(この旅行記は2018年です)

 

関連記事

→→2018年・秋  北海道 五泊六日旅行の行程・・・この旅行の行程まとめ。

→→【小町通りと、鶴岡八幡宮】 源平の争いにゾッとする。頼朝と政子、義経と静御前(神奈川県 鎌倉市。鎌倉幕府の中心地)

→→【鞍馬寺(くらまでら)】 本殿前の金剛床はパワースポット。鞍馬寺の教え「すべては尊天にてまします」とは?(京都府。義経が幼少時代を過ごしていたと伝えられる寺)

→→【闘鶏神社(世界遺産)と、弁慶生誕地の碑】 武蔵坊弁慶の父とされる湛増(たんぞう)が、神意を確認した神社(和歌山県。弁慶は和歌山県出身だと言われている)

交通アクセス

旭川空港から4kmほど。車での所要時間6分。無料駐車場があります。

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