前回の続きで、奈良県奈良市の「東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)」を紹介します。
参拝記
奈良の大仏、正式名称は「東大寺廬舎那仏座像(とうだいじ るしゃなぶつざぞう)」建立命令を出したのは、聖武天皇(しょうむてんのう)。
- 仏教という一つの宗教でまとめて、強い国にしよう!
- 仏様のお力で国を守っていただこう!
などの理由からでした。
藤原氏の氏神を祀る春日大社の記事にも書きましたが、聖武天皇(しょうむてんのう)の母は藤原宮子で、皇后(正妻)は藤原光明子。
母も妻も、藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘という、ちょっとややこしい方です。(母の妹と結婚!)
・・・といっても、聖武天皇の母である「宮子」は、藤原不比等の実の娘ではなく、養子であり、その正体は和歌山県の海女の娘・髪長姫であるという説もあり、よくわかりません。髪長姫物語を伝えているのは、和歌山県の道成寺(どうじょうじ)です。
聖武天皇の母「宮子」が、和歌山県の海女の娘にしろ、不比等の娘にしろ、天皇の母親の血筋としては身分が低いですね。
他にもいろんな要因があり、聖武天皇は、なかなか皇位が巡ってこなかった人です。
さらに、聖武天皇は男児に恵まれておらず、二人の息子は若くして死んでしまい(次男は藤原仲麻呂に暗殺された?)、娘に皇位を継がせることになりました。
それが、阿倍内親王。後の孝謙天皇(こうけんてんのう)です。
大仏建立の命令を出したのは聖武天皇でしたが、出家して娘に皇位を譲り、大仏の開眼供養会(大仏に魂を入れる会。東アジア最大級の国際イベントだった)時の天皇は、娘の孝謙天皇でした。
国生み神話のイザナギノミコト・イザナミノミコトから始まり、天照大神の子孫である天皇が、出家!
天皇の座を譲って出家した天皇は、後の世にも数人いましたが(法皇と呼ばれた)、聖武天皇はその第一号です。
聖武天皇が深く仏教を信仰していたのが、よくわかりますね。(ちなみに、娘の孝謙天皇(こうけんてんのう)も出家する! しかもお坊さんと恋をする!?)
孝謙天皇は、以前、淡路廃帝・淳仁天皇の記事で書きました。女帝は生涯独身を貫かねばならないので、次の天皇が立てられるまでの中継ぎであると見られ、寂しい思いをした女帝です。(といっても気が強そうですが)
孝謙天皇は、淳仁天皇(じゅんにんてんのう)に皇位を譲った後、病に臥せりました。
しかし、お坊さんの弓削道鏡(ゆげどうきょう)による治療(恋愛していたという説もある)で、復活。
尊敬し、愛している道鏡を最高位の僧に任命し、自身は出家して尼になります。
このころ、淳仁天皇は、孝謙のイトコにあたる藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)に実権を握られており、孝謙は「私が大きい政治をするから、淳仁は小さい政治をやれ」と告げ、道鏡と共に政権を奪い返そうとしました。(仲麻呂が力を握りすぎているのは、確かに良くないよね・・・)
一方、淳仁天皇側はと言いますと、「孝謙は道鏡を寵愛しすぎだ!」と異議を唱えます。(こっちの言い分も、わかる)
これらにより、「淳仁天皇&藤原仲麻呂 vs 孝謙&道鏡」の対立図ができ、危機感を覚えた藤原仲麻呂は孝謙側に軍を派遣しますが、逆に撃退され、仲麻呂は琵琶湖ほとりで斬首されました。
淳仁天皇は、淡路島に流され、若くして死んでしまいました。(淡路島での暗殺説と、奥琵琶湖に逃げた説がある。
従兄弟の仲麻呂を葬り、淳仁天皇を廃した孝謙は「称徳天皇(しょうとくてんのう)」となり、再度天皇に即位。(天皇の座に二度就いた人は、他にも数人いる)
しかし、後に「道鏡(天皇の血筋ではないもの)を天皇に就かせよ」との超ビックリな神託があったとする「宇佐八幡宮神託事件」が起こり、けっこうぐちゃぐちゃになります。
結局、道鏡を天皇にすることはありませんでしたが、最後は病に倒れて亡くなってしまいました。
大仏を建立した聖武天皇の娘「孝謙天皇」は、気に入らない人に変な名前をつけたり、父親が指名した皇子を廃する等したことから、気が強い性格で波乱に満ちた生涯でしたが、父親の教え通りに仏教で国を治めようとした女帝でした。
さて、大仏に戻ります。
像の高さ約14.98メートル。(台座を含め高さ17.44メートル)。大仏像の重さ約250トン、台座の重さが約130トン。
世界最大の木造軸組建築(世界最大の木造ではなく、木造軸組)。
中世、近世に焼損したため大部分が補作されており、当初に制作された部分で現在まで残るのはごく一部です。
大仏の裏はこうなっている!
ちなみにこちら、関東の代表的大仏である鎌倉大仏。背中がパカーーーッと開いていて、初めて見た時はびっくりした。
大仏殿内の北東に、大仏の鼻の穴サイズの穴(37×30cm)があるので、通ってみてください。子供はすんなり通れますが、大人はキツイです。無理をしないでおきましょう。
通り抜けると無病息災の御利益があるとか言われていますが、無理をして体を傷めたのでは、本末転倒ですからね・・・。
虚空蔵菩薩像(重要文化財)。
多聞天像。
広目天像。
二つの記事に分けて、東大寺大仏殿を紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
もともと日本の土着民は、自然崇拝、祖先崇拝をしてきました。
そこに大陸からいろんな渡来人がやってきて、大きな変化がもたらされ、仏教も大きな波の一つでした。
聖武天皇は、国ごとに仏像を造り、七重の塔を建て、仏法の力によって国を救おう、まとめようとしました。
土着の神々を信仰していた人々には、受け入れられないところもあったでしょう。
仏教の開祖は、ゴータマ・シッダールタというインドのシャカ族の皇子ですが、お釈迦様は「仏像を作って拝め」などとは言っておりません。
手塚治虫さんが書いた「火の鳥 4 鳳凰編」では、こんなセリフが出てきます。
「国分寺が全国に立ち、立派な大仏がつくられる。みんな政治のためだ。お上が庶民に重い税を払わせ、だまって従わせるために、仏教を広めてごまかしとるんじゃよ。どうだがっかりしたか? 宗教なんてそういうもんだ」
さらに、火の鳥 太陽編では、太陽の使者である火の鳥がこう言います。
「宗教とか人の信仰はみんな人間が作ったもの。そしてどれも正しいの。悪いのは宗教が権力と結ばれた時だけです。権力に使われた宗教は残忍なものですわ。人間の権力は人間自身の手で無くすもの。だから私は見ているだけ」
手塚さんの宗教解釈は、すごく冷静ですね。
人をまとめる力にもなれば、他を排除する破壊的な力にもなりえる宗教。
町を歩けば神社とお寺が並んで建ち、節目のお祝いは神道式で、結婚はキリスト教式で、葬式は仏式で、とする日本は、世界的にも珍しいでしょうね。
日本は、「大和の国」、大いなる和の国だなぁと思います。
・・・といっても、【熊野本宮大社の旧社地 大斎原(おおゆのはら)】に「人の心が、神と自然から離れつつある」とありましたし、現世利益に偏り気味の現在の信仰は如何程かと思うこともありますが。
奈良の大仏は確かに立派でしたが、「神も仏も、それぞれの内にあるもの」だろうなぁと、思いました。
残りの写真は、あと3枚。
あなたは、奈良の大仏を見て、どのような感想を持つでしょうか?
歴史に触れ、刺激を受けるのは、とても楽しいです。(あ~、また旅行したい! ウズウズウズ)
次は、東大寺二月堂(国宝。1200年もの歴史がある、お水取りで有名)について書きます。
前回からの続きで、奈良県にある「奈良公園」の紹介です。 今日、紹介するのは東大寺二月堂(にがつどう)。金堂(大仏殿)の東(右)側にある御堂です。 参拝記 東大寺の記事は、東大寺大仏殿(奈良の大仏)の記事でご覧くださ[…]
(この旅行記は2006年です)
関連記事
→→【奈良公園③ 東大寺大仏殿(奈良の大仏)その1】・・・前回の記事。
→→【奥琵琶湖 菅浦の湖岸集落散策】 淡路廃帝・淳仁天皇の御陵と、琵琶湖の古代遺跡・・・聖武天皇の娘である孝謙天皇が争った相手「淳仁天皇」は淡路島で死なずに、奥琵琶湖に逃げたとする伝説があり、村民はずっと御陵(墓)を守ってきた。
→→大仏比較! 奈良の大仏(国宝)、鎌倉大仏(国宝)、牛久大仏(ギネス)・・・奈良の大仏は一番大きくはないけれども、一番古い。
→→鎌倉大仏殿「高徳院」の記事はこちら・・・鎌倉の大仏。
交通アクセス
近鉄奈良駅から徒歩20分。
または、JR、近鉄の奈良駅から市内循環バス「大仏殿春日大社前」下車し徒歩5分。
車で行く場合、奈良県営大仏殿前駐車場(有料駐車場)があります。
料金
中学生以上の大人600円。
小学生は300円。
4月から10月は、7:30~17:30まで。
11月から3月は、8:00~17:00まで。
近くの宿泊施設
観光ホテルタマル。東大寺から西へ徒歩8分。