【浦賀観光② 走水神社】 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と弟橘媛(オトタチバナヒメ)を祀る。妃の人身御供で対岸の千葉へ・・・

前回からの続きで、神奈川県横須賀市浦賀(うらが)の観光紹介です。

今日は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と弟橘媛(オトタチバナヒメ)に縁のある「走水(はしりみず)神社」を紹介します。

参拝記

浦賀(うらが)は黒船襲来で有名な地。

浦賀駅でレンタサイクリングを借りて、【浦賀観光① 走水低砲台跡(旗山崎公園)】を見た後、走水(はしりみず)神社へ向かいました。

 

 

走水神社へ車で行く方は、無料駐車場があります。

公共交通機関で行く場合、京浜急行馬堀海岸駅から観音崎行きバスに乗り、「走水神社」下車、徒歩2分です。

 

 

ご祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)、弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)。

神社が創建された時代については、江戸時代に神社の記録や社宝が焼失してしまったので不明。

言い伝えによると、日本武尊が東征の途上に、ここから浦賀水道を渡る際、自分の冠を村人に与え、村人がこの冠を石櫃へ納め、土中に埋めて社を建てたのが始まりなのだそう。

 

 

休憩所。

 

 

社務所は午前9時~午後3時までです。

 

 

本殿へお参り。

ご祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。

 

 

上の像は静岡県の草薙神社にあったものですが(また後日、参拝記を書きます)、ヤマトタケルは古代日本の英雄です。

 


代々、天皇(天皇家は世界最古・最長の皇帝)が継いできた「三種の神器」は、

ですが、ヤマトタケルはこのうちの、クサナギノツルギを携え、東国を平定しました。

 

 

愛知県の【熱田神宮(あつたじんぐう)】で買った漫画本から、ヤマトタケルについて簡単に説明。

後に日本武尊(やまとたけるのみこと)になる「小碓命(おうすのみこと)」は、播磨のイナビの大郎女と、第十二代景行(けいこう)天皇との間に生まれた子供で、同父同母の兄弟は五人。さらに景行(けいこう)天皇は側室との間にたくさん子供をもうけたので、小碓命の兄弟姉妹は80人もいた
このうち、皇太子の名をいただけたのは、小碓命を含めて三人だけだった。ある日、小碓命(おうすのみこと)の兄である大碓命(おおうすのみこと)が、父親が欲しがった美しい姉妹を横取りし、ニセの姉妹を代わりに献上。
怒った景行天皇は小碓命に「大碓命の館に行き、ねんごろにねぎ諭してまいれ!」と告げたところ、15歳だった小碓命は、兄をひねり倒して痛めつけ、菰(こも)に包んで投げ捨てて殺害
この行いに対して父親の景行天皇は恐れ、九州の「熊曾(くまそ)」一族討伐を理由に、小碓命を纏向(奈良)から追放。これは兄を殺した処分であり、一族への示しでもあった。10名ほどの兵と共に九州へ旅立つ小碓命は、伊勢にいる叔母「ヤマトヒメ」のもとへ行き、女物の衣装をもらい受け、徒歩で二カ月かけて九州の熊曾へ。
熊曾建(くまそたける)兄弟の館の改築祝いに、小碓命は女装して単身で潜入し、熊曾健兄弟を刺殺。この時、「建(たける)」の名前をもらい、これより「倭建命(やまとたけるのみこと)」と名乗る。 

熊曾建兄弟征伐を成し遂げた小碓命改めヤマトタケルノミコト一行は、帰路で出雲へ寄る。
出雲建(いずもたける)も征伐すれば、父親に喜んでもらえると思ったヤマトタケルノミコトは、「出雲建に憧れて、お側に使えたくてやってきた」と取り入り、親しくなる。
ある日、出雲建に「私の太刀と交換し、少し相手してもらえないか」ともちかけた。実は、ヤマトタケルの太刀は木刀で作った偽物で、出雲建は刀を抜くことが出来ず、ヤマトタケルに討たれてしまった

 

このようにして、九州の熊曾建兄弟と、出雲の出雲建を討ったヤマトタケルは、纏向(奈良)へ帰ることに。
その道中、大阪の羽曳野で弟橘媛(オトタチバナヒメ)という女性に出会い、結婚。

 

討伐を果たし、父親に許してもらえると思ったヤマトタケルであったが、「三日休んで、東方十二か国の荒ぶる神々や服従しない者たちを平定せよ」と、新たな任務を命じられる。
九州の熊曾征伐は兄殺しの罪を償うための試練であったが、東国への遠征は正式な将軍としての使命であった。(この使命に、漫画のヤマトタケルは絶望する・・・)

 

ヤマトタケルは爺に「羽曳野のオトタチバナヒメを訪ねて、旅先にいる私のもとに連れて来てくれ」と命じ、相模の国(神奈川県)で落ち合うことに。
纏向(奈良)を出発したヤマトタケル一行は、伊勢にいる叔母のヤマトヒメに会いに行き、スサノオノミコトが天照大御神に献上した「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」と、伊勢の「火打石」を授かった。

 

次に訪れた尾張(愛知県)ではミヤスヒメを妻にする約束をし、旅の道中で大和朝廷に服従しない者たちを次々に征伐。
相模の国(神奈川県)でオトタチバナヒメと合流したヤマトタケルは、相模の国の国造りから火責めにあい、「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」で炎のついた草を薙ぎ払い、伊勢の「火打石」で向かい火を焚いて国造りを征伐。この地は「焼津(やいづ)」と呼ばれるようになり、「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」は「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」と命名

 

一行は上総(千葉県)に早く到着するため、走水(神奈川県横須賀市)から船で渡ることにしました。
しかし海神が暴れ、「海神の怒りを鎮めるには人身御供が必要」とのことで、オトタチバナヒメが犠牲になることに。
古事記によると、菅、皮、絹の敷物を波の上に敷いて、その上に飛び降りたと記されているそう。
オトタチバナヒメの犠牲で、無事、上総(千葉県)に渡ったヤマトタケル。墓に、流れ着いたオトタチバナヒメの櫛を納め、茨城の筑波山方面、神奈川の足柄方面へと進み、次々に服従しない民を打ち破った。

 

帰りに約束通り、尾張(愛知県)のミヤスヒメの元に寄り、結婚。
草薙神剣をミヤスヒメに預け、滋賀県の伊吹山の荒ぶる神を退治しに出かけた。
伊吹山では雹に降られ、気絶するほどの痛手を負い、下山。このころから具合が悪くなりだし、三重県亀山市に来た時には一歩も動けなくなり、亡くなりました。
御陵(お墓)は現在の三重県亀山市に建てられましたが、魂は大きな白い鳥に変身して飛び立ち、大阪羽曳野市に降り立ちました。妃や御子たちはそこに御陵を作って白鳥の御陵と名付け、ヤマトタケルノミコトの御霊を鎮めたそうです。
ヤマトタケルノミコトの草薙神剣は、ミヤスヒメの手により熱田神宮に祀られ、今日に至るそうです。

 

 

 

走水(上のマップの浦賀あたり)は、東京湾で最も狭くなるエリアです。

 

 

こんなふうに、海の向こうに房総半島がしっかりと見える。確かに陸地を行くよりかは、船で対岸へ渡った方が早そうですね・・・。

 

 

走水神社にあった弟橘媛(オトタチバナヒメ)の石碑。

 

 

弟橘媛(オトタチバナヒメ)が海に身を投げた後、走水に櫛が流れ着き、村人は櫛を納めた「橘神社」を旗山崎に建てましたが、明治時代に軍用地になってしまったので、走水神社(ご祭神は日本武尊)に、妃のオトタチバナヒメが合祀されたのだそう。

 

 

 

兄を殺め、父親から怖れられ、あちこち行かされたヤマトタケル。オトタチバナヒメの目に、ヤマトタケルはどのような人物として映っていたのでしょうか。勇猛果敢な少年に見えたのか、それとも親の愛情を受けられない寂しげな少年に見えたのか・・・。

 

 

 

 

境内で湧き水をくむことができます。

 

 

御砂倉。お砂は、厄除けにご利益があるそうです。

 

 

厄除けの御砂と、お水。

 

 

叶いの鐘がありました。

 

 

ご神木。

 

 

稲荷社。

 

 

明治に奉納された、ロシアの機械水雷(水中に設置され、艦船が接近または接触したとき、自動または遠隔操作により爆発する兵器)。

ここから7km離れた所にある三笠公園には、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃破した戦艦「三笠(みかさ)」があります。(撃破したのは明治38年)

 

 

旧別宮。弟橘媛命に殉じた侍女を祀るそうです。

 

水神社にはカッパ。河童大明神。

 

カッパ! 走水にはカッパの伝説があるそうです。

 

三社(須賀神社・神明社・諏訪神社)。

 

 

以上で、走水神社の参拝は終わりです。

この後、レンタサイクリングをこいで、10年ぶりに観音崎灯台へ向かいました。

次の記事はこちら

前回の続きで、神奈川県三浦半島のレジャー記です。 今日紹介するのは、観音崎灯台。 2012年に訪れた際は、三浦半島1デイきっぷを利用してバスで訪れ、2022年に訪れた際は浦賀駅からレンタサイクリングで訪れました。 レジャー記 […]

 

 

(この参拝記は2022年のものです)

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交通アクセス

走水神社へ車で行く方は、無料駐車場があります。

公共交通機関で行く場合、京浜急行馬堀海岸駅から観音崎行きバスに乗り、「走水神社」下車、徒歩2分です。

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