先日の北海道地震の影響で、まだまだ大混乱していると思いますが、ようやく一部で電気が復旧し、新千歳空港や北海道新幹線が動き出したようです。
行方不明者はまだ多数おり、厚真町吉野地区の土砂崩れはすさまじく、捜索活動に時間がかかりそうなのが心配です・・・。
赤丸が土砂崩れに襲われた厚真町吉野地区。
グーグルマップで厚真町を検索すると、「松浦武四郎記念碑」が目に入りました。
松浦武四郎さん。
以前、NHKの歴史ヒストリアで、見ました。
幕末から明治にかけて活躍した方で、三重県松阪市出身。小さなころから、家の前をぞろぞろ歩くお伊勢参りの列が気になって仕方が無く、ある日ふらりとそのまま旅に出ちゃったとか、放送していたような気がします。
家族に連れ戻されたり、出家したりしましたが、「旅がしたい!」のウズウズを抑えることができず、「蝦夷地にロシアの人々が来て物を奪ったりしている」との話を聞き、「よし! じゃあ行ってみてくるわ!」と蝦夷地(北海道)へ。
アイヌの方々にガイドを頼んで(言葉が通じないから苦労したと思う)、共に行動し、蝦夷地(北海道)の自然と、アイヌの文化(自然の多くに神が宿る等)を学びます。
そして、知識と経験が明治政府に認められて「開拓使」の役人に抜てきされ、蝦夷地に名前を付けることになりました。
武四郎は、蝦夷地を「北加伊道(ほっかいどう)」と名付けました。これが「北海道」の始まりです。
北加伊道(ほっかいどう)・・・神々から与えられた地を「カイ」と呼ぶ。カイはアイヌの祖国、アイヌの大地のこと。
北海道には、「これ、なんて読むんだろ?」と思うような地名がたくさんありますが、それはアイヌの呼び名に漢字をあてたものです。
北海道の市町村名のうち、約8割がアイヌ語に由来しているというから、すごいですね。
観光地の小樽(おたる)もアイヌ語で、「オタ・オル・ナイ」で「砂浜の中の川」。札幌は、市内を流れる川「豊平川」につけられた「サリ・ポロ・ペツ」がはじまりで「葦の茂った原がある大きな川」の意味です。
話を武四郎に戻しますが、北海道で活躍して終わるかと思いきや、そうではありません。
いくら働きかけても、松前藩のアイヌに対する過酷な労働の強制などが改善されず、商人達の言いなりになってしまう「開拓使」という仕事に耐えられなくなり、命を狙われたこともあり、辞表を提出して北海道を去りました。
晩年、武四郎さんは旅した各地から部材を集めて「一畳敷」という書斎を造りましたが、北海道のものは一切使われませんでした。
アイヌ達に対する申し訳なさで、北海道のものを使う気持ちにならなかったのでは・・・と、推測されているようです。
明治以降、アイヌは祭祀をすることや、アイヌ語の使用禁止など、ツライ時期に入りますが、1980年に先住民族の権利回復が叫ばれるようになり、武四郎が遺した詳細な資料がアイヌ文化の復興に活かされたそうです。
私がアイヌに興味を持ったのは、手塚治虫さんの漫画「シュマリ」を読んだからでした。
北海道の開拓史、アイヌの文化も書かれてあり、面白いです。土方歳三が生きて北海道にいた!とする設定も面白い。
今は「シュマリ」よりも、ヤングジャンプで連載中の「ゴールデンカムイ」で、アイヌを知っているという方も多いのではないでしょうか。第22回手塚治虫文化賞・マンガ大賞を受賞した作品です。
アイヌ美人と小熊。五泊六日の北海道旅行で旭川市の【川村カ子トアイヌ記念館】で撮った写真。
説明が長くなりましたが、「北海道の先住民はアイヌで、北海道の地名のほとんどは、アイヌ語から来ている」という話に戻りまして、読んでいただきたい資料があります。
わりと長い資料なので、一部、抜粋します。
アイヌの方々は、長年土地の自然と密接な生活を営んでおり、文字を持たないがゆえに、地名にその土地に関する情報を共有させ、子孫に伝えるということがなされてきたと考えられる。そのような地名の意義の中には子孫を自然災害から守るということもあったと考えている。
従って、地域毎の防災計画やハザードマップ作成に際しては、地元の図書館や郷土資料館等に保管されている郷土資料等から、今一度、自分の住んでいる土地の地名の由来を調べ、その中にどのような情報が込められていたのかを確認しておくことが望まれる。
そして地名から推察される過去の災害現象に対しての警戒避難を心がけることが、地域防災上、住民が自らの命を守るうえで、必要なことであると考えている。
例えば、「ピ、サツ」は、「砂礫の流出」を意味し、千歳市の幌美内はアイヌ語で「ポロ・ピ・ナイ」となり、「大きな・石・沢」を指すそうです。
「トイ、ペルケ」は、がけ崩れ・山腹崩壊を意味し、札幌市の豊平はアイヌ語で「トイ・ピラ」となり、「崩れた・崖」のこと。
「 ウェン」は悪いという意味で、 人間が利用できない、又は人間に災害、災厄を及ぼすという意味を持つ言葉で、これがついている土地は、なんらかの災害履歴を持つ土地である可能性があります。
(例1)・・・ウィン・ナイ、ウェン・ペッ(悪い・川):雨煙内[雨竜町]、宇遠別川[陸別町]、植別川[羅臼町]ほか。
(例2)・・・ウェン・シリ、ウェン・ピラ(悪い・崖):十勝川河岸[十勝地方]、上平[苫前町][尾平町]、手稲山[札幌市]ほか。
抽出した伝承について防災面から解釈していくと、アイヌの方々は自然災害に対して以下の様な概念を持ち、英雄伝説の様な物語に込めて後世に伝えようとしていたと考えられる。
- 自然災害は、人間以上の力を持つ様々な神や魔神の振る舞いで引き起こされるが、必ずしも故意、悪意ではない場合(不注意など)もある。
- 前兆現象(川が突然干上がる、動物の異常行動等)に注意を払い、神や年長者からの警告に従い避難することで命が助かる。
- 利己的な行動をとる者への戒め
北海道の各地域での防災計画立案において、参考とすべき情報の一つとして、今後は次の 3 つの観点に留意して進めることを提案したい。
- アイヌ文化関連資料も含めて、郷土資料として図書館等に保存されている地域の地名や伝承の掘り起こしを行う
- 地名や伝承から災害に関係すると思われる情報を抽出し、それを手がかりとした科学的な災害履歴調査を行う。(航空写真解析や土砂堆積層の面的調査等)
- 上記の際には、防災関係部局と教育文化関係部局と連携し、たとえば遺跡発掘調査などにおいて合同調査を行う
今回は北海道の地震に関連して、「アイヌ語から土地の情報がわかる。災害履歴がわかる」ということを書きましたが、それは北海道に限ったことではなく、あちこちにあるのだと思います。
平成26年の8月に、土砂被害のあった広島市八木町は、かつては「蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)」と呼ばれていたそうです。この地名がそのまま残っていたら、「ここに住もうかな。でもなんだか地名が意味ありげだな」と警戒したのではないでしょうか。
私達の生活は便利になりましたが、「自然をコントロールすることはできない」ということは、昔も今も変わりません。
過去から学ぶことも、大切なことなのではないでしょうか。
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