東京都港区の増上寺(ぞうじょうじ)と徳川将軍霊廟、東京タワー、東京タワー水族館と、続けて記事を書きましたので、次は、増上寺周辺の芝(しば)公園を取り上げます。
東京タワーの建っている土地も、芝公園も、もともとは増上寺の敷地でした。
戦後の政教分離の考えで、増上寺から独立して都立公園になりました。
散策記
芝(しば)公園はもともと増上寺(ぞうじょうじ)の境内であったため、増上寺・東京タワーを囲むように公園がいくつかあります。
今回取り上げるのは「芝丸山古墳」と、「伊能忠敬(いのうただたか)測地遺功表」なので、一号地あたりになるのかな?
最寄り駅は芝公園駅か、赤羽橋駅です。
赤羽橋駅方面から芝公園に入りました。
散歩をしている方が何人かいらっしゃいました。
左手側に階段があるので上ると、
円山随身稲荷大明神がありました。
増上寺の裏鬼門に位置し、丸山古墳の上にあるそうです。
・・・ん? もう丸山古墳に上っていたのか! とびっくり。
すぐ近くには石碑がありました。
周囲は古墳の雰囲気もなく、普通の丘でした。
階段があったのでさらに上ります。
また開けたところに出ました。
奥へ進みますと、
伊能忠敬(いのう ただたか)測地遺功表があります。
伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸であった関係で東京地学協会がその功績を顕彰して遺功表を建てたものだそうです。
伊能忠敬・・・、学校で習いましたね。
17年(21年ともいわれる)かけて日本全国を歩いて測量し(東北のリアス式海岸は船から測量)、214枚からなる日本地図「大日本沿海輿地全図(通称・伊能図)」を作りました。
北は宗谷岬、南は屋久島、東は国後島、西は五島列島までの海岸線および内陸河川の形状をつぶさにしるし、地図の中にある星マークは天体観測を行った場所を示すそうです。
江戸時代に作られたこの地図は、現在の人工衛星からの地図とほぼ一致するほどの正確さで、ヨーロッパの人達は大変驚いたそうです。
伊能忠敬は小さなころから天文学が好きな子供で、本格的に勉強を始めたのは息子に家督を譲った50歳からでした。
(先生は19歳も年下だった)
完成を待たずに死去してしまいますが、先生の子供が後を引き継ぎ、完成させたそうです。
完成品・・・、さぞかし見たかったでしょうね!
伊能忠敬測地遺功表を背にして撮った写真。
私達家族しかおらず、とても静かでした・・・。
伊能忠敬測地遺功表の後ろ側に階段があったので下りました。
石垣は後世作られたものですが、こうやってみると確かに古墳なのかなぁ・・・と思いますね。
芝丸山古墳は全長110m、後円部径約64m、くびれ部分の幅22mという都内では最大級の前方後円墳だそうです。
築造は5世紀中頃過ぎで(4世紀後半との説もあり)、後円部頂が崩され、江戸時代には広場になっていたそうです。
古墳の麓には縄文時代後期の「丸山貝塚」も発見されているそうです。
【大山阿夫利神社の記事】でも取り上げましたが、日本の古代建築物は、こんなふうに土で覆われ木が生えて、ピラミッドも古墳もわからなくなっているんじゃないのかなぁ・・・と思います。
東京タワーのすぐ近くに、都内最大級の前方後円墳がある・・・。
興味を持った方、訪れてみてはいかがでしょうか。
余談ですが、かつて上野公園には古墳群があったらしい。
次は、北東にある旧台徳院霊廟惣門を取り上げます。
ずっと【東京タワー】の周辺を取り上げてきましたが、今回で最後です。 今日は、旧台徳院霊廟惣門(きゅうたいとくいんれいびょう)を紹介します。 散策記 旧台徳院霊廟惣門(きゅうたいとくいんれいびょう)は、[…]
(このレジャー記は2016年です)
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