今日は、奈良県橿原市の「橿原神宮(かしはらじんぐう)」を紹介します。
参拝記
橿原神宮は、奈良県橿原市にあります。公共交通機関で行く方は、橿原神宮前駅で下車。車で行く方は、有料駐車場がります。
第一鳥居と表参道。白木づくりの明神鳥居です。
南神門。
畝傍山(うねびやま)と、外拝殿。
外拝殿(げはいでん)は、昭和14年に完成した建物で、石階段を上ると正面に内拝殿。さらに奥には幣殿と本殿があります。
外拝殿の広がっていくような大きな屋根は、「争うことなく一つ屋根の下で、肩を寄せ合って暮らせる世界にしたい」という八紘一宇(はっこういちう)の願いが込められているそうです。
ご祭神は、この地で第一代天皇として即位された神武天皇(じんむてんのう)と、その后である媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)。
橿原神宮の創建は、明治23年(1890年)。神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建されたそうです。
(簡単に、イザナギノミコトとイザナミノミコトの国生みから、神武天皇までを説明)
イザナギノミコト、イザナミノミコトが、高天原から天の沼矛をいれて、コオロコオロとかき混ぜ、国生みをした。
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この夫婦神は次々と神様を生んだけれども、火の神を生んだ時に、イザナミノミコトが大やけどをして死んでしまった。妻恋しさにイザナギノミコトは黄泉の国に行くが、妻の変わり果てた姿を見てビックリ仰天。逃げ出す。
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黄泉の国から戻って、汚れをはらうために禊をすると、右目から太陽の神アマテラス、左目から月の神ツクヨミ、鼻から海原の神スサノオが出てきた。
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スサノオがけっこうやんちゃするので、イザナギは「高天原から出ていけ」と命令。スサノオは姉のアマテラスに別れの挨拶をしに行くが「私の国をとりにきた」と誤解されたので、誓約をすることになった。
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この誓約で、かみ砕いた剣と飾りからたくさんの神様が生まれ、天皇の祖先であるアメノオシホミミノミコトが誕生。アメノオシホミミの子供が、ニギハヤヒとニニギ。
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アマテラスに言われて、出雲の大国主が国譲りに応じたので、ニニギは三種の神器を持ち、サルタヒコに導かれて天孫降臨。九州の高千穂に下り、くしふる岳に宮殿を立てた。
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ニニギはコノハナサクヤヒメ(冨士山の神様として有名)に一目ぼれ。父のオオヤマツミから、姉のイワナガヒメとセットで妻にもらい受けるが、「イワナガヒメはみにくいからいらない」と返し、コノハナサクヤヒメだけもらう。イワナガヒメも一緒にもらったら長寿になったのに、追い返したので、ニニギから短命になった。
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ニニギとコノハナサクヤヒメの間に3人の男児が生まれた。長男が海幸彦(うみさちひこ)、末っ子が山幸彦(やまさちひこ)。山幸彦は海幸彦から借りた、霊力のある釣り針を無くしてしまい、大げんか。山幸彦は、竜宮城へ行き、釣り針探しをするが、竜宮城の姫さまである「トヨタマヒメ」と恋に落ち、竜宮城で3年暮らす。
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3年経って竜宮城を離れることにした山幸彦。霊力のある玉と、海幸彦の釣り針をもらい帰る。トヨタマヒメからの助言と宝で、兄の海幸彦をやっつけて、ニニギの末っ子である山幸彦が後継者に決定。
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ニニギの後継者となった山幸彦のもとに、トヨタマヒメが竜宮城から「子供が生まれる!」とやってくる。「子供を産んでいる姿は見るな」と言われたのに、ついつい見てしまった山幸彦。なんと、トヨタマヒメはワニ鮫だった。びっくりして逃げ出す山幸彦。トヨタマヒメは子供だけ残して竜宮城へ帰った。この子供が、彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)・・・長いから「ウガヤフキアエズ」と呼ぶ。
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ウガヤフキアエズは、トヨタマヒメが産み落とした子供の育児を手伝いに来た妹の「タマヨリヒメ」と結婚。
二人の間には、4人の男児が生まれた。(この四人は、山幸彦の孫。ニニギのひ孫にあたる)イツセは四兄弟の長兄で、末っ子が後に神武天皇となるイワレヒコ。
イワレヒコ(後の神武天皇)とイツセ(イワレヒコの兄)は、この世を平和に治めるために東に行こうと、九州の日向の国を出発。
瀬戸内を渡り、ヤマトの国に入ろうという時、土着の豪族ナガスネヒコ軍に阻まれ、兄のイツセノミコトは矢傷を負い、死んでしまいます。
イワレヒコは、「私達は天照大神の子なのに、太陽に向かって戦おうとしたのが敗因だった」と気づき、大きく進路を変えて、紀伊半島を回り込み、南の熊野から入って、八咫烏(やたがらす)の導きにより大和に入り、この地に即位しました。
神武天皇から始まり、令和の天皇陛下は第126代です。
2020年は、皇紀2680年。
日本の皇室は、世界最古・最長の歴史を有しています。
橿原神宮の交通お守り。八咫烏(ヤタガラス)ステッカー。
深田池。
さざれ石。
千代に八千代に
さざれいしの いわおとなりて
苔のむすまで
さざれ石は、もともと「小さな石の意味」で、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊である「石灰質角礫岩」に変化したものです。
「争うことなく一つ屋根の下で暮らしたい。全世界を一つの家のようにしたい」という八紘一宇(はっこういちう)の願いが、形になったようですね。
- 人は皆、争わずに、仲良く暮らす
- 自然を大事にして、自然と共に生きる
この二つは、大切な生き方であると、思います。
参拝を終えて、戻ります。
表参道を戻ります。樫(かし)の並木道が気持ち良いですね。橿原神宮の神紋はカシです。
たくさんの露店が出ていて、賑やかでした。
北東には神武天皇陵があるので、あわせてお参りができます。
2020年は、皇紀2680年。
橿原神宮にお参りをし、「歴史ある神秘の国・日本の始まり」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
天皇弥栄(すめらぎいやさか)!
(この旅行記は、2019年です)
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交通アクセス
橿原神宮前駅で下車、徒歩すぐ。
車で行く場合、有料駐車場があります。
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