今日は、愛知県名古屋市の「熱田神宮(あつたじんぐう)」を紹介します。
参拝記
熱田神宮に参拝したのは2016年1月でした。
熱田神宮は大昔、伊勢湾に突出した岬上にありましたが、周辺の干拓が進んだ現在は、町の中にある大きな神宮と言ったところ。
何気に、海岸線をここまで開発できる人間の力って、すごいと思う・・・。
熱田神宮は神宮前駅で電車を降りて徒歩3分と、交通アクセスが抜群です。
では、お参りへ。
熱田神宮の創建は646年頃。
ご神木の大楠。樹齢は千年と言われており、真言宗の開祖である弘法大師空海のお手植えなのだそうです。
境内の樹に二羽の鶏「名古屋コーチン」。
天照大神が岩戸に隠れて世界が暗闇に覆われてしまった際、鶏をコケコッコー!と鳴かせて岩戸を開けさせたことから、熱田神宮の鶏は「神鶏」として大事にしているそうです。(他にアメノウズメが踊ったりして、岩戸を開けさせるのは大変だった)
本宮。
ご祭神は熱田大神(あつたのおおかみ)。
三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を神体とする天照大神を指しているのだそうです。
三種の神器とは、【伊勢神宮内宮】に祀られている八咫鏡(ヤタノカガミ)と、熱田神宮に祀られている草薙剣(クサナギノツルギ)と、【皇居】に祀らている八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)ですね。
国生み神話のイザナギノミコトが黄泉の国から帰って来た時に禊をしたら、天照大神、ツクヨミノミコト、スサノオノミコトの三貴子がお生まれになりました。
後にスサノオノミコトが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の体内(尾)から見つかったのが、草薙剣です。
スサノオは姉の天照大神に草薙剣を献上し、後にニニギノミコトが天孫降臨する際にアマテラスが他の神器と共に託したのだそうです。
時は流れて景行天皇の時代、伊勢神宮のヤマトヒメノミコトは、東征に向かう甥のヤマトタケルに草薙剣を託しました。
ヤマトタケルの死後、草薙剣は神宮に戻ることなくミヤズヒメ(ヤマトタケルの妻)と尾張氏が尾張国で祀り続け、現在も熱田神宮に祀られているのだそうです。
熱田神宮は、明治26年まで尾張造りの社殿でしたが、三種の神器奉斎の社であることから【伊勢神宮内宮】とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに改造されました。
1月に訪れたので、本宮前は柵で仕切りが出来ており、お賽銭を受ける白い布が引かれていました。
神奈川県からはるばる熱田神宮に参拝したので、記念に御垣内参拝(仕切りの中に入って参拝)をしました。参拝料金は千円で、撤饌(おさがり)がいただけます。
熱田神宮の紋入りのらくがん。(砂糖菓子)
境内には、「神話と歴史でたどる熱田神宮1900年の歴史」というパネル展示がありました。
全部で26枚!
文化殿(宝物館)。
入館料は大人300円で、私が訪れた時は「新春特別展 太陽の力~信仰とみなぎる生命力」という展示でした。
世界で最長の王室である皇室と、脈々と受け継がれてきた「三種の神器」。
日本は神秘的な国ですね。
長い歴史のある、素敵な国に産まれたことに感謝。
【熱田神宮(あつたじんぐう)】で買った漫画本から、ヤマトタケルについて簡単に説明。
このうち、皇太子の名をいただけたのは、小碓命を含めて三人だけだった。
ある日、小碓命(おうすのみこと)の兄である大碓命(おおうすのみこと)が、父親が欲しがった美しい姉妹を横取りし、ニセの姉妹を代わりに献上。
怒った景行天皇は小碓命に「大碓命の館に行き、ねんごろにねぎ諭してまいれ!」と告げたところ、15歳だった小碓命は、兄をひねり倒して痛めつけ、菰(こも)に包んで投げ捨てて殺害!
この行いに対して父親の景行天皇は恐れ、九州の「熊曾(くまそ)」一族討伐を理由に、小碓命を纏向(奈良)から追放。これは兄を殺した処分であり、一族への示しでもあった。10名ほどの兵と共に九州へ旅立つ小碓命は、伊勢にいる叔母「ヤマトヒメ」のもとへ行き、女物の衣装をもらい受け、徒歩で二カ月かけて九州の熊曾へ。
熊曾建(くまそたける)兄弟の館の改築祝いに、小碓命は女装して単身で潜入し、熊曾健兄弟を刺殺。この時、「建(たける)」の名前をもらい、これより「倭建命(やまとたけるのみこと)」と名乗る。熊曾建兄弟征伐を成し遂げた小碓命改めヤマトタケルノミコト一行は、帰路で出雲へ寄る。
出雲建(いずもたける)も征伐すれば、父親に喜んでもらえると思ったヤマトタケルノミコトは、「出雲建に憧れて、お側に使えたくてやってきた」と取り入り、親しくなる。
ある日、出雲建に「私の太刀と交換し、少し相手してもらえないか」ともちかけた。実は、ヤマトタケルの太刀は木刀で作った偽物で、出雲建は刀を抜くことが出来ず、ヤマトタケルに討たれてしまった。
このようにして、九州の熊曾建兄弟と、出雲の出雲建を討ったヤマトタケルは、纏向(奈良)へ帰ることに。
その道中、大阪の羽曳野で弟橘媛(オトタチバナヒメ)という女性に出会い、結婚。
討伐を果たし、父親に許してもらえると思ったヤマトタケルであったが、「三日休んで、東方十二か国の荒ぶる神々や服従しない者たちを平定せよ」と、新たな任務を命じられる。
九州の熊曾征伐は兄殺しの罪を償うための試練であったが、東国への遠征は正式な将軍としての使命であった。(この使命に、漫画のヤマトタケルは絶望する・・・)
ヤマトタケルは爺に「羽曳野のオトタチバナヒメを訪ねて、旅先にいる私のもとに連れて来てくれ」と命じ、相模の国(神奈川県)で落ち合うことに。
纏向(奈良)を出発したヤマトタケル一行は、伊勢にいる叔母のヤマトヒメに会いに行き、スサノオノミコトが天照大御神に献上した「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」と、伊勢の「火打石」を授かった。
次に訪れた尾張(愛知県)ではミヤスヒメを妻にする約束をし、旅の道中で大和朝廷に服従しない者たちを次々に征伐。
相模の国(神奈川県)でオトタチバナヒメと合流したヤマトタケルは、相模の国の国造りから火責めにあい、「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」で炎のついた草を薙ぎ払い、伊勢の「火打石」で向かい火を焚いて国造りを征伐。この地は「焼津(やいづ)」と呼ばれるようになり、「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」は「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」と命名。
一行は上総(千葉県)に早く到着するため、走水(神奈川県横須賀市)から船で渡ることにしました。
しかし海神が暴れ、「海神の怒りを鎮めるには人身御供が必要」とのことで、オトタチバナヒメが犠牲になることに。
古事記によると、菅、皮、絹の敷物を波の上に敷いて、その上に飛び降りたと記されているそう。
オトタチバナヒメの犠牲で、無事、上総(千葉県)に渡ったヤマトタケル。墓に、流れ着いたオトタチバナヒメの櫛を納め、茨城の筑波山方面、神奈川の足柄方面へと進み、次々に服従しない民を打ち破った。
帰りに約束通り、尾張(愛知県)のミヤスヒメの元に寄り、結婚。
草薙神剣をミヤスヒメに預け、滋賀県の伊吹山の荒ぶる神を退治しに出かけた。
伊吹山では雹に降られ、気絶するほどの痛手を負い、下山。このころから具合が悪くなりだし、三重県亀山市に来た時には一歩も動けなくなり、亡くなりました。
御陵(お墓)は現在の三重県亀山市に建てられましたが、魂は大きな白い鳥に変身して飛び立ち、大阪羽曳野市に降り立ちました。妃や御子たちはそこに御陵を作って白鳥の御陵と名付け、ヤマトタケルノミコトの御霊を鎮めたそうです。
ヤマトタケルノミコトの草薙神剣は、ミヤスヒメの手により熱田神宮に祀られ、今日に至るそうです。
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(この旅行記は、2016年です)
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交通アクセス
名鉄神宮前駅で下車、徒歩3分。
車で行く場合、有料駐車場有。