【おのころ島神社】 夫婦神が国生みをした「日本発祥の地」と言われる丘にある

前回の続きで、兵庫県の淡路島旅行記です。

一日目の最後は、イザナギノミコト終焉の地と言われる伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)で、翌日は南あわじ市の「自凝島(おのころしま)神社」へお参りに行きました。

参拝記

「おのころ島神社」は南あわじ市にあり、「おのころ神社」は沼島にあります。

 

私たちが訪れたのは、南あわじ市の「おのころ島神社」で、前回の伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)からは、車で30分ほどの距離です。

 

 

 

巨大な大鳥居。

高さ21.7メートルもあり、平安神宮、厳島神社と共に「日本三大鳥居」と言われているそうです。

 

 

 

大鳥居塗り替えのための奉賛のお願い。

大鳥居は昭和57年に建てられ、建立15年後の平成9年と、建立30年後の平成14年に塗り替えが行われ、次回は建立40年となる平成34年に塗り替えが行われる予定だそうです。

今上陛下の退位がすでに決まり、平成31年の1月1日から新しい年号に入り、平成は30年12月31日で終了となるため、塗り替えは新年号4年・・・つまり2022年です。

 

 

 

階段を上って正殿へ。

ご祭神は伊弉諾命(イザナギノミコト)・伊弉冉命(イザナミノミコト)。菊理媛命(キクリヒメノミコト)も合祀されています。

 

 

 

「日本発祥」とありました。

 

 

 

生田緑地の展示パネルからですが、1億3,000万年前に日本列島はまだ無く、ユーラシア大陸の端っこにくっついていました。当時はイザナギプレートがありましたが、もうありません。

 

日本列島は、プレートの動きに伴う陸地の隆起で、5,600万年前~3,400万年前頃に原型が形成され、2,300万年前~530万年前に日本海が形成されてユーラシア大陸と分離したそうです。

日本列島 ウィキペディア(興味のある方はこちらでご覧ください)

 

 

日本神話における日本の成り立ちは、イザナギノミコトとイザナミノミコトの夫婦神が「タダヨエルクニをおさめて国をつくれ」といわれることから始まります。

二神は天の沼矛(あまのぬぼこ)を賜り、天の浮き橋にたって沼矛をおろしてコロコロとかきまぜて引き上げました。すると、先からしたたり落ちるしずくが固まって、小さな島(オノゴロ島)ができました。

 

二神は天下ってこのオノゴロ島に立つと、大きな柱と八尋殿(やひろどの)を建てました。

 

ここで、イザナギノミコト(男神)が、
「あなたの身体はどのようにできているのですか」
と尋ね、イザナミノミコト(女神)は、
「私の身体には足りないところが1ヶ所あります」
と答えます。

 

イザナギノミコトは、
「私の体には、成長し過ぎたところが1ヶ所ある。そこで、私の成長し過ぎたところで、あなたの成長していないところを刺して塞いで、国土を生みたいと思います。どうでしょうか」
と尋ね、イザナミノミコトが、
「それはよいことですね」
と答えました。

 

イザナギノミコトは左回りに、イザナミノミコトは右回りに天の御柱を巡り、出会った所でイザナミノミコトが「あら素敵な男ですわ」と褒め、次にイザナギノミコトが「おや素敵な女だな」と褒め、二神は交わりました。

しかし生まれてきた子供は三年経っても立てなかったので、夫婦神はこの子供(水蛭子)を葦舟に乗せて流します。水蛭子は兵庫県西宮に流れ着き、そこで育てられて西宮神社のえびす様となりました。(西宮神社はえびす神社の総本社)

 

欠けた子供が生まれたのは、どうやら女性から男性を誘ったからだということがわかり、今度は男性のイザナギノミコトから誘って交わると上手くいき、二神は次々と島々を生み出しました。

 

  1. 淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま):淡路島
  2. 伊予之二名島(いよのふたなのしま):四国
  3. 隠伎之三子島(おきのみつごのしま):隠岐島
  4. 筑紫島(つくしのしま):九州
  5. 伊伎島(いきのしま):壱岐島
  6. 津島(つしま):対馬
  7. 佐度島(さどのしま):佐渡島
  8. 大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま):本州

これらは「大八島国(おおやしまぐに)」と呼ばれ、日本列島の誕生とされています。

 

 

・・・神話は、ロマンチックですね~。

 

 

正殿の前には、「セキレイ石」がありました。

 

 

 

イザナギノミコトとイザナミノミコトは、体の出た所と足りないところを合わせて交わるわけですが、契り方がよくわからなかったようで、鶺鴒(セキレイ)が尾を振って交わっているのを見て真似たそうです。

この鶺鴒石にセキレイが止まり、イザナギとイザナミに、交わり方を教えたのだそうです。(だとするとものすごく古い石ということになりますね)

セキレイのしぐさは、神前結婚式の三々九度に受け継がれているようです。

 

 

 

セキレイ。

私たちは多摩区に住んでいるのですが、しょっちゅうこの鳥を見ます。

玄関のドアを開けたら手すりにセキレイが止まっていて、夫がめっちゃ驚いていましたが、セキレイはあまり逃げません。

簡単に近寄れる鳥と言えばハトですが、セキレイもハトなみに容易く近寄れます。

長い尻尾を上下に振っている様子は、とっても可愛いです。

 

 

 

セキレイからヒントをもらった二神は、次々に神様を生みましたが、火の神を生んだ時にイザナミノミコトは大やけどをして死んでしまいました。

イザナギノミコトは怒って火の神を切り殺し、妻恋しさに黄泉の国へ行き、「帰ってほしい」と頼みますが、イザナミノミコトは「すでに黄泉の国の食べ物を食べていて帰ることが出来ない」と断ります。

それでも帰ってきてほしいと頼むと、イザナミノミコトは「黄泉の国の神様に相談してきますが、どんなことがあっても、私の姿を見てはいけませんよ」と言い、奥のほうへ行ってしまいました。

 

しかし、いくら待っても戻ってこないイザナミノミコト。

イザナギノミコトはクシに火をともして奥のほうへ入っていき、「姿を見ないでくださいね」と言われていたのにもかかわらず、変わり果てたイザナミノミコトの姿を見てしまいました。

腐った体からはウジがわき、頭、胸、腹、手足はそれぞれ八柱の雷神に変化した醜い姿を見られたイザナミは怒り、驚いて逃げるイザナギを追いかけます。(すごい修羅場ですね~・・・)

 

 

黄泉の国の出口まで逃げたイザナギノミコトは、

「二度と黄泉の国の鬼たちが追ってこられない様に、ここをふさいでしまおう・・・」

と、千人の力で引かなくてはならないほどの巨岩で黄泉の国への穴を塞ごうとしました。

するとイザナミノミコトがやってきて、

「あなたが、約束を破られるからいけないのです・・・。これから、あなたの国の人間を一日に千人殺しましょう」

と言いました。

するとイザナギノミコトは、

「それなら、私は一日に千五百の産屋をたて、子供を生ませよう」

と答え、岩で塞いでしまいました。

 

これが、二神のお別れとなりました。

 

 

この黄泉の国を塞いだ巨岩が、三重県の花の窟・花窟神社と言われています。ものすごい巨岩で、日本書紀ではイザナミノミコトのお墓だとも言われているところです。しかし古事記には比婆山に葬ったとあるので、どちらがイザナミノミコトのお墓なのかわかりません。

→→花の窟・花窟神社の記事はこちら(三重県有馬町)

 

 

黄泉の国から逃げたイザナギノミコトは、禊をしました。

左目を洗うと、アマテラスオオミカミが生まれ、右目を洗うと、ツキヨミノミコト(ツクヨミノミコト)が生まれ、鼻を洗うとスサノオノミコトが生まれ、これらの三神は大変尊いので、「三貴子(さんきし)」と呼ばれるそうです。

 

アマテラスオオミカミは高天原を治めて皇室の祖先神となり、ツキヨミノミコトは夜の国をおさめ、スサノオノミコトは海原(地上世界)をおさめることになりました。

 

 

イザナギノミコトはその後、淡路島の伊弉諾(イザナギ)神宮の場所に長く住み、お亡くなりになられたそうです。

→→伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)の記事はこちら・・・元々禁足地で、明治時代に御宮が建てられました。

 

 

 

この南あわじ市の「おのころ島神社」は、古代の御原入江の中にあって、イザナギ・イザナミの国生みの聖地と伝えられる丘にあるそうです。

 

 

 

 

最初の国土となった「おのころ島」は、淡路島の他、絵島(えしま)、沼島、和歌山の友ヶ島や神島とする説もあり、どこなのかはっきりしないそうです。

 

 

小学生の時、日本列島を見て「変わった形してるなぁ」「なんだか淡路島と琵琶湖の所って、パズルみたい」と友達とおしゃべりしましたが、淡路島と琵琶湖はなんだか形がそっくりです。

琵琶湖の裏側(スペインあたり)に隕石が衝突して、その衝撃で琵琶湖の部分が吹っ飛んで穴が開き、飛ばされた部分が海に落ちて淡路島になった・・・とするお話もなんだかウキウキして楽しいのですが、地質的に見ると淡路島は和歌山や四国と繋がっているので、琵琶湖の部分が吹っ飛んで落ちたのではなさそうです。

 

 

以下の二枚は、「野島断層保存館 北淡震災記念公園」より。

沼島だけが地質的にちょっと違うようです。
沼島には、珍しい同心円状の「鞘型褶曲(さやがたしゅうきょく)」というのが見られ、沼島とフランスでしか発見されていないのだそうです。沼島は今回の旅で行かなかったのですが港から見たので、また後で記事にします。(→沼島が見たくて ・・・の記事はこちら

 

 

淡路島の南部は「和泉層群」と言い、和歌山と大阪の境にある和泉山脈や、四国と地質的につながっているようです。このことからも「琵琶湖の部分が吹っ飛んで淡路島になった」とは言いにくいですし、最初に淡路島だけができたとも言いにくいのではないでしょうか・・・。

 

 

 

こちら、国立科学博物館の地質構造展示。まぁ、やっぱり淡路島は、紀伊半島と四国と、地質が繋がってるんだろうなぁと思います。(琵琶湖の部分が吹っ飛んだ説や、おのころ島伝説は好きですが)

 

 

 

おのころ島って、どこだろう。

日本列島の成り立ちって、どうだったんだろう。

不思議だな~~~。

神話は、ロマンがあって、いいなぁ~~。

 

 

と帰ろうとしたとき、

 

ん?

この「継ぎ目」みたいなの、昨日見たなぁ。

あ、「野島断層保存館 北淡震災記念公園」にあったのと、そっくりだわ!

 

 

私は社務所に行って、「鳥居の下の亀裂って、なんですか?」と尋ねました。

すると、「阪神淡路大震災でできたヒビです」とのお返事。

 

 

 

 

ああ、やっぱりか・・・。

 

 

 

阪神淡路大震災で、イザナギ神宮の鳥居が倒壊し、おのころ島神社では鳥居の下にヒビが・・・。

 

 

以前、茨城県の鹿島神宮にお参りに行きましたが、東日本大震災では鹿島神宮の大鳥居が倒壊してしまいました。

 

地震、災害に注意。2018年の諏訪大社の筒粥神事が「世の中 三分五厘」の記事でも書きましたが、「たまたまでしょ」「偶然でしょ」と思われる方もいるかもしれませんが、何らかのご神意があるのでは・・・と、思いました。

 

 

 

歴史がどうであったのか、イザナギ・イザナミ両神はいたのか・・・、といろんな不思議があるわけですが、「目に見えない世界は確かに存在しているのだ」と思いました。

 

 

あなたは、どのように思われたでしょうか・・・?

 

 

次は、福良港防災ステーションについて書きます。

 

次の記事はこちら

間に2つ記事が入りましたが、兵庫県の淡路島旅行記の続きです。 おのころ島神社の次に、私たちは鳴門の渦潮(なるとのうずしお)を見るため、福良(ふくら)港に行きました。 今日紹介するのは、福良港にある津波防災ステーションです。 旅[…]

(この旅行記は2017年です)

 

関連記事

→→伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)の記事はこちら・・・前の記事。国生みをした父神・イザナギノミコト終焉の地。

→→花の窟・花窟神社に生地はこちら・・・国生みをした母神・イザナミノミコトの墓所と言われています。日本神話についても書きました。

 

 

「おのころ島伝承」のある島の記事です。

→→絵島(えしま)の記事はこちら

→→瀬戸内海国立公園「友ヶ島」の記事はこちら・・・通称ラピュタの島。

→→沼島が見たくて ・・・の記事はこちら

交通アクセス

公共交通機関で行く場合、らんらんバスの、東循環線(さんちゃん号)に乗車し、おのころ島神社で下車。
車で行く場合、無料駐車場があります。

近くの宿泊施設

アワジ花ホテル。おのころ島神社から3.5km、車で7分。

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