前回からの続きで、兵庫県淡路島旅行の紹介です。
今日は野島断層保存館のメモリアルハウスを紹介します。
旅行記
前回の野島断層保存館 北淡震災記念公園の記事は【野島断層保存館 北淡震災記念公園】でご覧ください。
今日紹介する「メモリアルハウス」は、野島断層のすぐ横にある家です。
しっかりとした立派な家です。
前回の記事にも載せた写真。メモリアルハウスは、この写真上部に映っており、震度7の地震にも崩れずに残りました。
断層は家屋内ではなく、庭を横切っています。
断層でずれた塀。
煉瓦が120cmもずれたそうです。
地震直後の台所を写真や証言から再現したもの。
食器棚は固定し、ガラス戸はロックした方が良いですね・・・。
食器棚の戸は、こういうものでロックしましょう。我が家は上下に二つ付けています。
食器棚と天井の間に、突っ張る棒。
我が家もつけていますが、天井の固いところに設置しないと、地震の上下の揺さぶりで天井を突き破るそうです。(以前は木造一戸建てに住んでいたのですが、確かに天井がちょっと心配でした。現在はマンションで、天井が固いので適していると思う)
住人の方は震災後、この家屋で約四年間生活していました。
この家は、鉄筋コンクリート造りで、基礎がしっかりしていたようです。通常の二倍のコンクリートを使用していたというから、何か予感があったのでしょうか。
地震当時、築20年経過していましたが、地盤がしっかりしていたため、ほとんど壊れずに残ったそうです。
耐震・震災対策。
地盤のしっかりとした、頑丈な家に住み、家具は倒れないように固定する。
・一階が駐車場や店舗などの建物
・ビルの中間層(上に行くほど柱が細い構造)
・重い屋根の家屋
・開口部の大きい家屋
これらに当てはまる建物の倒壊が多かったそうです。
私の父は大工ですが、「一階が駐車場になっている物件はやめておけ」と言っていました。
どうしても地価が高い地域は三階建てが多くなり、一階が駐車場+納戸、二階・三階にリビング・個室という住宅が多いですが、地震に強いのは箱を置いたようなズドンとした家だそうです。
実家は父が建てましたが、ほぼ正方形に近いようなズドンとした形でベランダも小さく、柱は通常よりも太いものを使っていると言っていました。
また、全てがそうとは限らないのでしょうが、三か月で三棟の家を同時に建てた某ハウスメーカーと、半年かけて一棟の家を建てた某ハウスメーカーが近所にあったので、ちょこちょこ観察していたのですが、やはり時間とお金をかけた家は、造りが頑丈です。
あれもこれもとこだわるとお金が足りなくなりますが、家とは家族の命と財産を守る箱ですから、頑丈な方が良いです。
また、阪神淡路大震災で倒壊した家屋の約7割弱が、シロアリに食い荒らされてしまい、土台や柱などの強度が低下していたことがわかったそうです。
木造住宅にお住まいの方は、シロアリ対策もきちっとしておいた方が良いです。
地震とは、周期的な災害です。
1596年の伏見地震。
阪神・淡路大震災を上回る震災であったそうです。
南海地震は、過去三千年間で100~150年間隔で起きているそうです。
2020~2060年の間に、東海・南海地震が起きるのではないか・・・と推測されています。
江戸時代に起きた東南海地震「宝永大地震」での、津波の威力を知る景勝地が、和歌山県串本町にあります。
日本は4つのプレートにギチギチ押されているため、有数の地震国であり、全世界で起こるマグニチュード6の地震の20%が日本付近で発生しているそうです。
こんな地震大国なのにもかかわらず、多数の原子力発電所があるなんて如何なものかと、私は大変危惧しています。
野島断層保存館、メモリアルハウスの他に、「神戸の壁」もありました。
戦争と震災で残った防火壁を「神戸の壁」と命名し、神戸市長田区から淡路島北淡町へと移設・保存されたものです。
裏はこのように補強されていました。
最後は「震災体験館」で、阪神・淡路大震災の上下・斜めに激しく揺さぶられるような強い揺れを身をもって体験しました。
東京都立川市の防災館で、熊本で起きた震度7の地震を起震装置で体験しましたが、やはり震度7は別格で、命の危険を感じます。
いただいた資料から「生け捕りました三度の大地震」。
鹿島大神宮の神様が、生け捕りにした三匹のナマズに縄をかけ、カバ焼き屋に連行したところ、地震で儲けた大工、とび職、左官、屋根師、絵師の五人が、どうか助けてやってくれと頼んでいる様子です。
三匹のナマズは大きさの順に、善光寺地震(1847年)、安政地震(1855年)、小田原地震(1853年)を表しているのだそうです。
日本列島は環太平洋火山帯に属しているため、昔から地震の多い国です。
それは、遠い遠いご先祖様の時代から変わらないサイクルで、淡路島の断層付近には縄文人が住んでいた遺跡も数多くあることから、「古代の人は断層を避けることなく生活を営んでいた」ことがわかるそうです。
巨大な地震が起こると、「神様が怒っている」、「地球が怒っている」という人もいますが、どうなのかなぁ・・・と思います。
怒っているというよりは、人間にはどうしようもない自然のサイクルなのではないでしょうか。
その中で、ご先祖様達は、ずっとずっと生き抜いて、現在の私たちに命のバトンをつないでくれたのです。
断層のすぐ隣にあるメモリアルハウスがしっかりと残っていたのを見て、地震は確かに恐ろしいけれども、本当に恐ろしいのは家・家具の倒壊、地震に起因する火災と津波だなぁ・・・と思いました。さらに、現代はこれらの他に、原子力発電所の事故も加わります。
体の全部の筋肉の30%(足一本分)が重い家具などにずっと押さえつけられていると、その時に救出されて助かっても後で亡くなる。クラッシュ症候群という。
・関東大震災は、火災による焼死
・阪神淡路大震災は、家屋倒壊・家具転倒による圧死
・東日本大震災は、津波発生による水死
が、多いのだそうです。
津波は高いところへ逃げるしかないですが(原発事故は絶望的)、圧死と火災は減らせます。
最後に、阪神淡路大震災にあった子供達(今はもう大人になっている)のメッセージを紹介します。
- 私は地震の時のことを思い出す時、亡くなった友達のことを考えます。
今、「地震さえなければ」という言葉をはねのけて「地震があったから」と考えていける自分になりたい。- (震災は)教えてくれたのだ。人間は水がないと、生きていけないということを。そして、もっと大切に使わなければならないということを。水は大切な資源なんだ。
- この大地震でいろんなことを学んだ。食物や水の大切さ、自然の恐ろしさ、助け合って生きていくことの大切さ、人の心の温かさだと思う。このことは、決して忘れてはいけないことだと思う。
- 地震から教えられたこともある。一つは人間の温かさを知ったこと。二つ目は自然の恐ろしさを知ったということ。人間は自然の摂理には逆らえないということを、この経験を通して思った。
- この地震で多くのものをなくしたが、多くの人々に励まされたり、手助けをしてもらったりして復興へ続く道を歩き始めることができた。これから、この人たちの期待に応えられるような街づくりをしていきたい。
- 地震の時、何よりも大切だったものとして、人と人のつながりを挙げる人が多かった。
ボランティアの人たちの献身的な姿を目にして、人間の本当のあたたかさやぬくもりを知ることができました。
この体験を生かし、人と人との結びつきを大切にしていきたい。
阪神淡路大震災の教訓は、
なのだそうです。
またいつかやってくるだろう周期的な巨大地震。
少しだけでも、小さな揺れで済みますように・・・と祈らずにはいられません。
そして、災害から人を救うのは、私たち一人一人の、日ごろからの備えなのだということも、忘れてはなりません。
一人一人が、助けられる側から、助ける側へ。
去年の11月から兵庫県の淡路島旅行記が止まっていたのですが、ようやく再開です。 ・・・というのもですね、実は「ちょっと書きにくいなぁ」と迷っていたことがありました。 参拝記 前回の「野島断層保存館 北淡震災記念公園」から、[…]
(この旅行記は2017年です)
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交通アクセス
北淡路の周遊バスあわ姫バスに乗り、北淡震災記念公園前で下車。
→あわ姫号
その他バスで行く場合、淡路交通でお調べください。
車で行く場合、駐車場は無料です。
料金について
大人700円、中高生300円、小学生250円。
AM9:00~PM17:00
近くの宿泊施設
淡路島 海若の宿(わたつみのやど)。北淡震災記念公園から徒歩11分。