北海道旅行の紹介途中ですが、東京都三鷹市にある国際基督教大学(こくさいキリストきょうだいがく。ICU)で行われている特別展「松浦武四郎生誕二百年記念 ICUに残る一畳敷」が、2018年11月9日までなので、先に紹介したいと思います。
松浦武四郎は、北海道の命名者
松浦武四郎は、以前、【北海道地震】 アイヌ語地名を知り、防災意識を高めよう! 災害に関係する地名は各地にあるの記事に少し書きました。
蝦夷地を「ホッカイドウ」と命名した方です。
松浦武四郎は、1818年(幕末)に三重県で誕生。
家の前を行くお伊勢参りの行列につられてフラ~っと旅に出て、途中、家に連れて帰られたり、出家したりしましたが、「旅がしたい! 旅大好き!」の気持ちを抑えられず、「蝦夷地に外国人が来て、略奪している」との話を聞き、蝦夷地へ行くことに。
蝦夷地ではアイヌとともに行動して、北の大地の自然やアイヌの文化を書籍にして出版、大人気になりました。
その活躍と知識をかわれ、1868年(明治元年)に函館府判事に任命され、武四郎は、蝦夷地を「北加伊道(ホッカイドウ)」と名づけました。
「カイ」とは、神々から与えられた地、アイヌの祖国、アイヌの大地を意味します。
北海道にはちょっとかわった地名がありますが、それはアイヌ語の呼び名に漢字を当てはめたもので、オタル、サッポロはもちろん、北海道の地名の8割はアイヌ語から来ています。
北の大地でバリバリ働く武四郎のもとに、アイヌの人達が「新政府の仕打ちが酷い」と訴え出たのが一つの転機となります。
武四郎はアイヌの話をよく聞き、松前藩のアイヌに対する過酷な強制労働の改善を訴えました。
しかし、開拓史は商人達の言いなりになってしまい、改善されません。
これに武四郎は怒った!
「もうこれ以上、開拓使という仕事はできません!」と、辞表を提出。北海道を去ってしまいました・・・。
晩年、武四郎は旅した各地から部材を集めて、小さな書斎を造りました。
それが、一畳敷。
奈良県の吉水神社の地板、静岡県の久能寺の欄干、神奈川県の鶴岡八幡宮の舞台など、91個もの木材を集めて作った、思い出に溢れた小さな小さな部屋でした。
しかし、自らが名づけ親となった北海道のものは一切使われませんでした。
アイヌ達に対する申し訳なさで、北海道のものを使う気持ちにならなかったのでは・・・と、推測されているようです。
私はこの話を、NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組で見て、なんだかウルッとしてしまったのでした・・・。
武四郎が作った「一畳敷」は、東京都三鷹市の国際基督(キリスト)教大学にある!
松浦武四郎は、一畳敷建築から一年経った1888年(明治21年)の2月10日に、東京神田五軒町の自宅で脳溢血で亡くなりました。
「一畳敷は焼いてくれ」との遺言でしたが、息子は焼かずに一畳敷を大切に保存。
一畳敷はそのまましばらく松浦邸で保管されていましたが、この存在に心奪われた人がいます。
それが、紀州徳川家の当主である徳川頼倫(よりみち)。頼倫は武四郎の残した北海道探検日誌を読み、武四郎を尊敬! 彼が残した一畳敷の存在を知りました。
頼倫はケンブリッジ大学に留学をした経験を持ち、伝統の維持、文化財の保護の大切さを感じており、各地の古材で作られた「一畳敷」もぜひ保存しなければならないと思い、松浦家の許可をもらって、明治41年に麻布の徳川邸へ一畳敷を解体移築しました。
一畳敷の引越し先は、頼倫が造った日本初の私設図書館「南葵文庫(なんきぶんこ)」の裏庭。
しかし、後に関東大震災が起こり、被災した東京帝国大学の図書館へ南葵文庫の蔵書を寄贈。一畳敷は、麻布から渋谷区上原の徳川邸へお引越しとなりました。
一畳敷は単体では建っておられず、よりかかる建物が必要なため、頼倫は「高風居(こうふうきょ)」という六畳の茶室を設計し、一畳敷はそれに取り付けられました。
・・・が、かわいそうなことに頼倫は、完成前に心臓麻痺で亡くなってしまいました。享年52歳という若さでした・・・。
頼倫は亡くなる前に、和歌山県の【和歌浦】や白浜町の湯崎温泉で療養していたそうで、和歌山県出身の私は、頼倫の無念を思うと、なんだか胸が痛い・・・。
一畳敷を取り付けた高風居の完成を、さぞかし楽しみにしていたでしょうねぇ・・・。(人生がいつ終わるのか、誰にもわからない! 毎日が貴重で大事なものですね)
さてさて、その後、「高風居&一畳敷」は持ち主や場所を変え、現在は東京都三鷹市の国際基督(キリスト)教大学の敷地にあります。
国際基督教大学、略して「ICU」と呼びますが、この地はもともと中島飛行機会社三鷹研究所でした。ICUが一畳敷を取得したのではなく、「大学に売却された土地に、高風居&一畳敷があった」という経緯です。
高風居&一畳敷が、一角にポツーンとあるわけではなく、日産財閥の重役であった山田敬亮(けいすけ)が集めた他の5つの歴史的建造物と共に、「泰山荘(たいざんそう)」として、ICUにより保存管理されています。
一般人が「一畳敷」を見られるのは、一年に二日だけ!
国際基督教大学(ICU)の敷地に、高風居&一畳敷を含めた「泰山荘(たいざんそう)」があるのですが、いつでも見られるわけではなく、毎年10月末~11月初旬の二日間だけ開催されるICU文化祭、東京都の文化財ウィークでしか入れません。
ICU敷地内にある「泰山荘」は、
- 表門
- 書院
- 待合
- 車庫
- 蔵
- 高風居(一畳敷を含む建物)
の6つの建物からなっており、中でも一畳敷のくっついた高風居は、事前にツアー申し込みをしなくては見れません。
詳細はICUの公式HPを見てほしいのですが、9月1日~10月の初旬ころから往復はがきによる申し込みの受付が始まり、10月中ごろに返信が送られてきます。
ICU文化祭当日は、この返信ハガキを持って、指定の時間に、泰山荘に行きます。
ICU文化祭、泰山荘(一畳敷を含む)の見学に行ってきた
前置きが長くなりましたが、ここからがICU文化祭と、泰山荘(たいざんそう)の見学記です。
緑豊かな国際基督教大学(ICU)敷地の南西に「泰山荘」があります。(青丸印のところが泰山荘)
大学への最寄り駅は、調布駅、三鷹駅、武蔵境駅。どの駅からもバスで行きます。
私は調布駅からバスに乗って行きました。下車するバス停は、富士重工前。富士重工(SUBARU)の前身が、旧中島飛行機会社です。
ICUのある地は、旧中島飛行機三鷹研究所でしたので、富士重工前で下車して大学構内に入るのは、歴史的なつながりを感じられて面白かったです。
・・・が、ここから大学の中心部へは、10分ほど歩きます。
ちょっとだけでも歩く距離を減らしたい方は、三鷹駅か武蔵境駅からバスに乗りましょう。バスが大学構内まで入ってくれます。
いろんなお店が並んで、楽しかったです。
目をひく大学礼拝堂。
中では、ICUチャペルコンサートを開催していました。(礼拝堂内は撮影禁止です)
ICU文化祭は土曜日と日曜日の二日間行われ、私達が訪れたのは日曜日で、チアリーディング、和太鼓、人形劇などを見ました。
とても楽しかったので、子連れにもオススメです。どの年齢でも楽しめるなぁと思いました。
私達が訪れたのは2018年のICU文化祭でしたが、「レッツエンジョイ東京 学園祭グランプリ2017」では総合2位をとったようです。
賑わう大学構内をテクテク歩いて、南西の泰山荘へ。
すごく静かな泰山荘(たいざんそう)。ここはICU文化祭日のみ開放されます。
大学の中心部は若い子だらけですが、大学敷地の端にある泰山荘に訪れるのは、40~60歳代の方が多かったです。
先ほどの写真は、泰山荘を構成する6つの建物の一つ「表門」。江戸城三十六見附の一つである幸橋御門の古材を使用したものです。幸橋御門はJR新橋駅の近くにありましたが、現在は残っていません。
車庫。昭和11年ごろに立てられたもので、南面に三枚の扉が付いています。
書院。昭和11年ごろ建築。
この書院の隣には母屋(日野の農家を移築した)があり、書院の台所と母屋が廊下で繋がっていたのですが、昭和41年に母屋が焼失。
現在、この書院は大学の各種行事に使われています。
蔵。昭和11年建築。
最近、改修工事をしたようで、綺麗でした。この中には、大学卒業式に使用するガウンが保管されているそうです。
蔵の隣には、小さな竹林。
ICUは緑豊かな広大な大学で、「素敵なキャンパスライフがおくれるだろうなぁ」と思いました。秋篠宮家の長女の眞子様、次女の佳子様が、入学、卒業(佳子様は2019年卒業予定)した大学でもあります。
待合。
江戸末期に作られ、昭和11年に移築されました。江戸大崎にあった茶屋「池亭」を移築したもの。現在は、茶道部の活動場所として使われているそうです。
ここまで、泰山荘を構成する6つの建物のうち5つを紹介しました。
最後の一つ「高風居(こうふうきょ)」は、先ほども書きましたが、北海道の名付け親である松浦武四郎が、旅した各地の知り合いに頼んで送ってもらった古材をあわせて、晩年に造った「一畳敷」がくっついている建物です。高風居の設計者は、紀州徳川家の当主である徳川頼倫(よりみち)。
同じことを繰り返しますが、高風居の見学には、事前に往復はがきを送って申し込みをしなくてはいけません。(募集は9月1日から10月初旬まで。詳細はICUのHPをご覧ください)
ガイドはICUの学生さんで、無料です。
高風居は外からの見学のみで、中に入ることはできません。ガイドさんと共に見に行き、ガイドさんと共に離れるので、高風居と一畳敷を見学する時間は、5分程でした。(一人あたりの一畳敷観察時間は30秒くらいかも)。
また、高風居・一畳敷は、写真撮影禁止です。
2018年の公開は終了してしまったので、興味のある方は、来年のICU文化祭での公開を狙って行きましょう!(一畳敷を見たい方は、事前に往復はがきでの申し込みが必要ですので、ご注意を!)
今年の公開は終了してしまいましたが、ICU大学内にある湯浅八郎記念館では、2018年11月9日まで「松浦武四郎生誕二百年記念 ICUに残る一畳敷展」を開催しています。
湯浅八郎さんはICUの初代学長で、記念館は入場無料です。
会館は、午前10時~午後5時(土曜日は午後4時30分まで)。
日曜・月曜・祝日・3月、7月の土曜日・展示準備期間(特別展開催期間外)・夏期休暇中および年末年始は、閉館です。
詳細は公式HPでご覧ください。
松浦武四郎生誕200年の記念撮影コーナーがありました。
記念館内は、基本的に撮影OKですが、「撮影禁止」と記されているところもあるのでご注意を。
館内には松浦武四郎の作った一畳敷の精巧な復元模型があり、中に入ることが出来ます。また、写真撮影可能ですが、SNSなどに上げるのは禁止で、「写真はご自分だけで楽しんで頂き、ネット上には上げないでいただきたいです」とのことでした。
というわけで、館内の壁にかけてあった、一畳敷の写真をアップしておきます。この写真は、復元模型ではなく、本物を撮った写真です。(一畳敷内の様子は、ICUのHPでも見れます)
一畳敷は、松浦武四郎が旅した全国各地から集められた91個の木材(このうち2つは欠番)で、注目度の高い木材は以下の7つ。
- 畳の周りの板は、後醍醐天皇以下、吉野朝(南朝)の歴代天皇が歩いたかもしれない板で、奈良県の吉水院(吉水神社)のもの。
- 床の間の釣柱は、静岡県久野寺の観音堂の欄干。
- 外部の装飾は、神奈川県の【鶴岡八幡宮】の舞台。
- 神棚の板は、島根県の出雲大社の古材。
- 中仕切鴨居上の欄間は、奈良県の吉野山水分神社の欄間の木片。
- 床板は、京都の聚楽第(じゅらくてい)の古材。聚楽第は、豊臣秀吉によって作られた政庁兼邸宅だった。
- 天井板は、和歌山県の【熊野本宮大社】の扉。中央には龍の絵が描かれている。
武四郎をリスペクトしていた徳川頼倫(よりみち)は、一畳敷に隣接する高風居(こうふうきょ)を設計し、造らせましたが、頼倫もまたあちこちから木片を集めて造ったようです。
たとえば、茶室の壁面は和歌山県の鷲森別院のもの。廊下沿いの敷居は東郷平八郎が乗艦した【戦艦三笠】のもの。水屋の小ふすまは、武四郎が収集した小器物の目録。
・・・頼倫さん、高風居の完成が楽しみだったでしょうね~~! こだわったのに、完成を待たずに急死するなんてお気の毒!(涙)
公開日が少ない上に、見学者には上限があるため、だれでも一畳敷を見られるというわけではありませんが、湯浅八郎記念館では一畳敷の写真のクリアファイルが500円で販売されています。これはだれでも買えるので、武四郎ファンはぜひ購入してはどうかと思います。天井の龍もバッチリ映っている良い写真を使用しています。
また、泰山荘は維持費が高額で、寄付を随時受け付けています。
泰山荘をガイドしてくれた学生さんが、「学生では、出来ることに限りがあるので、専門の方の手を借りなくては泰山荘の維持が出来ない」とおっしゃっていたのが、とても印象に残っています。
ぜひ、維持管理にご協力をお願いします。クリアファイルの収益も泰山荘の維持管理に使われるだろうと思います。
以上で、松浦武四郎の残した「一畳敷」の見学記事は終了です。
「松浦武四郎生誕200年記念」の年に見学ができ、とてもうれしかったです。
では、次から北海道旅行の紹介へ戻りたいと思います。
忙しかったボランティアも終わり、一カ月ぶりに「五泊六日北海道旅行記」再開です! 今日からしばらく、2000年に起きた有珠山(うすざん)ふもとの噴火による、災害遺構を紹介します。 →→2018年5泊6日北海道旅行記の行程はこちら・・・[…]
(この見学記は2018年です)
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交通アクセス
調布駅、武蔵境駅、三鷹駅のいずれかで下車。
調布駅からは北口の11番乗り場から小田急バス「(境91)武蔵境駅南口」行、または「( 鷹51)三鷹駅(西野御塔坂下経由)」行に乗車し、「富士重工前」下車。
武蔵境駅からは南口の2番乗り場から小田急バス「(境93)国際基督教大学」行に乗り、終点下車(大学構内まで入る)。
三鷹駅からは南口の5番乗り場から小田急バス「(鷹51)国際基督教大学」行に乗り、終点下車(大学構内まで入る)。