前回「日月神事」を紹介したので、今日は岡本天明さんが「日月神事」を授かった神社を紹介します。
参拝記
岡本典明さんが日月神事を授かったのは、戦争の真っ最中だった1944年(昭和19年)6月10日で、場所は千葉県成田(なりた)市の麻賀多(まかた)神社。
成田市と言えば、成田空港や、成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)で有名ですね。
「麻賀多(まかた)神社」とは聞きなれない名前ですが、印旛沼(いんばぬま)の東側から南にかけてにのみ存在する神社です。
成田市に2社、佐倉市に11社、酒々井町2社、富里市2社、八千代市1社の計18社あり、今日紹介するのは赤丸で囲った千葉県成田市の台方(だいかた)にある、麻賀多(まかた)神社本宮の方です。
ここは18社ある麻賀多神社の総本社で、1944年(昭和19年)6月10日に、岡本天明(おかもとてんめい)さんが日月神事を記したことで有名です。
赤丸で囲った台方にある麻賀多(まかた)神社本宮への交通アクセスは、公津の杜(こうづのもり)駅から北西へ3.2kmで、徒歩で向かう場合、片道40分かかります。(オレンジ色で囲った奥宮は次回紹介します)
公共交通機関を利用して行く場合、公津の杜駅から成田市コミュニティバス北須賀ルート(甚兵衛渡し方面)に乗り、麻賀多神社前下車です。
車で行く場合、無料駐車場があります。
私は神奈川県の自宅最寄り駅から電車に乗り、京成成田駅で下車して、タイムズカーのカーシェアリングを利用して、麻賀多神社本宮→麻賀多神社奥宮へとまわりました。
コミュニティバスで行くのも考えたのですが、
- 本数が少ない
- 奥宮へのアクセスが不便
- 帰りに成田山新勝寺にも寄りたかった
ので、サクッとまわれるカーシェアリングを選択。(この三か所は、5~6時間もあればセットでまわれます)
コミュニティバスで行く方は、帰りのバスをチェックしておきましょう!
上の写真は、麻賀多神社前から公津の杜駅方面へ出ているコミュニティバスの時刻表ですが、すごく本数が少ないです。(2022年夏の時刻表)
車で行く方は、神社横に数台停められますし、
道路を挟んだ側に、広めの駐車場もあります。
では、参拝しましょう!
麻賀多神社の森にある「公津(こうづ)の大杉」は千葉県指定天然記念物。
手水舎の手洗石は宝暦9年(1759年)に寄進されたもの。江戸時代のものです!
脇にひっそりと同祖神。
奥に見えるのが本宮。
本宮への階段を上る手前左手側に、社務所。訪れたのが平日だったためか、閉まっていました。
麻賀多神社の由緒書きと、伝言帳。
社務所の隣に神輿舎と、奥にトイレ。
社務所の向かい側に、納札所と、祓戸(はらえど)神。御祭神は瀬織津比売(セオリツヒメ)、気吹戸主(イブキドヌシ)、速開都比売(ハヤアキツヒメ)、速佐須良比売(ハヤサスラヒメ)の祓戸四神。
階段を上って、本宮へ。先にも書きましたが、18社ある麻賀多神社の総本社です。
御祭神は、日本の国造りの神であり、五穀の神でもある和久産巣日神(ワクムスビ)。伊勢神宮の内宮(天照大神)の姉神で、伊勢神宮外宮(豊受大神)は子神。香取神宮の御祭神である経津主命(フツヌシノミコト)と鹿島神宮の御祭神である武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は弟神なのだそうです。
→→【伊勢神宮外宮】の記事はこちら・・・三重県。内宮の前に外宮から参拝。
→→【香取神宮】の記事はこちら・・・千葉県。香取神社の総本社。
→→【鹿島神宮】の記事はこちら・・・茨城県。鹿島神社の総本社。地震ナマズをおさえる要石がある。
(ウィキペディア「麻賀多神社」から抜粋)
社伝によれば、景行天皇42年6月晦日、東征中の日本建尊(ヤマトタケルノミコト)が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け「この鏡をインバノクニタマオキツカガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であるという。応神天皇20年、神武天皇の皇子である神八井耳命(かんやいみみのみこと)の8世の子孫である印旛国造・伊都許利命(イツコリノミコト)が現在の成田市船形に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命(ワカヒルメノミコト)を祀った。また、伊都許利命は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを神体として和久産巣日神(ワクムスビ)を併せ祀った。この2神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。推古天皇16年、伊都許利命の8世の子孫の広鋤手黒彦命が、神命により現在の成田市台方に和久産巣日神を遷座し、それまでの社殿を奥宮とした。
延喜式神名帳に記載の際、「真賀多真」が三種の神器の1つと同名であるとして、1字取って「真賀多神社」に改称した。後に、一帯が麻の産地であることから麻賀多神社に社名を改めた。
奥宮は、ここより北1km離れたところにあり、印旛国造・伊都許利命(イツコリノミコト)の古墳があります。次回紹介します。
麻賀多神社の社名にも入っている「麻」の紋様が星形にも見え、輝いて見えました。
社伝の左に摂社末社。
社伝の左奥に、千葉県認定天然記念物に指定された大杉。東日本一の大杉で、太さ約9m、高さ40m余り、樹齢1300有余年のご神木です。
古来より、ご神木には心霊が宿っていると言い伝えられ、延命長寿の御利益を授かることでも有名なのだそう。
ご神木の足元には説明看板が設けられており、「今から約1370年前(聖徳太子時代)、現在の地 稷山(あわやま)に新たに宮殿を建て麻賀多大宮殿と称された。この大杉はその当時に植えられたものだ」と書かれていました。
順路の案内通りに進むと、写真の摂社末社。
本殿の右奥に、末社の天日津久神社(あめのひつくじんじゃ)。
1944年(昭和19年)6月10日に、画家の岡本天明(おかもとてんめい)さんがこの神社を訪れ、本殿にお参りした後、こちらの天日津久神社(あめのひつくじんじゃ)に参拝。その後、だれもいない社務所の縁側で一休みし、手弁当を広げていると突如、自分の右腕が痛くなり、すらすらと文字のようなものを書き出しました。
この霊動による自動書記が、「日月神事」で、別名「ひふみ神事」「一二三神事」とも言われています。
神社の境内には、岡本天明や日月神事の表記は全くなく、ここにふらりと訪れても過去にそんなお告げがあったのだと知ることはできません。(私が日月神事を知ったのは、雑誌の月刊ムー)
(本の紹介)
岡本天明に降りた神の預言「日月神示」は古神道における「聖書」だった。これから日本が直面する大艱難と「神一厘の仕組み」とは、いったい何か。暗号に満ちた難解な預言を日ユ同祖論とユダヤ教神秘主義カッバーラで解明し、来るべきミロクの世の正体に迫る。
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日月神事がどういう本か、サラリと知りたいという方は、「はじめての日月神示 /かざひの文庫/中矢伸一」がオススメです。中矢伸一さんは日月神事を30年間も研究しており、「日月神事の第一人者」とも言われている方で、膨大な日月神事の中から、人生訓、あの世と先祖の話、未来と予言などを抜き出し、平易な文章で解説してくれているのですごく読みやすいです。
さらに日月神事を学びたい方にオススメなのが、完訳日月神示。
↑
岡本天明さんが書いたままのオリジナルは今はすっかり散在してしまって残っていませんが、こちらの本は原文に忠実な本なのだそうです。
隣には、大神神社。
大権現(だいごんげん)社。
子安神社。
神楽殿。
毎年7月31日に台方(だいかた)の麻賀多神社の大祭で神楽が舞われるそうです。
次は、麻賀多神社の奥宮を紹介します。ここから車で10分です。(徒歩で行く場合20分くらいかかる)
前回からの続きで、千葉県成田市の麻賀多(まかた)神社の紹介です。 参拝記 「麻賀多(まかた)神社」とは聞きなれない名前ですが、印旛沼(いんばぬま)の東側から南にかけてにのみ存在する神社です。 成田市に2社(台方の総本社、船[…]
(この参拝記は2022年のものです)
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交通アクセス
台方にある麻賀多(まかた)神社本宮への交通アクセスは、公津の杜(こうづのもり)駅から北西へ3.2kmで、徒歩で向かう場合、片道40分かかります。(オレンジ色で囲った奥宮は次回紹介します)
公共交通機関を利用して行く場合、公津の杜駅から成田市コミュニティバス北須賀ルート(甚兵衛渡し方面)に乗り、麻賀多神社前下車です。(本数がすごく少ないのでご注意を)
→→成田市コミュニティバスの路線図と運賃・時刻表はこちらでご覧ください
車で行く場合、無料駐車場があります。