【北口本宮冨士浅間神社の、諏訪神社】 富士講の開祖と吉田口登山道

前回の続きです。

「北口本宮冨士浅間神社はもともと諏訪神社だけだった」、ということから同境内にある諏訪神社と、吉田の火祭り、北口本宮冨士浅間神社の東宮、西宮などについて取り上げたいと思います。

参拝記

諏訪神社を取り上げる前に、北口本宮冨士浅間神社の東宮と西宮について紹介しておきます。

 

東宮本殿。国重要文化財です。

1561年に武田信玄が川中島合戦の必勝祈願で浅間本社として造営しました。

御祭神は、天津日高彦火火出見尊(あまつひこひこほほでみのみこと)です。
天津日高彦火火出見尊は、海幸山幸(うみさちやまさち)の話に登場し、一般には山幸彦(やまさちひこ)(山佐知毘古、やまさちびこ)の名で知られる、神武天皇の祖父に当たる人物です。

卍模様がついているのは、後に西宮を大修復した村上光清の紋だからだそうです。

村上光清(むらかみこうせい)ウィキペディアより抜粋

富士講の開祖とされる角行直系の指導者として江戸で富士講の布教に努め、後に「村上派」と呼ばれる一派をおこした。享保年間、私財を投じて、荒廃していた北口本宮冨士浅間神社を復興させる大事業をおこなったことで有名。

 

 

 


1594年造営 西宮本殿。国重要文化財です。
浅野左衛門佐建立。
御祭神は、天照大神と、豊受大神、琴平大神です。
東宮と同じく、卍模様があり、村上光清が大改修したものです。

 

 

 

北口本宮冨士浅間神社境内右側には、諏訪神社があります。




御祭神は、タケミナカタノカミと、ヤサカトメノカミです。

この諏訪神社がもともとこの地にあった神社で、浅間神社よりも古い歴史を持っています

はっきりとした創建はわからないそうですが、1494年の記録には「吉田取訪大明神」という記述が見られるそうです。

諏訪大社の記事はこちらからご覧ください・・・長野県諏訪湖に諏訪大社の総本宮があります。前宮、本宮、春宮、秋宮の四社巡りツアーについて書きました。
 

 

 

 

毎年8月26日、27日に行われる日本三奇祭の吉田の火祭り」はもともと、この諏訪神社のお祭りだったもので、今でも御山神輿(浅間神社の神輿)は、明神神輿(諏訪神社の神輿)を追い抜いて先に進んではいけないことになっています。

ちなみに浅間神社と諏訪神社の間にある広い空間は、高天原(たかまがはら)と呼ばれています。

 

 

 


明神神輿(諏訪神社の神輿)。
明神神輿を担ぐのは、世話人経験者たちの勢子団体だそうです。

 

 

 


富士山をかたどった御山神輿(浅間神社の神輿)。

個性的ですね~。こんな御神輿、見たことがありません。

御山神輿(おやまみこし)は、おやまさん、あるいは御影(みかげ)とも呼ばれるそうです。
休みで止まるときに地面に「ドスン」と三回落とす決まりがあり、荒っぽく担がれるのが特徴だそうです。
御山神輿は重量が1トンあり、一般の睦会が担ぐそうです。

 

 

 

鎮火大祭(吉田の火祭り)、明治30年(1897年)。


赤いところは松明の火で、起源は不明だそうです。
松明は大小2種類あり、大きい松明は高さが3m、下部の直径は約1mにもなるそうです。
松明の総本数はわかりませんが、大松明だけでも70余本もあるんだとか。

さぞかし、迫力があることでしょうね!

ぜひ見てみたいです。

 

 

 


高天原の近くに神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)碑がありました。

神変大菩薩は、「役 小角(えんの おづの)」行者のことで、飛鳥時代から奈良時代の呪術者であり、山伏・修験道の開祖とされています。

伊豆大島から、毎晩海上を歩いて富士山へと登っていった、鬼神を操った、法力で山にお堂を投げ入れた(鳥取県三朝町の投入堂の逸話)など、びっくり仰天な伝説を持っている行者です。

三輪氏族に属する地祇系氏族で、加茂氏(賀茂氏)から出た氏族であることから、加茂役君(賀茂役君)とも呼ばれ、もっと昔へたどると、渡来人である秦氏の末裔かもしれないそうです。
役行者(えんのぎょうじゃ)と、弘法大師空海の足跡が、いろんな聖地にあるので調べてみてはいかがでしょうか。

富士講を広めたのは「角行(かくぎょう)」で、山伏・修験道の開祖とも言われる役小角の「富士に行け」という声を聞いて広めることになったそうです。

 

 

 


北口本宮富士浅間大社の参道に、「角行の立行石」というのがあります。

1610年の冬、当時69歳の富士講の開祖・角行が吉田の地を訪れ、裸になりこの石の上に爪立ちして三十日の荒行をしたそうです。
全身より血を噴き、里人の勧めで行を止めた、と伝えられています。

 

冬、全裸で、この石の上に爪立ち30日・・・、全身より血を噴く・・・

 

すごいですね。

 

富士講の開祖「角行」は他にも、14センチ四方の材木に千日爪立ちをした、不眠1万8800日、立行3000日、断食300日、造字360字、富士登頂128回などなど、ものすごい修行の逸話が残っています。

想像するだけで、「ええええ~~~!? ホント!?」な、修行内容ですね。

 

 

さて、そんなものすごい修行逸話がある角業が起こした富士講ですが、アッサリ簡単に言うと「厳しい登山をして身を清める」という思想が元だそうです。

北口本宮冨士浅間神社の→こちらのページに、富士講の歴史と、現在も活動している富士講一覧があるのでご覧ください。

 

 

 

富士講が富士登山をする際、入り口になっていたのがこの富士登山道吉田口。
北口本宮冨士浅間神社 西宮の隣に、吉田口の鳥居があります。

ここをくぐると、富士講の記念碑群、摂社の祖霊があります。

 

 

 


昔は苦労した富士登山ですが、現在は五合目までバスや車で行けます。

富士山五合目。 高速バスを利用したら2時間遅れて、たった一時間の散策になった。
 


現在の、吉田口登山道。
整備されていて歩きやすそう。

昔はどんな道だったんでしょうね?

 

近くに神社の方がいたので、「ここから富士登山する方っているんですか?」と尋ねたところ、「多くはないんですけれども、たまにいますね。富士講の方や、外国人の方です」とおっしゃっていました。

 

 

境内には、稲荷社と、

 

 

多くの摂社・末社がありました。

 

 

北口本宮冨士浅間神社で気持ちの良いお参りをした後、再建途中である不二阿祖山太神宮(ふじあそやまだいじんぐう)を目指しました。

 

不二阿祖山太神宮は、月刊ムーに取り上げられたことのある神社で、「宮下文書」に記された幻の富士王朝に関わる神社であり、日本最古の神宮なんだそうです。

この御宮も北口本宮冨士浅間神社と同じく、富士山の鬼門に位置する神宮だそうです。

北口本宮浅間神社から、不二阿祖山太神宮までは6kmほど離れており、車で25分ほどです。
→→不二阿祖山太神宮の記事はこちら
 

 

関連記事

富士山五合目の記事はこちら・・・北口本宮冨士浅間神社のご神体は、富士山です。

富士山本宮浅間大社の記事はこちら・・・浅間神社の総本宮。ご神体は富士山です。富士山の裏鬼門に位置するお宮です。

諏訪大社の記事はこちらからご覧ください・・・長野県諏訪湖に諏訪大社の総本宮があります。前宮、本宮、春宮、秋宮の四社巡りツアーについて書きました。

交通アクセス

富士山駅(旧・富士吉田駅)で電車を下車し、富士急バスか、ふじっ湖号か、富士山世界遺産ループバスに乗り、浅間神社前下車です。
富士急行バスHP
遠方から行く場合、 三島駅か新富士駅で新幹線をおります。
電車の乗り換えは、ヤフー路線などでお調べください。

車で行く場合、無料の駐車場があります。

近くの宿泊施設

富士山ステーションホテル。富士山駅出てすぐ。

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