前回からの続きで、大阪市の観光紹介です。
今日は、大阪城公園内にある、豊国神社(ほうこくじんじゃ)を紹介します。
旅行記
豊国神社は大阪城公園内にあります。
公共交通機関で行く場合、谷町四丁目駅から徒歩10分ほど。
車で行く場合、付近の有料駐車場を利用。
大阪城。(また後で、大阪城の記事を書きますが、写真を何枚か貼っておきます)
こちらが、大阪城公園内にある豊国神社(ほうこくじんじゃ)。
ご祭神は、大阪城の城主である豊臣秀吉、秀吉の次男の豊臣秀頼、秀吉の異父弟の豊臣秀長です。
豊臣秀吉の立派な立像があります。
これは、2007年4月に彫刻家の中村晋也さんにより復元されたもの。
像の高さは、5.2メートル(像 3.2m 台座 2m)。
明治元年に、明治天皇が大阪へ来られた際、「国家のために多大な功労を残した豊臣秀吉を、大阪に奉祀するように」と仰られたのが始まりで、秀吉ゆかりの大坂城は陸軍省の所管だったため神社を建てることが出来なかったため、現在の中央公会堂のあたりに社殿が作られました。
現在地に移ったのは、昭和36年1月。
看板にあるように、出世開運に御利益があるようです。
秀吉は尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれ、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、従来にはない斬新な奇策や政策で次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、清洲会議で信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。
(豊臣秀吉 ウィキペディアより抜粋)
秀吉の時代、ポルトガル商人により、5万人の日本人女性が奴隷として売られていたそうです。
秀吉は日本人の奴隷化を食い止めました。
秀吉は、九州遠征に勝手に秀吉軍に同行していたポルトガル人でイエズス会の日本における布教の最高責任者であったガスパール・コエリョを引見すると、次のような四カ条からなる詰問を行っている。
一つ、なぜかくも熱心に日本の人々をキリシタンにしようとするのか。
一つ、なぜ神社仏閣を破壊し、坊主を迫害し、彼らと融和しようとしないのか。
一つ、牛馬は人間にとって有益な動物であるにもかかわらず、なぜこれを食べようとするのか。
一つ、なぜポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷として国外へ連れて行くようなことをするのか
――という四カ条で、同時に秀吉はコエリョに対し追放令を突き付けている。この追放令が出されたことで九州各地や京・大坂にあったイエズス会の教会や病院、学校などが次々に破壊された。
さて、秀吉がなぜこの追放令を出したかだが、その理由の一つに、西欧人たちが胸に秘めた日本侵略の意図を読み取ったからだと言われている。宣教師コエリョが秀吉を博多で出迎えた際、自分が建造させた最新鋭の軍艦に秀吉を乗船させて、自分ならいつでも世界に冠たるスペイン艦隊を動かせると自慢半分、恫喝半分に語ったという。
このとき秀吉は彼らの植民地化計画を瞬時に看破したのであった。
もう一つ許せないのが、日本の大事な国土が西欧人たちによって蚕食され始めていることだった。たとえば、キリシタン大名の大村純忠は自分の領地だった長崎と茂木を、同じくキリシタン大名の有馬晴信は浦上の地をすでにイエズス会に寄進していたのだ。
日本国の支配者たる秀吉にとって、いかに信仰のためとはいえ、外国人に日本の領土の一部を勝手に譲渡するなど言語道断の出来事だった。
西欧人たちがそれを足掛かりとして領地を広げていくことは火を見るよりも明らかだったからだ。
最初に宣教師を送り、続いて商人、最後に軍隊を送って国を乗っ取ってしまうという西欧列強お得意の植民地化計画が今まさに実行されようとしていたのだ。
『九州御動座記』の記録
「日本人が数百人、男女問わず南蛮船に買い取られ、獣のごとく手足に鎖を付けられたまま船底に追いやられた。地獄の呵責よりひどい。──中略──その上、牛馬を買い取り、生きながら皮を剝ぎ、坊主(宣教師を指す)も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼下に広がっている……」
同胞の若者たちが鎖につながれて次々と南蛮船に押し込まれていく光景は大村由己にとってはこれ以上ないカルチャーショックだったに違いない。何とも酷たらしい場面だが、当時の海外に出た西欧の商人にとって有色人種の奴隷交易はなんら恥じることのない商取引だった。
これはそもそも、1452年にローマ教皇がポルトガル人に対し異教徒を奴隷にしてもよい、という許可を与えたことが根底にあるという。
海外に連行されていった日本人奴隷は、ポルトガル商人が主導したケースがほとんどで、その被害者はざっと5万人にのぼるという。彼ら日本人奴隷たちは、マカオなどに駐在していた白人の富裕層の下で使役されたほか、遠くインドやアフリカ、欧州、ときには南米アルゼンチンやペルーにまで売られた例もあったという。
この5万人という数字に関してだが、天正10年にローマに派遣された有名な少年使節団の一行が、世界各地の行く先々で日本の若い女性が奴隷として使役されているのを目撃しており、実際にはこの何倍もいたのではないかと言われている。
こうした実情を憂慮した秀吉はコエリョに対し、日本人奴隷の売買を即刻停止するよう命じた。そして、こうも付け加えた。「すでに売られてしまった日本人を連れ戻すこと。それが無理なら助けられる者たちだけでも買い戻す」といった主旨のことを伝えている。
秀吉は英雄ですね!!!
次は、大阪城公園を紹介します。
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(この旅行記は2019年です)
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交通アクセス
谷町四丁目駅から徒歩10分ほど。
車で行く場合、付近の有料駐車場を利用。